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2014年10月2日(木)

行動観察と社会心理学

第51回 やるべきことを先送りしてしまう心理的罠から抜け出せるものだろうか-「双曲割引」の意思決定バイアスの克服法をめぐって-

 前回、夏休み終わりの頃にたまってしまった宿題のように“やるべきことを先送り”したり、ダイエット中なのについショートケーキの誘惑に負けて食べてしまうように“我慢すべきことを我慢できずにやってしまったり”するのは、「双曲割引」の意思決定バイアスが、誰の心にも働いているからであることを説明した。さて、気になるのは、この誰もが経験する心理的罠ともいうべきバイアスを克服するには、どうすればいいのか、という問題だろう。

 既に紹介したように、アリストテレスの時代から、多くの哲学者たちが「ある行為を悪いと知りつつ、欲望のゆえにそれを行ってしまう性向」をアクラシア(akrasia)と呼び、人間の矛盾した行為が発生するわけを洞察してきた。この洞察の営みは、多様な観点から「人間性」を理解するうえで貴重な示唆をもたらした。そして実証科学的検討によって、多かれ少なかれ、誰もがこの心理的罠の誘惑にさまよい込む傾向を持っていることも明らかになってきた。こうした洞察や科学的検討の結果は、「双曲割引」の意思決定バイアスが、元もと人間が持っている認知システムに基づいて自動的に発生するものであり、この発生自体を抑えるのは難しいことを示している。

 となれば、克服するための方法は、自分で自分の意思決定をコントロールする「自制」にかかってくることになる。しかし、これはちょっとした矛盾を含む対策である。そもそも自制できるのであれば、そんな誘惑に負けることはないのだから。したがって、大事なのは、誘惑に負けやすい人間が、いかにすれば自制を身につけることができるかという点だろう。

 このとき、鍵を握っているのがベナボーとティロールが指摘している「自己シグナリング(self-signaling: Benabou & Tirole, 2004)」という認知行為である。これは自分自身の行動や選択をいつも振り返ることで、自分が「双曲割引」の意思決定バイアスにどのくらい誘惑されやすいか、どれくらい自省できるかを、常に振り返って確認する行為を意味している。いきなり克服するというわけでなく、この手の誘惑に対する自分自身の対応力をよく知るところから始めようというわけである。

 とはいえ、誘惑に対する自分の弱さをよく知ったところで、簡単に誘惑に打ち勝てるわけではないだろう。やはり工夫が必要だ。この克服法として、冷静になって長期的な利益(あるいは損失)と目前の利益(損失)とを比較するようにすることがあげられたりする。確かに、日本人の多くが、「今ぜいたくをすること」を我慢して貯蓄をしっかりするのは、将来の生活をみじめなものにしたくないと長期的な利益が脳裏を横切るからだろう。ただし、これは心身にゆとりがあるときにはできても、疲れているときや急いでいるときには難しくなる。心身の疲れは意志力を枯渇させてしまい、バイアスについ誘惑されてしまうのである。だれでも疲れるときはある。私自身を振り返ると、疲れた夕暮れ時こそ「この一杯のビールを我慢して、生きている意味があるのか?」とさえ思うものである。

 では克服への道は絶望的なのかというと、そうでもない。早くそれを言えという声が聞こえそうだが、特に目新しい方法ではない。自制心が強いと感じられる人は、すでに意図的にやっていることだろう。それはコミットメント(commitment)の心理を生かした方法である。自分の考えや意志を他者に表明する行為がコミット(commit)であり、そこから自分自身を縛るとか必ず約束を果たすと誓約するといった意味が派生している。我々は、自分の目標を周囲の人々に公言すると、それは約束となり、なんとか公言したとおりに頑張ろうという気になる。発言だけでなく、他者に行動を見られたり知られたりすることも同様の心理につながる。この心理を応用して、自分が誘惑に負けたくないことを目標にしてコミットすることで、自分なりのいつも気になるルールを心の中に生み出すのである。自分のパーソナル・ルールをしっかり持つことは、誘惑に対応する自制力の強力な応援団になることが多い。

 具体的には、自分の夢や目標(3kg減量する、TOEICのスコアを30上げる等)を周囲の人に話すとか、クレジットカードやキャッシュカードは財布に入れておかないとか、お菓子は小袋入りのものに限定するとかの工夫があげられるだろう。テレビドラマの好きな私の妻は、いくつもはしごして見てしまうのを自制しようと、連続ドラマの初回をわざと見ないようにして効果をあげているようだ。

 気をつけたいのは、自分自身をあまりに強く縛るようなことは逆効果であることをよく知っておくことである。ひとつのことにあまりにとらわれることは、強いストレスにつながりやすい。強いストレスのために幸福な生活を台無しにしてしまったのでは元も子もない。たまには「自分へのご褒美」として自分のルールを一日だけ破ることを許すことも、長期的に考えると目標達成の促進力になることもあるだろう。また、あまり大きな目標も望ましくない。実現可能な目標をスモールステップで達成していくように、自分で考えてデザインすることが、心身のゆとりを確保し、心理的罠の誘惑に負けない自制力の源を枯渇させないですむことにつながるからである。私自身の生活を振り返ると、心身に加え経済もゆとりのない生活を送っており、心理的な罠にはまり放題の状況を呈している。反省して、まずはゆとりを取り戻すところから始めなければなるまい。

<引用文献>
Benabou, R. and Tirole, J. (2014). Willpower and personal rules. Journal of Political Economy, 112(4), 848-886.

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