第91回 エスカレーターで片側をあけて乗る行為は危険なのになぜ無くならないのか-社会心理学的視点で素朴な疑問に向き合う②-

2018.02.27 山口 裕幸 先生

 20年以上も前のことであるが、筆者の住む福岡市内の書店のエスカレーターに、妻と2人で横に並んでおしゃべりしながら乗っていたところ、後方からエスカレーターを歩いて登ってきた男性から「左側に寄って乗ることも知らない人は田舎者ですよ」とたしなめられた経験がある。自分が田舎者であることは十分に自覚しているので即座に詫びて左側に寄り、右側をあけて、その人を通したが、「そんなに急いでどこに行く?」と軽く反発を覚えたものだった。

 私をたしなめた男性は、急ぐ人のために片側をあけておいてあげるのは、ひとつの社会的マナーあるいはエチケットであって、正しいことだという認識を持っていたのであろう。片側に寄って乗るという行動が普及した背景には、他者の都合を配慮してあげるべきであるという社会規範が働いていることは想像に難くない。

 しかし、現在では、急ぐためにエスカレーターを歩いて登り降りすることは非常に危険であることが、各種交通機関や商業施設で注意喚起されている。ときに大きな事故やケガにつながることがあるからである。片側を空けていても危険な行為を助長しているだけのことなので、やめてしまえばよさそうなものである。1人ずつで乗る場合にも、どちらか片側に寄るのではなく、ジグザグになって乗れば、安易で危険な登り降りを防ぐことになって良いのではないかと思われる。

 しかしながら、各種交通機関や商業施設における注意喚起にもかかわらず、片側を空けてエスカレーターに乗る行動様式は、なかなか変わらないようである。福岡のような地方都市でも、朝夕の混雑時の地下鉄の駅や空港では、エスカレーターの乗り口に向かって左側に乗ろうとする人たちが延々と行列を作る光景を良く目にする。また、旅行や出張でキャリーバッグを引く人が多い東京・浜松町駅や新大阪駅では、エスカレーターに乗るまでにずいぶん待たなければならない人々の光景に出会う。

 危険なエスカレーターの歩行行為を誘発し、しかも乗るのに行列を作って待たねばならないような非効率的な状況を作り出しているのに、我々はエスカレーターに乗るときなぜ片側に寄ってしまうのだろうか。この疑問について考えるとき、一般社団法人日本エレベーター協会が2017年3月21日付けで公表した2012年から2016年まで毎年行ったアンケート調査の結果が興味深い(http://www.n-elekyo.or.jp/docs/20170321_elecampaignquestionnaire.pdf)。その結果によれば、「エスカレーターを歩行していて(登ったり降りたりしていての意味:筆者補注)人とぶつかったことがある」という回答者は全体の3割弱であり、「人やかばんなどがぶつかり危険だと感じたことがある」人は6割弱もいて、「エスカレーターの歩行はやめた方がよいと思う」人は全体の7割前後にものぼっている。この回答結果は5年間ほぼ変化が見られない。つまり、ほとんどの人が、エスカレーターを歩いて登り降りすることは危険だと認識し、やめた方が良いと思っているのである。

 ところが見逃せないもうひとつの結果がある。「エスカレーターを歩行してしまうことがある」と回答した人が全体の8割以上を占めているのである。この回答結果も5年間ほぼ変化がない。実際のところ、ほとんどの人がエスカレーターを歩いて登り降りしているのである。

 こうした結果をまとめてみると、我々がエスカレーターを利用するときの態度は、「危険だとはわかっているが、誰でも急ぎたいときはあるし、自分もそうだから、やはり片側は歩いて登り降りしやすいように空いている方が都合は良い」という考え方に基づいている可能性が高い。さらには、我々は、急いでいるときは、人は気が立って攻撃的になりやすいこともわかっているから、下手に通路をふさいで叱責されたりしては気分が悪いという思いも働く可能性がある。しかも、他の人たちも、みんな一緒に片側に寄っているのに、自分ひとりがその調和を乱して、白い目で見られるようなことがあってはいけないという同調行動の心理メカニズムが働く場合もあるだろう。

 「危険だとはわかっていても、便利だからついついエスカレーターを歩いて登って(降りて)しまう」という心理は、「地球温暖化につながることだとはわかっているが、ついつい快適さを求めて、エアコンの温度を高く(あるいは低く)設定して強く効かせてしまう」とか、「駐輪禁止区域だとはわかっていても、そこが便利だから、ついつい駐輪してしまう」といった行為と共通する心理である。

 社会心理学的にとらえると、これらの心理は、個人的な利益(便利さ、快適さ)と社会全体の利益(安全、治安)とが対立する関係におかれる社会的ディレンマ状況において、我々が直面するものである。自分たちがすむ社会や地球環境を将来にわたって健全なものにしていくには、社会全体の利益を考慮して、個人的な利益の追求を少しずつ我慢することが理にかなっているのだが、ことはそれほど簡単ではない。

 どうしても、我々は「自分ひとりくらいは大丈夫だろう」とか「少しくらいのわがままは許されるだろう」と思って、行動してしまうからである。そのうえ、人から非難されたり攻撃されたりしたくないという心理や、とりあえず多数者と同調しておこうとする心理まで働く可能性があるため、エスカレーターに乗るとき片側に寄る行為は、思いの外、社会に根強く継承されていると考えられる。

 もとを辿れば個人の都合の良さから選択されている行動を、多数の人がそうしているからといって、社会的なマナーだとかエチケットだと位置づけることで、行動選択に潜む利己的な側面が覆い隠されてしまうこともある。素朴な疑問でも大切にして、注意深く考えてみることが大事だ。

※先生のご所属は執筆当時のものです。

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