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「映画で考えるファイナンス(その2)」

2011.05.02 さくら情報システム株式会社  遠山 英輔

 3月号で「映画で考えるファイナンス(その1)」を掲載いたしましたが、4月号は震災特別記事でお休みをいただいて、今月からの再開です。 改めて、よろしくお付き合いのほどをお願いいたします。

 シェークスピアの「ヴェニスの商人」の第一幕一場に、このようなアントニオの台詞があります。

 「ぼくの投資は何も一つの船にかかっているわけではない。取引先も一箇所だけではない。それに全財産が今年の商いの運不運に左右されるわけでもない」

(新潮文庫 ヴェニスの商人 福田恒存訳 昭和52年11月10日18刷より引用) 

 ファイナンス理論はおろか基本的な統計・確率の概念さえも確立していない時代なのに、リスク管理(ポートフォリオ理論)の精髄を体現した台詞ですね。映画の製作委員会の話も銀行や保険の起源も、本質的にこの言葉で語りつくすことができると言ったら少し大袈裟かもしれませんが、今回はそういうお話をしてみようと思います。

 海運の都、ヴェニスがルーツというわけではありませんが、Bank(銀行)の語源はイタリア語のBanco、すなわち棚とか記帳台というのがもともとの意味だそうです。金貸しが広場とか大きな建物の中に机をおいて営業していたのが、そもそものルーツとのことです。(いまひとつ定かではないのですが、船主とか海運業者も同じような執務スタイルだったというのを何かの本で読んだ記憶もあります。)こうした業者が支払い不能に陥ると、すなわち破産とか難破などの事態になると、机を壊してそれを知らせたといいます。そこで、机(Banco、Bank)を壊す(rupt)で、破産(Bankrupt)という言葉ができたわけです。ヴェニスの商人では、このアントニオの船が難破してその借金のカタに、親友のバサーニオがユダヤ人の金貸しのシャイロックに1ポンドの肉を切り取らせるという証文をめぐる裁判がストーリーの骨格になります。最初はアントニオの机が壊されたことだと思いますが、裁判の後にはシャイロックの机もこれまた盛大に壊されたことでしょう。

 時は流れて、17世紀のイギリス、ロンドン。当時のクールな飲み物、コーヒーを供するロイズコーヒー店は、海上保険の引受人(アンダーライター)のたまり場になっていました。そしていつしか、店はこの机を置く場の機能を担うようになりました。これが、「われわれは個人としてアンダーライターですが、全体としてはロイズです」という、世界最大の保険市場でもある「ロイズ」のはじまりになります。(ロイズ 日経新書335、木村栄一著 P.21)このロイズの真髄も、非常に大きなリスクを分散して負担するというところにありますが、これは今日の映画の製作委員会方式でもしっかりと受け継がれているわけです。
 実際、このロイズは普通の会社では引き受けられないようなリスク、素人はもちろん相当のプロでもなかなか引き受けられないようなものもきわめて柔軟に引き受けてきています。例えばマレーネデートリヒの脚線美、ビートルズの声帯、他国に働きにゆく娘の貞操、など、アンダーライター個人の嗜好やナレッジに依存するようなもの、裕福な財産状況の中で一種のギャンブルとして引き受けられるようなものなどから、超巨額になる自然災害にかかる世界規模の再引受シンジケーションに至るまで、その態様も様々です。このように、アンダーライター個人の嗜好、射幸心、裕福な財産などに立脚しつつも、金融工学、リスク計量化などが成熟するはるか以前から、実に理にかなった方法で、ポートフォリオマネジメント手法によるリスク分散とコントロールをしているところは大変興味深いものがあります。

 さて、このように見てゆくと、図1(3月号の再掲)の映画の製作委員会方式というのも、こうした先人の知恵にのっとったものであること、リスクという観点で見たとき銀行、海運、保険などと共通項が多いこと、というより本質的にリスクコントロールという意味では全く同じことをしているといっても過言ではないことがお分かりいただけるのではないかと思います。

映画の「製作委員会」方式<
図 1 映画の「製作委員会」方式

 特に、ロイズコーヒー店と映画の製作委員会方式の良く似ているところは、その道のプロが中にいて高度なスペシャリティを有してマネジメントを行っていると同時に、そのビジネス自体に直接関わっているところでもあります。つまり、ビジネスの中に身をおいたプロ同士のネットワークの中で、ナレッジ(知見)を駆使したリスクマネジメントを行っているということです。これは、米国などでよくみられるエンジェルと呼ばれる投資家や、その次のステージで投資するベンチャーキャピタルの姿にも似ています。
 エンジェルは、ベンチャー企業に対してもっとも初期のステージで、資金面だけではなく直接にビジネスそのものを支援しながら(したがってその業界のナレッジやネットワークが豊富)成功に導き、莫大なリターンを得ようとする、言わばモノ好きで裕福な個人投資家です。また、もう少し事業が形をなしてきた次のステージで投資するのが、ベンチャーキャピタルですが、これは百に二つ当たればいいから、当たった案件は元本百倍になればよしという、リスクリターンとポートフォリオの発想で投資を行っています。ロイズも映画の製作委員会も両方の特質をもっていることは言うまでもありません。
 また、当然ながら、映画は数多く作られます。製作委員会のメンバーはもちろん、その下でプロジェクトに参画するさまざまな会社は、さまざまな映画に名を連ねています。各参加者もまた、まさしくアントニオではないですが、「ぼくの投資は何も一つの船にかかっているわけではない」というわけです。さらには、さまざまなナレッジやバックグラウンドを持って映画ビジネスにかかるさまざまなヒト、会社が、実はアンダーグラウンドでお互いにリスクを分散、共有しているという業界構造そのものは、まさにナレッジをもったアンダーライターの集団でもあるロイズの姿に他ならないと言えましょう。

 金融工学、リスクマネジメントはどんどん高度化していますが、基本的な方法論はやはりビジネス、業界構造などと切っても切れない関係にあります。ビジネスモデルそのものが、こうしたリスクマネジメントのフレームワークをいかに内包・具現化しているかが、個々の会社にとどまらず業界、産業の成否を決定づける鍵であるといえましょう。

 さて、今回のお話は、言わばナレッジを持っている「プロ」の「ネットワーク」によるリスク分散のお話でしたが、次回はプロとは情報格差のある「アマ」の人たちとリスクを分散することについて、少し話を進めてみたいと思います。これは(図1)の左下部分、証券化にかかる話です。

*本Webマガジンの内容は執筆者個人の見解に基づいており、株式会社オージス総研およびさくら情報システム株式会社、株式会社宇部情報システムのいずれの見解を示すものでもありません。

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