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2016年9月8日(木)

気づきコレクション

「わからない」に触れる価値

 研究員の海老原です。
「最果タヒ」さんという方をご存知でしょうか。関西出身の現代詩の詩人さんで、多くの文学賞を受賞されています。以前から気になっていましたが、この春に新刊が出ると聞き、これを機会にと購入しました。

 読んでみると、期待を遥かに超えて、彼女の詩に非常に感銘を受けた訳ですが、それは置いておいて…

 彼女の詩は決してわかりやすいものではないため、向きあおうとすると、その言葉のひとつひとつを丁寧に追いかけるように読んでいかねばなりません。何度も同じ詩を読み返したり、言葉の意味に思いを巡らせてみたり。とても薄い本なのに、2週間たっても、読み終えることが出来ません。
こんな風に本を読むことが久しぶりだと感じました。いつの間にか、大量の情報であふれるネットのニュースや記事を、ざっと読み飛ばすクセがついていることに気づきます。
 

 認知の働きのひとつに、「選択的注意」というものがあります。
たくさんの情報が溢れている環境では、その人にとって重要だと認識された情報のみを選んで注意を向けるという認知機能のことです。

 最近、情報処理の方法として、この「選択的注意」が常に働いているような気がしています。どんな選択かというと、自分にとって「わかりやすいもの」だけを選ぶという選択。「わかる」とはつまり、理解できるもの、共感できるもの、パッと見て判断できるもの…。一度にたくさんの情報を処理するという目的においては、「わからない」情報に手を出すことは非効率です。だから自分が「わかる」ことの前後にある、考える負荷のかからない情報ばかりを拾っているのではないか。そんな疑問がわいてきました。

 これはSNSの世界でおこっている現象とも似ています。気に入らない、自分と反対意見の人は簡単に「切って」しまえる。フォローをやめてしまえばよい。そしていつの間にか、自分に似た意見の人ばかりのコミュニティが出来て、タイムラインは、似たような意見で埋まっている。同じようなことが、ひょっとして、あなたの頭の中でもおこっていないでしょうか。

 このような情報選択をしていると、既存のフレーム(考え方)を強化してしまうリスクが高まります。
周囲もまるで自分と同じ考えを持っているかのように見え、視野が狭くなり、柔軟性は失われてしまうでしょう。気づかずにそうなっているとすれば、とても怖いことです。市場や顧客を見誤ることにもつながります。

 このリスクを回避するためにも、ときどき時間をつくって、意図的に「わからない」ものに触れてみるのはどうでしょうか。
価値観が違う、理解できない、と感じている異なる世代の人とゆっくり話す機会を作ってみたり、いつもは読まないジャンルの記事を少し頑張って読んでみたり。前衛的なアートに触れてみるのも一興です。
結果として「わかる」にならなくとも、その行動によって先入観や固定観念は少し緩み、リフレームへの第一歩を踏み出すことにつながる、私はそう考えています。

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