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2012年2月10日(金)

行動観察と社会心理学

第24回 効果的な説得的コミュニケーションのあり方をめぐって(6)-リスク認知とリスク評価の心理学-

 前回、リスク・コミュニケーションについて論じた。存在するリスクについて、被害をもたらす可能性のある立場の者も、被害を受ける可能性のある者も、被害から人々を守る責任のある立場の者も、関係者全員で情報交換と意見交換を行って、正確な理解を共有する取り組みが、リスク・コミュニケーションである。

 ただ、本来そうあるべき取り組みの姿とは異なってしまいがちであるところに、リスク・コミュニケーションの特徴と難しさがある。前回紹介したように、被害をもたらす可能性のある立場、あるいは被害から人々を守る責任のある立場の人間は、どんなにがんばっても一定のリスクは避けられないのが現実なのに、「人々はリスクはゼロであるべきだと期待しているに違いない(そんなの幻想なのに)と思い込む、いわば『ゼロリスク幻想』の幻想に陥ってしまいがちなのである。そして、そうした幻想・思い込みにとらわれると、実現不可能な課題を押しつけられたような気持ちになって、「安心」してもらうことを優先して、ついつい情報を操作したり、一方通行の説得的コミュニケーションを行ったりしてしまうことが、実態としては多くなってしまうことを説明した。

 よく安全と安心をセットにした表現をみかけるが、「安全」は物理的で客観的に危機が発生する可能性がない(極めて低い)状態を意味するのに対して、「安心」は心理的で主観的に危機が発生する可能性はない(極めて低い)と認知している状態を意味する。安全を実現すれば、安心は自ずとついてくるのだが、残念ながらリスクのない現実は存在せず、100%安全だとは保証できないのが実情である。その実情への共通理解を得ることよりも、安心だけはしてもらうことを優先してしまうところに、無理が生じるのだと言えるだろう。

 リスク情報を伝える側と受け取る側の「幻想のとらわれあい」とでも呼べる状態は、リスクに対する人間の認知メカニズムが生み出すものであることが指摘されている。まずは素朴なところから確認していこう。リスクの存在を認知するとき、我々はどんな心理に陥るのだろうか。この問題について、Slovic(1987)の報告した表1に示すような分析結果を中谷内 (2006) が紹介している。それによれば、リスクを認知するとき、我々が気にしてしまうのは、大きく分けて「恐ろしさ」と「未知性」の2つの要素であるという。具体的に考えてみよう。

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 地球温暖化がもたらすリスク情報に接したとき、我々はまず、それはどのくらい恐ろしいものか気になる。そして、それは「自分たちで制御(防御)できないものなのか」、「死に至る危険性があるのか」、「だれもが(自分も)被害を受けるものなのか」などと確認することになる。その答えがYESの場合、我々はそのリスクに恐怖を覚える。

 また、もうひとつ、そのリスクについて、どのくらいわかっているものなのかも気になる。こちらは、「目に見えるものなのか」、「あとから影響が現れるのか」、「科学的にもよくわかっているのか」などの疑問を覚え、情報を集めることになる。そして、答えがYESならば、直ちに対応を図ることになるが、NOの場合は、リスク認知は曖昧になり、不安は感じながらも具体的な対応はおろそかになりがちだ。

 このように我々はリスクの存在を認知するときに「恐ろしさ」と「未知性」の観点からリスクを評価して、対応する傾向を持っていると考えられる。このとき、リスクの「認知」から「評価」に移行していく過程で、注意を払うべき認知メカニズムが待ち受けている。それは、我々は自分が関心を持ち、詳しい知識や情報を持っていることがらについては、丁寧に吟味しながら理解する「中心ルート」の情報処理を行うのだが、さほど関心のないことや、よく知らないことについては、よく吟味しないで直感的あるいは情動的に情報処理を行う「周辺ルート」の情報処理を行う傾向を強く持っていることである(本コラムの第18回で紹介した説得的コミュニケーションの二過程モデルを参照されたい)。

 したがって、よく知らない(未知性が高い)ことで、恐ろしいリスク情報に接すると、「とにかく恐ろしい!そんなリスクはゼロにすべきだ」という感情的な反応になりやすいのである。特に恐怖は、我々が生命を維持するために、最も敏感に作動する情動であるから、リスクへの拒否的評価は強烈なものになりやすい。他方、リスク情報を伝える側は専門家であり、詳しい情報を身につけているため、中心ルートで冷静に丁寧に情報を吟味するので、リスク評価も理性的なものとなる。すなわち、リスク情報を受け取る側と、伝える側で、リスク評価に食い違いが生まれやすいのである。

 「ゼロリスク幻想」のとらわれあいの背景には、伝える側と受け取る側との間に、こうしたリスク認知および評価の心理プロセスの違いが働いていると考えられる。この違いを生み出さないためには、リスクを認知するときの未知性を低く抑える、すなわち、情報をより詳細に、科学的に伝えることが、重要な出発点になる。伝えられる情報が一面的で偏っていたりすると、話を受け取る側は、その情報を信用しにくいことが、社会心理学の実証研究で明らかになっている。十分に開示した詳細な情報を提示することは、伝える側と受け折る側が互いに信頼しあって、リスクへの対応を図っていくための基盤となる。

 とはいえ、やみくもに情報を垂れ流しにしたのでは、「恐ろしさ」の情動を強く喚起する危険性がある。情報の受け手が、冷静により深く理解してくれるような、情報提示の手順や方略を考える必要がある。これはリスク・マネジメントの手法に参考になる点が多い。もちろん、ごまかしや隠蔽が効果的な方略であるわけがない。情報を提示するとき、いかなる配慮が重要な鍵を握るのか、次回は、この問題について論じていくことにする。

<引用文献>
◆ 中谷内一也 2006. リスクのモノサシ-安全・安心生活はありうるか NHKブックス
◆ Slovic, P.  1987. Perception of risk.  Science, vol. 236, 280-285.
 

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