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2016年4月22日(金)

行動観察と社会心理学

第69回 信頼性の高い行動観察を行うために(3)-人々の行動に表れる「社会への信頼」-

 強い地震が熊本を襲った。戦国時代から偉容を誇って来た熊本城の石垣が次々に崩れ、雄大な阿蘇の麓をドライブするときに渡ったことのある阿蘇大橋が崩落してしまった映像に、筆者は呆然とし、自然の脅威を改めて思い知らされている。

 メディアの報道からわかるように、被災した人々は不安や恐怖、寒さに耐えながら、互いに寄り添い支えあっている。水や炊き出しの食料を求めて長蛇の列を作り、我慢強く順番が来るのを待つ人々の映像が報道されている。
 困難に直面した状況でも、パニックに陥って暴動に走ることなく、規律を守り、助け合う行動は、日本ではごく自然に見られるものである。しかし、そうではない国や地域も世界には多い。むしろ、日本人の落ち着いた行動に驚きの声があがることさえ多いのである。なぜ、日本では、暴動に走ることよりも規律正しく行動することを人々は選択するのだろうか。

 この問いに対しては、様々な答えがありうるだろう。信頼性の高い行動観察を行おうとすることは、その様々な答えの中から的確なものを選び出せるようになることを意味する。今回は、被災された方々の規律を守る行動に着目して、多くの人々がまとまりとなって見せる群集行動の背景でどんな心理が働いているかについて考えてみたい。

 まず素朴に思い当たることとして、日本の文化に原因があるのではないかと考える人は多いのではないだろうか。その推測は正しいのか検討するとき参考になるのが、欧米諸国と東アジア諸国(日本や韓国、中国等)とでは、自己概念(かみ砕いて表現すれば、自分はどのような人間であるかという問いに対する自分なりの答え)に違いがあると指摘している社会心理学の研究である。

 Kitayama & Markus(1994) は、欧米文化のもとでは自分を独立した存在として説明しようとする人々が多いのに対して、東アジア文化のもとでは、自分自身を周囲の他者との関係性で説明しようとする人々の割合が多いことを報告している。そして、欧米文化では相互独立的自己観が主流であるのに対して、東アジア文化では相互協調(依存)的自己観が主流であるという特徴があると主張している。

 この研究知見は、日本文化のもとで生まれ育った人々は、自分と他者を、互いに支え合う存在であるという前提に立って捉える傾向があり、体は別々でも心は通じ合っているという感覚を持ちやすいという推測へとつながっていく。この観点に立てば、被災した者どうしはもちろん、被災しなかった者も含めて、皆で心を寄せ合って一緒にがんばろうという気持ちを持つことができる素地が、日本文化のもとで生まれ育った人々の心の奥底に根づいていると考えることもできるだろう。

 文化と並んで、社会規範の影響にも行動の原因を求めることができるかもしれない。社会規範は、社会生活を営む上で、一人ひとりが守るべきルールのようなものである。ルールといっても、法律のように文章になって明瞭に表現されているものというよりも、人々が共有している価値観も含んだ、言うなれば「その社会の暗黙の掟」に近いものを意味する。

 例えば、「たくさんの人と一緒にいる場では、携帯電話を使って大声で通話をすることは控えるべきだ」という規範は、「周囲の人々に迷惑をかけてはいけない」という価値観が大多数の人々に共有されていることによって成立している。そして、その社会で生活する人々の行動に影響を及ぼしている。社会規範は人々の行動をひとつのまとまりある方向へと束ねる役割を果たすものといえるだろう。

 もうひとつ異なる観点からも考えてみよう。それは、社会への信頼という観点である。対象を特定したうえで、それを信頼できるかどうか判断することは比較的容易である。親友や家族、老舗の商店や会社は信頼しやすいが、未知の人や商店・会社はそう簡単に信頼することはできない。

 では、自分の周囲の不特定多数の人々、すなわち社会や「世の中」を信頼できるかと問われたらどうだろうか?「この商店街では子どもやお年寄りが安全に安心して歩けるように自転車は降りて押すようにしよう」という取り組みが始まったとしよう。あなたの周囲の人々は、どのくらいの割合の人が素直に自転車を降りて押すようになるだろうか?

 その答えは、自分の周囲の不特定多数の人々に対するあなたの信頼の程度を表していると言える。もし「ちゃんと自転車を降りて押す人はごく僅かだろう」と思うならば、その人は自転車を降りて押すことは骨折り損な無意味なことだと感じてしまうだろう。逆に、「多くの人が自転車を降りて押すだろう」と思う人は、自分もそうすることは正しいことで、社会に役立つことだと感じるだろう。

 突然の地震による苦境にあっても、救援の水や物資を待って、整然と列を作る人々は、皆がその規律を守ると信じることができるからこそ、もっと具体的に言えば、自分だけ得をしようと、割り込みをしたり、余分に水や物資をせしめようとしたりする人はいないだろうと思えるから、長時間の行列にも規律を乱すことなく堪えることができるのだと考えられる。このような多くの人々が規律を守る行動の背後には、一人ひとりの心の奥深いところで、周囲の人々への、そして社会への信頼が働いているといえそうだ。

 もちろん、その信頼を裏切る行為が見られると、怒りとともに、自分も利己的に振る舞おうとする人たちが増えてきてしまうことも予想される。この可能性については、本コラムの第2回で紹介しているので、興味のある方は参照して欲しい。今回はここで一区切りとして、次回も群集行動の背景で働いている心理学の問題について、さらに考えていくことにしたい。

<引用文献>
Kitayama, S. E., & Markus, H. R. E. (1994). Emotion and culture: Empirical studies of mutual influence. American Psychological Association.

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