第15回 モノやシステムの本質を把握する(5)

2017.08.22 山岡 俊樹 先生

 我々は通常、1日、3回、朝、昼、晩と食事をするので、お昼頃になると食事のことが気になり、そわそわしだす人がいる。別に、お腹が減っているわけでもないが、行くべしと自動的に行動を起こしているようである。江戸時代は1日2回しか食事をとっていないと昔、本で読んだことがある。健康には3回が良いのであろうが、人によっては回数にこだわらなくても良い場合があるだろう。昔、お袋から夏に黒い服を着ていると、夏は白い服に決まっていると言われたこともあった。高級レストランに行くには、ジーンズではまずいとよく耳にする。超高級レストランならばいざ知らず、高級レストラン程度でもこざっぱりしたジーンズならば、良いと思うのだがどうだろうか?我々の行動を規定している見えない慣習などの制約条件が意外と多いのに驚く。

 厳密に調べたわけではないが、どうも歴史の潮流として、習慣などの様々な我々の行動を制約している条件が、時代と共に緩やかになっていると考えている。これは人々の教育レベルが高くなり、合理的に考えることができるようになった為かもしれない。この合理的というのは、いろいろな意味を包含しているが、これらの場合、快適という基準で判断されているようだ。

 最近、シャツ裾をボトムスに入れていない人が増えてきている。実際、入れるよりは外に出したほうが、開放感があり気持ちが良く快適である。カジュアルなシャツではなく、ビジネス用のシャツをそのように使っている人もよく見かける。約10年前、国際会議で発表のため中国・北京を訪問した。夏ということもあったが、見かけた現地のサラリーマンのほとんどは、シャツ姿でネクタイをしていなかった。それから数年後の夏、表参道で本格的な観察をしたとき、シャツ姿のサラリーマンの内、半数がネクタイ着用であった。いずれにせよネクタイ着用者は確実に減少しているようである。

 国際会議の懇親会で、米国の場合、ほとんど最初の挨拶がなく参加者は勝手に飲食をしている。一方、アジア系の場合は、最初に関係者の長い挨拶があり、これが終わってから参加者は飲食を始めている。挨拶の内容は挨拶する人の所属組織のPRが多い。懇親会の本質は参加者同士の懇親なので、この観点から考えれば、面識のない者同士を知らしめるのに時間を割くべきであろう。

 但し、慣習でもお祭りは、以上の論点とは別で合理性→快適性を超えた文化的価値のある催しである。慣習に関して、それが我々にどういう影響を与えているのか、原点に立ち戻り構造的に判断することも大事であろう。

※先生のご所属は執筆当時のものです。

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