第46回 人間行動の直観的判断の不可解さと面白さについて(2)-「あと知恵バイアス」の影響-

2014.05.07 山口 裕幸 先生

 私は無類の野球好きで、ビール片手にナイター中継を観戦できれば、この上なく幸せでいられる人間である。ただ、ひいきのチームの試合運びがうまくいかないと、ついつい一人でぶつくさと文句を言い始める。先日もこんなことがあった。ひいきのチームが2アウトでランナー2塁のチャンスを迎え、バッターがヒットを打った。「やったー!タイムリーヒットだ!」と歓声をあげたのもつかの間、相手チームの強肩の外野手から矢のような送球が返ってきて、ランナーは本塁でタッチアウトになってしまった。そうなってしまうと、ついさっき自分が歓声をあげたことはすっかり忘れて、「三塁コーチはいったいどこを見ていたんだ。あの外野手の強肩はプロなら知っていたはずだ。判断力に問題があるんじゃないか」などと、批判したものである。まったくもって勝手なものである。もしも送球が少しそれてセーフになったりしようものなら、「あの三塁コーチはさすがだな。積極的で勇気ある判断が、強肩の外野手の手元を狂わせたのだ」などど、評価は180度異なるものになったに違いない。

 我々は、結果を知ったあとで、自分がよく知っているストーリーにあうように、その結果が生じた理由や原因を類推する傾向を持っている。そして、事前には知り得なかったことまで、あたかもあらかじめ知っていたかのような錯覚に陥った判断をしてしまうことがある。これは「あと知恵バイアス(hindsight bias)」と呼ばれる人間の直感的判断につきまとう特性のひとつである。このバイアスの影響を最初に指摘したフィッシュホフ(Fischhoff & Beyth, 1975)はこれを「私はずっと知っていた」効果("I knew it" effect)と呼んでいる。

 もう少し説明を続けよう。産業事故や医療事故が発生するたびに、被害者だけでなく第三者からも「そんなことも予見できなかったのか」とか「些細な異変でも常に厳正に的確に対処して来なかったから、事故につながったのだ」という批判がなされることが多い。しかし、実際のところ、我々は一瞬先のことでさえも、何が起こるかはわからないものである。わかれば苦労はしない。ところが、ことが起こってしまえば、自分が知っている事例を思い起こし、あたかも「あらかじめそうなることはわかっていた」という気持ちになってしまうのである。そしてその知っていた事例を参考に、事故が起こった理由を類推することになる。これが「あと知恵バイアス」である。

 冒頭に紹介したような一人で腹を立てているくらいの問題で済めばいいのだが、ほとんどの人々が知らず知らずのうちに「あと知恵バイアス」の影響を受けてしまうので、社会的な問題に深刻な影響をもたらす場合がある。例えば、農産物の輸入自由化を求める諸外国との交渉に臨む外交官が行った判断への評価は、「あと知恵バイアス」によって、ときに理不尽なものとなってしまうことがある。というのも「あと知恵バイアス」は、事前に自分がどんなことを考え、知っていたのかについては忘れてしまう効果を伴う。そして、人々が評価する側にまわったとき、外交官の判断にいたるまでの過程が適切だったのかどうかよりも、結果が良かったか悪かったかで、判断の優劣や的確さを評価してしまいがちである。交渉ごとは、相手の事情はもちろん、社会情勢の変動によって、過去には適切であったことが、新たな情勢のものとでは不適切なものになってしまうこともある。プロスポーツの選手が「とにかく結果がすべてですから」とコメントしている場面を良く目にするが、彼/彼女たちは、人々が「あと知恵バイアス」の影響から逃れられないことを経験的によく知っているのであろう。

 「あと知恵バイアス」は無自覚のうちに直感的に働いているため、その影響から逃れることは容易ではない。しかし、我々は日々の生活の中で、他者の行動を観察して評価することを繰り返し行っている。その評価は常に「あと知恵バイアス」によって歪められる危険にさらされており、気づかずに過ごせば自分自身の判断は歪んだものになっていってしまうだろう。職場でも学校でも家庭でも、歪んだ評価は歓迎できるものではない。できることならば、我々は結果だけで他者の行動を評価してしまいがちな認知スタイルを心ならずも持っていることを理解して、しばし冷静になり、その行動に至ったプロセスと事情までを考慮に入れて評価するように務めて、歪んだ評価に陥る心理的罠に安易にかからないようにしたいものである。

<引用文献>
Fishhoff, B., and Beyth, R. (1975). I knew it would happen: Remembered probabilities of once future things. Organizational Behavior and human Performance, 13, 1-16.

※先生のご所属は執筆当時のものです。

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