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「「英国(GOV.UK)」のデジタルサービス改革 -住民・民間と一体となった政府デジタル戦略の推進-」

2015.07.21 株式会社オージス総研  明神 知

1.はじめに

インターネットによって全ての物や人が繋がる時代に入り、飛行機や自動車がConnectedされたデータセンターになり、ベッドはバイオセンサーによってヘルスケアプラットフォームに進化するなど、モノの本質が変革しようとしています。 このようなデジタル変革の新市場では顧客体験が重視されます。 弊社はかねてより顧客ニーズの顕在化に「サービスデザイン」、その実装に顧客共創の「アジャイル開発」を提唱してきました。情報サービス産業協会(JISA)においても「デジタルビジネスに向けた新市場の顧客との共創」を白書2015 年版で提言[1]しています。ここでもデジタルビジネスの創造には「サービスデザイン+アジャイル開発」が有力な開発手法であるとしています。
デジタルビジネスの開発手法は、まだ確立したものでなく日本でも実績は限られています。海外ではChief Digital Officer(CDI)のサミットまで開催されており、デジタルビジネス専門の組織化も進んでいます。医療の分野ではMayo Clinicの「Center for Innovation」が患者中心のイノベーションを推進し、GEはIndustrial Internetとして自社の製品をより顧客価値を高めたサービスに再生させています。
このような社会変化に最も遠い存在で数々の失敗プロジェクトを重ねていた公共サービスの中にあって英国政府のデジタルサービスが大変革に取り組んでいます。公開情報によると2011年3月の政府ICT戦略を受けて2012年にはGOV.UKを立ち上げて10省庁1,700サイトの41,000ページを単一のウェブサイトに統合し、GitHubにソースコードを公開しています。2013年には政府CIOを廃止する代わりに内閣府にGovernment Digital Service(GDS)を創設して全省庁が提供するオンラインサービスを管轄し、デジタルサービス改革を推進しています。さらに2014年には2012年に開始された商用クラウドサービス購入の枠組み「G-Cloud framework」による公共セクター向けオンラインICTアプリストア「CloudStore」をアップグレードして「Digital Marketplace」を開始しました。 このように矢継ぎ早に民間の技術を取り込んだ変革を進めており、住民参加の公共サービスデザインを推進しています。これらはまるでベンチャービジネスのような開発スタイルです。日本政府のIT調達に比べて、あまりにも先進的な姿に見えるのですが、実際のところがどうなのか現地で確認したいと思っておりました。そこで例年開催されるEACとBPMのカンファレンス(EAC&BPM2015)に合わせて英国政府関係者に面会できないかとJISAに相談したところ英国大使館を通じて英国貿易投資総省のICT業界スペシャリストとアポが取れたのです。以下はそのインタビュー報告です。

2.英国デジタルガバメントの状況(公開情報の整理)

(1)デジタルガバメント

キャメロン政権が発足した2010年、内閣府のデジタルガバメント担当のモード大臣は、英国をデジタルガバメントの先導的地位に引き上げるためには労働党政権下の政策を抜本的に見直すことが必要と考えました。すなわち「進化でなく革命」を起こすことを目指して「政府デジタル戦略(Government Digital Strategy)2012年11月[2]」に基づく改革を進めたのです[3]。それまで英国政府はアジャイル開発にも取り組んできましたが「進化」では成功に至りませんでした。
次の図にアジャイル開発の失敗を乗り越えて新しい政府ICT戦略を策定しデジタルサービスを推進していった概要をまとめました。公共のサービスをデザインするときの原則を2014年4月に26項目として上げて実践してきましたが、その結果を受けて2015年6月1日から統廃合して18の重点項目に絞って簡約化しています[4]。

英国政府のデジタルサービス
図 1 英国政府のデジタルサービス

新しい戦略実施の1年後の検証[5]で、費用削減や大規模ベンダー独占から中小企業へのシフト、ICT専門家の能力向上、アジャイル開発の推進などの効果を上げており、最近の成果としては25の主要サービスのデジタル化でほとんどが(15)供用開始しています[6]。
さらに次の図にあるように政府、公共機関がICTをオープンに調達できるマーケットプレイスを運営しています。

デジタルマーケットプレイス
図 2 デジタルマーケットプレイス

(2)Government Digital Service(GDS)

英国政府のデジタルガバメントへの革新的な変化はキャメロン政権の強力な政治的リーダーシップと改革推進組織(GDS)によると思われます。GDSの組織や機能はGDS business plan April 2014 to March 2015[7]に詳しいのですが、最高データ責任者(CDO)でChief Digital Officer of the Year 2014にも選ばれたMike Brackenが責任者を務めています。表1に概要を示しましたがCTOオフィスを擁し、人材育成、調整機能、主要25サービスのプログラム担当、パフォーマンスデリバリ、個人認証といった組織機能を有して各省のデジタル改革を支えています。その特徴はシンプルな原則のもとに失敗を重ねて質を高めるアジャイル手法の採用、強力なリーダーシップ、国際連携の迅速な展開にあります[3]。

表1 Government Digital Service(GDS)の機能概要
Government Digital Service(GDS)の機能概要

(3)エンタープライズ・アーキテクチャ(EA)

英国のエンタープライズ・アーキテクチャは、国防省のEA(MODAF[8])とEUにおける電子政府間の相互運用性を確保するためのEuropean Interoperability Framework for pan-European eGovernment services(EIF[9])が有名でした。2005年に政府横断のアーキテクチャ参照モデルが制定されていました。その後、GOV.UKに取り込まれていないことから従来のようなEAの義務化はないと思われます。
最近のEAをGOV.UKで検索すると政府横断のセキュリティ、BYODやユーザー端末のガイドラインなど経験的に必要とされる標準やガイドラインが時代に応じて制定されてきています。

3.インタビューの概要

JISAから英国大使館を通じて紹介いただいたのは、UK Trade& Investment(英国貿易投資総省)のICTスペシャリストのChris Moore博士です。キャメロン首相肝いりで始まった第二のシリコンバレーを目指してITテクノロジー企業が集結した「Tech City」で海外のデジタル企業支援に2年間従事した後、現在は海外ICT企業の英国進出支援を行っています。

中央右がMoore博士、中央左が筆者
図 3 中央右がMoore博士、中央左が筆者

(1)英国政府のデジタルビジネス

Moore博士によると英国の「Digital Readiness」はヨーロッパ諸国のなかでトップではないが、イスラエル、エストニア、韓国、ニュージーランドなどと並んで上位(彼らは「D5」と呼んでいる)に居る。英国は全てをデジタル変革するには大きすぎるのでエストニアのようには行かないそうだ。
5年前にGovernment Digital Service(GDS)というデジタル推進組織が設置されて古いUK.GovからオンラインプラットフォームのGOV.UKへの移行を推進しています。Moore博士の貿易投資の分野では税金収納や購入がオンラインで可能となっており、住民サービスの90%占める25の主要サービスから順次デジタル化されています。

(2)中小ICT企業の参画

古い政府ICT調達では大手のベンダーしか参入できず技術変化や要件の変化に柔軟に対応することができませんでした。CTOとしてマイクロソフトのLiam Maxwellを迎えてクラウドやアジャイルといった最新技術を生かして、英国内だけでなくアメリカやアジアの中小ベンダーも参画できる「G-Cloud framework」によって英国政府にICTを販売できるようになりました。ICTのオンラインカタログ「Cloud Store」に登録されたベンダーのファイナンスや教育のアプリケーションなど様々技術サービスをセキュアな「G-Cloud framework」から調達できるようになりました。2014年Cloud StoreはDigital Marketplaceに名前を変えました。G-Cloudのダッシュボード[10]を見ると2015年4月時点の総取扱高5.91億ポンド(1182億円)のうち大手ベンダーは3.02億ポンド(51.1%)、中小ベンダーは2.89億ポンド(48.9%)と中小ベンダーが半額を占めるに至っており、昨年比3.5倍の取扱総額の増加となっています。英国の年間ICT調達費用が9billionポンド(1兆8000億円)ですから6.5%に過ぎません。しかしLiam Maxwellは今後5年間に半減すなわち22 billionポンド(4兆4000億円)削減可能性を示唆しています[11]。

(3)Digital Marketplace

公共デジタルサービスの調達サイトとして「Digital Marketplace」[12]が運営されています。ここには人材、技術、クラウドサービス、データセンターといった幅広いサービスが登録されており、Digital Marketplace buyers' guide [13]を参考にして中央政府だけでなく地方自治体も利用出来ます。サービスデザインマニュアル[14]などを参考にして要求を整理して内部承認を得たら、GDSのシニアITアドバイザーが他部門の重複や調整行うとともにオンラインの進捗管理ツールでフォローすることができるのです。現在のバージョン(反復)は「G-Cloud 6」で1,453サプライヤー(G-Cloud 5から15%増加)と10,827のサービスが登録されています。ドイツやインドなど外国ベンダーのほか、日本ベンダーとしては富士通やIIJ EuropeがIaaSサプライヤーなどとして登録されています。このように英国に拠点を持つ外国ベンダーにも門戸を開いています。

(4)新しい技術・スキルの導入

政府CTOのほか、最も進んでいる司法省[15]を筆頭に民間から技術者を積極的に雇い入れてデジタルサービスやクラウド、アジャイル開発やサービスデザインに取り組んでいます。英国政府ではPA Consultingのようなコンサル会社に専門スキルを持つスペシャリストを数十人単位で派遣してもらっています。
Moore博士自身もPA Consultingからの派遣です。司法省では大きな効果が出ており、今回のEAC2015でもビジネスアーキテクチャとアプリケーションとの関連付けで投資評価を行い、重複や複雑性を排除してコストダウンを図った事例紹介がありました。ただし、環境省のように遅れているところもあるようです。

(5)成功の要因

先述したように民間からの技術やスペシャリストの導入を積極的に行っていることが大きいのです。変化を受け入れ、効果や価値を説明すること、組織や意思決定が柔軟であること、性急な結果を求めない時間的な余裕があること、住民が変化を望んでおり積極的であることも重要です。

4.所感

同じ島国で梅棹忠男の「文明の生態史観」ではユーラシア大陸を挟んで似たような地政学的位置づけの英国と日本です。ところが文化や価値観は随分と違うようです。異文化マネジメントの「itim International」[16]による価値観の6次元モデルでは日本と英国では大きな違いがあります。その6次元とは、 PDI(Power Distance:権力格差) 、IDV(Individualism:個人主義)、 MAS(Masculinity:男性的) 、UAI(Uncertainty Avoidance:不確実性の回避)、 PRA(Pragmatism:実利的) 、IVR(Indulgence:享楽的)です。日本は、54,46,95,92,88,42に対して英国は35,89,66,35,51,69です。個人主義、不確定性の回避が大きく異なりますね。英国憲法は実質的な成文法や慣習法はありますが、形式な意味での憲法を持たない不文憲法国とも言われています。英国の大変革を許容する帰納法的アプローチを好む国民性が大きく違うことも成功要因のひとつのようです。Moore博士も成功要因にあげられていました。EAについても目的に応じて必要なところを経験主義的に取り入れているようです。
こういった違いも理解したうえで英国から学ぶことも大いにあると感じた次第です。

5.おわりに

これまでの英国訪問は企業におけるエンタープライズ・アーキテクチャ(EA)の実践事例やEAの最新動向を知るためであった。そういった最新のICTや利用者視点のサービスデザインといった新しいデジタルサービスから最も遠いと思っていた公共サービスにおいて英国政府が世界をリードしていることを知り驚きました。日本でも有名なエストニアを入れたデジタルガバメント先進5か国で2014年12月にD5(5 World leading digital government)London Summit を開催してD5宣言を採択しています[17]。そのなかで「デジタル開発」における「住民視点」や「オープンスタンダード」「オープンソース」、さらに「子供にコードを教える」ことなどを原則としています。私たち日本は、どちらかというとICT先進国としてアメリカやシンガポールを見がちでしたが、「D5」や「オープンガバメントパートナーシップ」[18]に見られるように各国政府の経験を交換する英国の国際ネットワーク構築力には学ぶところがあります。
帰国して知ったのですが、英国貿易投資総省は英国企業の海外への進出や輸出振興とともに英国市場への海外企業の進出、輸入の振興にも力を入れています。私たちが面会したMoore博士も6月に来日してスタートアップ企業にとって、英国がいかに魅力的なビジネス拠点となり得るかをアピールしました[19]。
駐日英国大使館主催の「日英イノベーションビジネスコンテスト」 Japan-UK Tech Awards 2015が8月14日まで募集[20]をしており、その審査員も務めておられます。

英国政府は、このような施策を通じて海外のベンチャー企業を英国内で起業させて雇用を生み出して成長させて、そのベンチャーの出身国市場に逆輸出展開するという戦略なのです。このような英国のイノベーションは米国のそれとはアプローチが異なるようです。
歴史の浅い米国は執拗に「Change」に拘り、現実より未来に重点を置きます。一方、長い歴史と伝統のある英国は「Origin」である自分たちの現実から出発するというのです「21」。
日本はこれまで米国流の「Change」を重視してきましたが、英国流の「Origin」を知った上での「Original」なイノベーションにも学ぶところがあるようです。

(参考文献)

[1]情報サービス産業白書2015
http://www.jisa.or.jp/publication/tabid/272/pdid/wp2015/Default.aspx
[2]Government Digital Strategy
https://www.GOV.UK/government/publications/government-digital-strategy
[3]行政&情報システム 機関紙 2015 Vol.51 6月号デジタルガバメントのグローバルリーダー・英国の新たな挑戦─GDSが目指すユーザー本位の行政サービス革命─
[4]Digital by Default Service Standard
https://www.gov.uk/service-manual/digital-by-default
[5]One Year On:Implementing the Government ICT Strategy
https://www.GOV.UK/government/publications/one-year-on-implementing-the-government-ict-strategy
[6]Digital Transformation
https://www.GOV.UK/transformation/exemplars
[7]GDS business plan April 2014 to March 2015
https://www.GOV.UK/government/publications/gds-business-plan-april-2014-to-march-2015/gds-business-plan-april-2014-to-march-2015
[8]MOD Architecture Framework
https://www.GOV.UK/mod-architecture-framework
[9]European Interoperability Framework for pan-European eGovernment services
http://ec.europa.eu/idabc/en/document/2319/5938.html
[10]Dashboard G-Cloud
https://www.GOV.UK/performance/g-cloud
[11]Local government digital issues are not GDS' responsibility, says Liam Maxwell
http://www.computerworlduk.com/news/strategy/local-government-digital-issues-are-not-gds-responsibility-says-liam-maxwell-3590750/#
[12]Digital Marketplace
https://www.GOV.UK/digital-marketplace
[13]G-Cloud Framework Overview and Buyers Guide
http://ccs-agreements.cabinetoffice.GOV.UK/sites/default/files/contracts/4204-14%20G-Cloud%20buyers%20guide%20Apr15_0.pdf
[14]Government Service Design Manual
https://www.GOV.UK/service-manual
[15]MOJ Digital
https://mojdigital.blog.GOV.UK/category/digital-strategy/
[16]itimインターナショナル
http://itim.jp/
[17]Open Government Partnership
http://www.opengovpartnership.org/
[18]D5 London Summit
https://www.GOV.UK/government/topical-events/d5-london-2014-leading-digital-governments
[19]英国のスタートアップ支援体制とは
http://special.nikkeibp.co.jp/as/201501/innovation_is_great/great3.html
[20]駐日英国大使館主催 日英イノベーションビジネスコンテスト Japan-UK Tech Awards 2015
http://www.innovationisgreat-jp.com/events/jp-uk-tech-awards-2015/
[21]英国式イノベーションは「起源」から出発する。
WIRED(ワイアード) vol.16 2015年6月号

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