ObjectSquare [2004 年 12 月号]

[OOエンジニアの輪!]

line OOエンジニアの輪!

OO エンジニアの輪 〜 第 29 回 鈴木 純一 さんの巻 〜

今回のゲストは 鈴木 純一 さんです。鈴木さんは、現在マサチューセッツ大学ボストン校 計算機科学学部で助教授をされており、分散ネットワークシステム及びソフトウェア工学の研究開発、教育に従事されています。今回は、CORBA やメタモデルといった技術的な話題から、日米の大学の違い等、アメリカでの研究者としての生活に根ざした興味深い話題まで、幅広くお話を聞かせていただきました。

 鈴木 純一さん
尊敬する人
特になし

-- 尊敬する人はたくさんいるんですが、例えば歴史上の人物をみて、ああなりたいなとか思えないんですよ。もっと身近にいる人を観察して、具体的にああいうところは自分にないから、自分もそうありたいなと思うことが多いですね。ですので尊敬する人は身近にたくさんいますが、著名人というわけではないので「特になし」ということにしておきます。
好きな言葉
「いつもいきいきとしていなさい」
(ゲーテ)

-- 「ファウスト」にある言葉だったと思います。仕事とはあまり関係ないんですけど、この言葉を見たときに、そうだな、そうありたいなと思いましたね。曖昧な言葉ですけど、いつも自分の中に持っておきたい一言だと思ってます。

現在のお仕事

-- はじめに、現在のお仕事についてお聞かせいただけますか?

今年の 9 月から、マサチューセッツ大学ボストン校 (University of Massachusetts Boston:UMass Boston) のコンピュータサイエンスの学部に勤めてます。 ここでは、分散コンピューティングとソフトウェア・エンジニアリングの研究をして、それを学生に教えるのが主な仕事です。 研究面では、Distributed Software Systems Group というのを立ち上げまして、プロジェクトをいくつか始めたところです。構成は今のところ 10 人弱の学生と数名のビジターといったところです。 教育面では大学院のコースを 3 つ担当しています。そのうち 2 つはソフトウェア・エンジニアリングに関するもので、もうひとつは特別講義・セミナーのようなもので、生物・生態のメカニズムを応用したコンピューティングというテーマを担当しています。

マサチューセッツ大学に来る前は、カリフォルニア大学アーバイン校 (University of California, Irvine:UCI) に 3 年半勤めまして、生物・生態におけるメカニズムを応用した自律性や適応性の高い分散システムの研究をしていました、


オブジェクト指向との出会い

インタビュー風景 その1

-- なるほど。鈴木さんは長らく日本で活動されていたわけですが、そもそものオブジェクト指向に出会ったきっかけは何ですか?

きっかけは C++ を触ったときですね。C との違いとして「クラス」というのがあると。で、「ふーん」と思ったのが最初だと思います。その直後にコード・ヨードン法や Booch 法の OOA 、OOD の本を読みまして、クラスを含めオブジェクト指向の概念をどう使うのかを理解しました。特に Booch 法の本にはお世話になりましたね。第一版も第二版*1も読みましたが、今読んでも勉強になる箇所がたくさんあります。僕にとって、人にモノを説明するときのお手本ですね。ちなみにこの本、Amazon.co.jp の古本コーナーで 30,000 円の値がついてますが、Amazon.com では 9 ドルから売りに出てますので、こちらの方がお得です。*2

あとは、Smalltalk/V という DOS の上で動く Smalltalk 環境を買ってきて遊んでいたのも懐かしいですね。C/C++ とまるっきり違う言語設計なので、驚きながら遊んでいて、この発想というか設計思想を思いつくところがすごいと感動しましたね。

もっと深くオブジェクト指向にコミットするようになったのは、以前働いていた創研プランニング(現・オブジェクトテクノロジー研究所)という会社でコンサルティングの仕事をしていたときです。上司の鎌田さんは、もともとドキュメント技術に興味を持って技術動向を追っていた人なんですが、その当時は複合ドキュメント (Compound Document) というのに興味を持っていました。 IBM と Apple が組んで OpenDoc を提唱したり、マイクロソフトが OLE を発表していた頃ですね。それで OpenDoc 周辺の技術動向を調査する仕事をしまして、 IBM の SOM/DSOM をベースにして「弁当アーキテクチャ」というのが作られているとか、 SOM/DSOM のクラスライブラリがどういう設計になっているとか、プログラミングモデルがどうなっているとか、そういったことを調べてました。こういう経緯があるので、複合ドキュメントは僕にとって特に思い入れのあるオブジェクト技術の応用例ですね。

SOM/DSOM の設計も印象的でした。美しいクラスライブラリを見て感動したのはあのときが最初かもしれません。メタクラスの設計と構成を勉強する良い題材にもなりましたね。概念的にしか知らなかったリフレクション機能を実際に手で触った貴重な体験でした。リフレクションというと、今では Java のリフレクション API から、少し前なら Lisp や CLOS から入っていくのが普通だと思いますが、僕の場合は SOM に勉強させてもらいました。残念ながら SOM は商業的には成功しなかったので跡形もなく消えてしまいましたけど、メタレベル・デザインに関する本は残ってまして*3今でも大切にしています。ちなみに SOM メタレベルのデザイナーだった Ira Forman さんは今年 Java のリフレクションに関する本を書きまして、これもいい本です*4

*1 Grady Booch, Object-Oriented Analysis and Design with Applications, 2nd Edition(翻訳本), September, 1993.

*2 インタビュー時点(2004 年 8 月末)の情報です。

*3 I. Forman and S. Danforth, Putting Metaclasses to Work, Addison Wesley, 1998.

*4 I. Forman and N. Forman, Java Reflection in Action, Manning Pub, 2004.

-- 鈴木さんというと、CORBA というイメージがあるのですが、分散オブジェクト技術に出会ったきっかけについても教えていただけますか?

上司の鎌田さんが当時 OMG(Object Management Group) に注目して、創研プランニングが OMG の日本での窓口になったのがきっかけです。 OMG の活動は仕事の上でもフォローする必要がありましたし、個人的にも強い興味を持ちましたね。この技術を日本の多くの人に伝えるというのも仕事でしたから、楽しくやっていました。今思えば、かなりたくさんの講演やセミナーをやりましたし、雑誌記事も随分書きましたね。多い時で一週間に一度、平均して二週間に一度は講演していましたし、雑誌記事もかれこれ 150 本くらい書いてます。

-- はじめて CORBA を見たときの印象について教えていただけませんか?感動したところなどございましたか?

さきほどの SOM/DSOM で、 DSOM は SOM の分散システム版なんですが、これを調べたり、その他ベンチャーの製品を評価したり、 CORBA 1.x の仕様を読んだりするうちに、これはソケットプログラミングとも DCE とも随分違うものでいいな、という印象が最初にありました。ポリモーフィズムが完全にできないとか細かいことを言うといくつかありますが、大体オブジェクト指向に近い形でプログラミングモデルが作られているところが印象的でしたね。あとは、同じプログラミングモデルに従いながら、違う言語でアプリケーションが開発可能で、それらが IDL インターフェイスを介して相互通信できるというのは魅力的でした。


メタモデルへの関心

インタビュー風景 その2

-- 鈴木さんは現在 UML や MOF などにお詳しく、講義もされているようですが、鈴木さんにとってのオブジェクト指向の根幹はどこにあるとお考えでしょうか?例えば、モデリングはいかがでしょうか?

僕にとってのオブジェクト指向の根幹は、フレームワーク設計とか、そういうところにあると思います。オブジェクト指向のいいところというか、美しいなと思えるのはフレームワークのようなものが多いですね。さきほどの OpenDoc とか、その昔 IBM が作ったタリジェント社というベンチャー企業のフレームワークなどには随分触発されました。ある程度の汎用性を持った枠組みがあって、色々なインスタンスが成果物として出てくるという、そういうものを見ると美しさを感じますね。

-- それが現在の MOF などへの興味と繋がっていますか?

一時期は CORBA 一辺倒で、分散オブジェクトのプログラミングモデルやデザインストラテジーに興味の大半がありました。その頃はモデリング技術がものすごく好きだったり、ものすごく詳しかったわけではありませんでした。当時は OMT や Booch、その他たくさんの表記法が提唱されていて、それをただ見ているだけという感じでしたね。UML に統一されるという話を聞いても、バラバラよりはそっちの方がいいだろうとは思いましたけど、それほどエキサイティングな印象はなかったです。

その後 OMG の仕事を辞めてカリフォルニア大学に勤務したんですが、そこでは生物や生態のメカニズムを応用したネットワークアーキテクチャの研究をしていました。ネットワークアプリケーションの構成要素はオブジェクトで、個々のオブジェクトは生物的な振る舞いをするんですね。例えばパートナーを見つけて子供を作るとか、移動するとか、エネルギー交換をするとか。そして、蟻の群れとか鳥の群れが全体として環境変化に適応していくように、ネットワークアプリケーションを環境変化に自律的に適応させたいわけです。ユーザアクセスが多くなるとアプリケーション・オブジェクトがユーザの方に近づいていくとか、リソース使用量が多くなると使用量の少ないノードへ移動するとか、あるノードが予期せずに落ちたら残っているノード上で動いているオブジェクトでカバーするとか、そういうアプリケーションですね。僕の主な仕事は、このネットワークアーキテクチャを設計して、それを支援するミドルウェアを実装・検証することでした。実装したミドルウェアは、基本的なネットワーク通信をする基盤部分の上にバイオロジカルなサービスとかメカニズムがのっていて、 オブジェクトがそれを適宜使うことで生物的な振る舞いを行うと、そういったものでした。

UCI にいる 3 年半の間に、学部生と大学院生を含めて 10 人ほどがこの研究に関与しまして、ミドルウェアの実装は最終的には 3 万行を超える Java のコードをかかえるまでになりました。で、1 万行を越えたあたりから、どうしてここのコードの設計がこうなっているのかを覚えていられなくなりましたね。誰かとディスカッションをした記憶はあるんですが、それ以上は全然記憶にないと。コーディングの前に初期設計をするときには UML を使っていたので、モデルとコードを見比べながら記憶を呼び覚ます作業をよくやってました。でもコード量が 2 万行を越えると、モデルとコードはシンクロしていないのが当たり前で、両者の間のトレーサビリティなんて夢物語という感じになってしまいました。開発環境に Eclipse を使っていたので、EclipseUML や Boland Together、Rational XDE など、いろいろ使ってトレーサビリティの最大化に随分格闘したんですが、ツールごとにうまくいかないパターンのようなものがあって苦労しました。自前のツールを作って試してもみましたが、やはり実用に耐える部分と耐えない部分の差が大きくて途中で挫折しましたね。こんな経緯から UML を、開発者間の設計コミュニケーションの手段としてだけでなく、up-to-date な設計を反映している記録として使いたいと強く思うようになり、より深くモデリングの課題についても考えるようになりました。

それから、当時研究していたミドルウェア上で動作するアプリケーションには色々なものがあって、例えば蟻の群れのように振る舞うものもあれば、単体で動くものもあります。あるアプリケーション・オブジェクトはエネルギー交換をして移動し、生殖しますが、別のオブジェクトは移動しかしないというようなこともあって、それぞれの非機能要件が異なるアプリケーションが同じミドルウェア上で動作するわけです。そうすると、いかにアーキテクチャとミドルウェアが汎用的に作られていても、オブジェクトの実装、設定、保守はかなり煩雑になってしまいます。そこでメタモデルをいかに効果的に使うかを考えるようになりました。生物的に振る舞うオブジェクトのメタモデルを用意して、それをカスタマイズすることでオブジェクトの実装、設定、保守にかかる作業量を減らしたいということです。この頃からメタモデリングに対する興味・関心は尽きないですね。

-- 鈴木さんにとって、オブジェクト指向技術というのは、はじめはフレームワークやアーキテクチャを実現するものだった。それから、それを表現していくためのモデル、そしてメタモデルへ発展していったわけですね。一口にオブジェクト指向技術といっても、関わり方によって果たしている役割が色々あるんですね。

そうですね。仕事が変わっていくたびに、オブジェクト技術が果たす役割の違う側面を見てこれたのは良かったと思いますね。


将来の技術動向

インタビュー風景 その3

-- そのようにしてオブジェクト技術を見てこられた経験から、これからのオブジェクト指向技術はどうなっていくと思いますか?

近い将来では、メタモデルへのフォーカスがより強くなっていくと思います。例えば、EMF(Eclipse Modeling Framework) や、NetBeans の上で動く MDR(Metadata Repository) など、メタモデルを管理、操作するためのフレームワークが活発に開発されていて、しかも無償で利用できるものが出てきているのが象徴的ですね。ツールが揃ってきたら、あとはメタモデルを使いこなせる開発者がどれだけ増えるかですね。これから数年のうちに、メタモデルを作ったりカスタマイズできるスキルや、UML プロファイルを作ったり使いこなすスキルが求められるようになると思います。

ちなみに、いま担当している大学院の講義では、モデル駆動型開発、メタモデリング、OCL(Object Constraint Language) を使った制約記述に重点をおいています。いまアメリカの大学を卒業する学生は大抵 UML モデリングも Java プログラミングもある程度できます。これは 5 年前なら重宝されるスキルですが、今それしか持ってない学生は就職に困るでしょうし初任給の額も期待できないですね。「君ら、もっと新しいスキルセットを持っていないと生きていかれないよ」と学生にハッパをかけてるところです。

メタモデリング以外だと、これも現在進行形ですが、オブジェクト指向とアスペクト指向の併用ですかね。

-- 先ほども非機能要件のお話がありましたね。

そうですね。アスペクトで非機能要件を、オブジェクトで機能要件をデザインして、両者をリンクしてネットワークアプリケーションを開発するということをしてました。

-- オブジェクト指向に限らず、将来のコンピューティング像についてもお話いただけますか?

どうなっていくかは分かりませんが、自然界や生態の周りでうまくいっている原則や概念を応用することで、自律的に環境の変化に対応できる能力を持った分散システムが欲しいです。そういうものが見たいというか、日常生活の一部としてそういうものを使ってみたいですね。ですので、そこに至るまでの各種課題をクリアすべく研究を進めていきたいと思っています。自律性と適応可能性はずっと追求していきたいテーマですね。


渡米のきっかけ

UMass Boston の風景 その1

-- 話は変わりますが、アメリカに来たきっかけについて教えていただけますか?

創研プランニングと、その後身である OMG ジャパンで働きながら、慶応大学の博士課程に在籍して学位を取ったんですが、そのときは免疫システムのメカニズムを応用した自律適応ネットワーキングの研究をしていたんです。そして博士号を取る少し前に UCI の須田教授から連絡を頂いて、UCI にリサーチャーとして来る気がないかと打診されたのがきっかけです。須田先生と初めてやり取りしたのはこの時より少し前でしたね。博士課程の研究で論文を書く時に、関連研究のまとめと自分の研究との比較を書く必要がありまして、関連研究を Web で探していたんです。そのときに須田先生がちょうど始めたばかりだった Bio-Networking Architecture のプロジェクトを見つけて、面白そうだったのでメールで連絡して論文を送ってもらったり、こちらの論文を送ったりしたのが最初のきっかけです。僕のように学位を取った後にリサーチャーとしてアメリカに来る場合、コネがきっかけになることが多いんですよ。博士研究の指導教官とアメリカ側の受け入れ側が知り合いだとか。僕の場合はコネなしで、ひょんなことから誘っていただけたので本当にラッキーでした。

-- アメリカに来ることに抵抗はありませんでしたか?

基本的にはありませんでしたね。ただ、直感的には「行ったほうがいい」と思ったんですが、しがらみというか、悩みというか、気を遣うことも色々ありましたね。その時に勤めていた OMG ジャパンは社員数名の小さな所帯でしたから、僕が抜けてしまって後の引継ぎは大丈夫かなと思ったり、勤め先を辞めて一緒にアメリカに来るようにうちの奥さんを説得したり、まぁそういったことです。それからビザの関係で、 UCI に勤める期間は最大 3 年程度ということを聞いていたので、大学で 3 年研究した後自分がどうなるのか、どうしたいのか、なども随分考えましたね。

-- 博士号を取る段階、もしくは取った段階で研究者としての道を進もうと決めていらっしゃったのですか?

博士号を取る段階では、研究者という職業を具体的にはあまり考えていなかったです。コンサルティングや OMG がらみで生業としていた分散システムやオブジェクト技術をベースにして、そこへ産業界ではまだ実践しそうにないアプローチを導入して少し新規性のある研究をやっていることが楽しくて、単純に知的に満足しているような期間だったと思います。ですから、学位を取ったらコンサルティングや OMG の仕事を続けて、名刺に「博士」の二文字が付くというのがデフォルトの選択肢かなと、そんな感じでした。もちろん専業研究者になるという選択肢も意識はしていましたが、そのために具体的にどうこうするわけではなかったです。

学位を取れそうな状況になったときに UCI からコンタクトがあって、よしカリフォルニアへ行こうと決めた時点では、ある意味、研究者としての道に入ったわけですが、それでもずっと研究者をやっていくかどうかは分からなかったですね。

研究することそのものは好きですし、学位を取る過程で十二分に刺激を受けたり、時には他人に刺激を与えたり、また高揚感を味わうこともできたので、研究を職業にすることには抵抗はなかったです。また、それ以前の仕事で、コンサルティングをしたり、あちこちで講演をしていた経緯から、他人を助けて何かを達成したり、何かを教えることが自分は好きなんだとも思っていました。ですので、UCI に来た時点でも、その後もどこかの大学に在籍して研究と教育を職業にしてみたいという希望は持っていたと思います。

ただ、自分がやっていけるかどうかが分からなかったというのが正直なところかもしれませんね。特にアメリカで研究者をやっていけるかは全く分からなかったので、UCI に来た時点でも、アメリカでこのまま研究者をやっていくかどうかは自分の中で決めていなかったと思います。そういう意味で、UCI にいた 3 年半で、アメリカで研究者をやっていくためのイロハを学ぶことができたのは非常に大きかったです。外部からグラント(研究助成金)を取ってくる作業や、学生の雇用、研究グループの運営など、日本の大学にはないシステムを目の当たりにできたことで、自分でもアメリカで研究者をなんとかやっていけるかなと思えるようになりましたね。須田先生は、この職種に対する良きロールモデルというか、お手本というか、そういう貴重な存在が身近にいたことで、アメリカで研究者をやってみようと思えるようになったと思います。


アメリカでの生活

UMass Boston の風景 その2

-- アメリカに来て苦労した点があれば教えてください。

仕事に関連したことでいうと、英語のライティング能力だと思います。頭で思ったことをさっと英語で書けるようになるのと、それがクリアで理解しやすくなるように練り上げる作業には苦労しました。今でも苦労することが多いです。日本での勤務先でも大量の英文資料に囲まれていましたし、博士号を取るときに海外で発表する機会も数多くあったのでゼロからのスタートではなかったですが、それでもアメリカ人と競争する土俵の上にいるとやっぱり苦労しますね。フォーマルなところでは、研究のプロポーザルを書く、論文を書く、講義資料を作る、学生の推薦状を書く、各種事務手続きのペーパーワークをこなす、といったところでしょうか。インフォーマルなところでは、メールを書くとか、ミーティングの議事録を書くとか。議事録なんて、日本語なら何でもない作業ですが、英文だと慣れないうちは書くのにものすごく時間がかかりました。あとは、フォーマルな場でもインフォーマルな場でも、読み手の琴線に触れる書き方みたいなものが状況に応じてあるので、それを身につけることとかですね。

仕事とは直接関係ないところで戸惑うことといえば、大学の事務部門の処理がものすごく遅いとか、日本的な感覚からすると責任感が全くないように見えるとか。あることを頼んだときに笑顔で分かった、来週くらいにはできると思うと言っていても、その週までにできてることはほとんどないですね。大体 3 日に 1 回くらい「あれはどうなりましたか」と確認を入れないと、思い通りにやってもらえないんですよ。あとは、アメリカでの生活全般で言えますが、窓口に行くと担当者によって言うことが違うことが多いですね。銀行、保険会社、電話会社、年金窓口、税金窓口、陸運局などなど、よほど単純な質問でない限り大抵人によって答えが違います。日本ではそういうことはあり得ないですよね。最初の頃はいちいち敏感に反応して疲れてました。今ではすっかり慣れましたけどね。窓口に行ってある人が「それはできない」と言っても、またしばらくして窓口に行って、別の人が座っているのを確認してもう一度聞いてみるとか。

-- アメリカに来てまず西海岸で生活されて、最近東海岸へ移動されたわけですが、西海岸と東海岸で感じる違いはありますか?

一方は人間が住まないと砂漠になってしまう南カリフォルニアで、もう一方はアメリカができたときから栄えているニューイングランド地方なので、随分違いはありますね。南カリフォルニアはすべてのものが大きく、比較的新しく、比較的安くて、ニューイングランド(ボストン)はすべてが小さく、古く、比較的高い、という印象があります。ボストンにはアメリカ建国からの歴史がそのまま残っているところが多々ありますし、築 100 年のアパートなんてザラなので、仕方ないといえば仕方ないですけれども。それからボストンでひどい思いをするのは車の運転ですね。ボストン周辺には綺麗に直角に交わる十字路が少なくて、大抵何か変則的なものになっています。センターラインが引いてなかったり、標識がなくても、ボストンでは驚くには値しないことですね。道路事情は本当にどうにかして欲しいと思ってます。カリフォルニアが簡単過ぎたということがあるかもしれませんけどね。

ボストンの良いところは、歴史の重みを感じる建物が多いところと、それと調和した木々や川、海辺が美しいところでしょうか。よく言われることですが、ヨーロッパの街のような雰囲気を感じるところが多いです。歴史の短いカリフォルニアから来たので特にその印象が強いですね。それから、音楽やミュージカルなどを鑑賞する環境がとてもよく整っています。ボストン交響楽団は有名ですし、ジャズクラブなども多いですね。また、バークリー音楽院という有名な音楽の学校もあります。もうひとつボストンの良いところは四季がはっきりしていて紅葉が綺麗なこと。南カリフォルニアには四季という概念がなくて一年中春のような感じなので、こちらにきて久しぶりに紅葉を見ました。食べ物に関していえばシーフードがおいしいですね。ロブスターやマグロのトロは絶品で、しかも安いです。ボストン近海で取れたマグロの大部分は築地へ直送されているそうです。

-- お休みの日はどのように過ごされていますか?

ジャズを聴くのが好きなので、さきほど言ったバークリー音楽院が主催するコンサートや、他のジャズクラブを開拓しているところです。ダイビングも好きなんですが、アメリカに来て一度もやってないのが残念です。

本を読むのも好きですね。 Amazon.co.jp に書評を載せたりしてます。最近は司馬遼太郎の本を読み直しています。一番好きなのは『坂の上の雲』かな。もう 3 回くらい読み直しました。日清、日露戦争を通して、明治維新後の日本が欧米列強に追いつこうと必死に「坂」を駆け上がって、目の前に近づいてきた「列強への仲間入り」という「雲」を掴もうとする過程を描いた小説ですね。あの作品が訴えていることのひとつには、坂の上にある雲はしょせん雲であって、実体はないから掴めるものではないということ、そして有能な人材を配置して莫大な資源を投入して坂を駆け上がったのに、その後の慢心と思考停止で簡単に坂を転がり落ちたということではないかと思っています。こういうニュアンスが特に作品の後半部分から強く出てくるところが好きで、僕にとっては読むたびに教訓をくれる 1 冊ですね。

村上春樹の本も好きですね。彼の本は全部読んでるんじゃないかな。僕は彼の小説よりもエッセイの方が好きで、お気に入りは『遠い太鼓』や『やがて哀しき外国語』かな。村上春樹のエッセイにある、旅の描写や食べ物の描写はすばらしいと思いますね。彼がアイルランドに行ってアイリッシュウィスキーのことを書いた文章を読むと、普段ウィスキーなんて滅多に飲まないのに無性に飲みたくなったり、パスタを作ったという文章を読むと自分でパスタを作りたくなってくるんですよ。


日米の大学の違い

UMass Boston の風景 その3

-- この記事を読まれている方の中には学生の方も多いと思いますので、日本とアメリカの大学の違いを教えてください。

文系の学部では勝手が違うと思いますが、コンピュータサイエンスに限って言えば、教員が大学院生を「雇用する」というシステムだと思います。アメリカには研究大学と教育大学の 2 系統がありまして、教育大学は教育を重視することから博士課程がなかったりしますが、研究大学では教員が外部から研究資金を調達してきて、そのお金を使って大学院生を雇うというのが当たり前になっています。自分の手持ちの資金の中から学生の学費と月々の給与、健康保険代も払い、学生はそれに対して研究を進めるというシステムです。

大学教員の仕事は基本的には研究をするということですが、自分で研究するのは当然やらなければならないことで、一方で大学院生と一緒にも研究します。そして自分の研究分野を広げたり、研究の量を増やしたり、自分の手の回らない所を一緒にやったりということをしています。ですから、ある意味で学生が自分の研究の原動力にもなるわけです。雇用が原則なので、いい研究をしていくにはいい学生を雇わないといけない。そうするとお金が必要になるので、アメリカの政府機関や企業に研究の提案をして資金を獲得することになります。アメリカ中の教員が自分のやりたい研究の提案を政府機関に提出していて、獲得できた資金の大半は学生に対する人件費に消えていってます。ですから、資金獲得と研究遂行がうまく回ることもあれば、悪循環に陥ることもあり得ますね。実際のところ、資金が底を尽きて学生を雇いきれなくなってしまい、学生が経済的に困った状況になったというようなことはあちこちで見聞きします。

大学側は、教員が資金を獲得すると約半分をピンハネするので、あの手この手を使って教員に資金獲得を奨励しています。例えばアメリカの大学教員は夏休み中給料がでないんですよ。でも外部資金を持っている場合には、その資金から夏休み分の給料を取ることができるようになっています。ですので、大学からは暖簾だけ貸してもらって、零細企業の経営をしているように思うことが多々あります。こういったシステムがおそらく日米の大学で最も違うことではないでしょうか。

-- そのようなシステムの違いは学生さんにも違いとして表れますか?

そうですね。学生の雇用というシステムがあるので世界中から学生が来ます。そして、このシステムを利用して研究成果も残していきます。結果として多くの技術者、研究者の卵を排出していくと。うまい流れになっていると思います。

学生の気質という点で言うと、雇用が前提ですから、押しの強い売り込みをしてくる学生が多いですね。この点で日本人学生は非常に押しが弱いです。例えば履歴書ひとつとっても、自分を売り込もうとしているとは思えない履歴書を書く人が実に多いし、面接でも聞かれたことしか答えないことが多いですね。奥ゆかしいからかもしれないし、自分のバックグラウンドや履歴を他人にアピールして何かを訴えたことのある経験が少ないからかもしれないし、学生の雇用というシステムが日本で広く知られていないからかもしれません。

ちなみに、アメリカの大学院は書類審査で合否が決まりますが、応募書類を提出する前にすでに自分の研究指導教員が決まっていることが多々あります。実際のところ、応募前に研究指導教員が決まっていれば、つまり雇用者が決まっていれば、ほとんどの場合合格するというのは公然の秘密でして、アメリカ人がアメリカ人読者を対象に書いた「大学院進学のススメ」というような本には大抵このことが書いてあります。ですから、学生からの押しには拍車がかかりますね。初めてメールを送ってくる段階で、僕がこれまでに書いた論文をすでにいくつか読んでいて、自分の今のスキルはこれこれで、これまでの経験はこれこれなので、こういう風にあなたの研究を発展させることができると思う、詳細は添付の履歴書を見てください、なんていう風に言ってくる学生がたくさんいます。その中から選んだ学生と面接すると、面接が終わる頃には短期的な研究計画がおぼろげにでき上がっていることすらあります。アメリカ人もヨーロッパ人も中国人もインド人も、このあたりは実にうまくやるんですが、日本人はここまで到達しないことが多いのが残念です。

一方で教員側の論理からいうと、こちらも苦労して獲得したお金を使って学生を雇ってますから、満足のいく研究結果がでるように細心の注意を払っています。週に 1、2 回はミーティングをしてきっちりガイダンスします。研究の細かいところに関してああしろ、こうしろというのではないんですけど、定期的に学生の尻を叩いて、自分の研究のことをじっくり考えさせるようにして、できるだけ多くのアイデアを出させて、そこから実になりそうなアイデアを選んで、研究の方向性が間違った方向に行かないようにチェックしています。いかに彼らのやる気を引き出すかも常に考えていますね。

日本の大学院では博士号が取れずに、何年も大学院に残ってしまう学生がいたりしますが、アメリカではあり得ません。雇用している以上、研究成果をきっちり出させて、平均的な年数で学位をきちんと取らせます。学位が取れない、見込みの無い学生は始めから教員に雇ってもらえませんしね。仮に研究成果の出せない学生や、どうしても学位が取れそうにない学生がいれば、クビの憂き目にあう学生もいます。


日本の皆様へのメッセージ

日本の皆様へのメッセージ

-- 日本の学生さんや若い技術者の皆さんへメッセージをお願いします。

さきほどの『坂の上の雲』の話になりますけど、常にどこかに「雲」が自分の上にあって、それに向かって「坂」を上ることがまず第一にやるべきことだと思ってしまう自分がいたら、その感覚を減らした方がいいと思います。アメリカに来て特に強く感じるようになったのですが、何か新しい技術や面白い技術は、どこか日本の外にあるという前提で、それは探すものだと考えている方々が多いように思います。アメリカの動向を見ることしかしていなくて、それが度を越してしまうと、それは向こう側に魅力的に浮かんでいる雲を見て、それをフォローしながら、そこへ向けて坂を上ることだけ考えているということになりますね。 雲を掴むこと自体を目標にするのは賢いとは言えないと思います。それではあまりに簡単に目標を見失ってしまいますので。いくらがんばって坂を上って追いついてみても、坂の上にあるのは雲であって実体があるわけではないし、下から見るとそこには何かがあるように見えるけれども、そこにたどり着いたとしても、何か即物的に手に入るものがあるわけではないし、もしかしたら雲があると思っていたところに行ったら雲はもっと上にあるのかもしれないですよね。

目標は「雲」に対して設定されるものではなく「坂」に対して設定されるべきだと思います。坂を上って雲に追いつこうとしているということは、坂がすでにどこかにあるという前提に立っていますから、すでにその時点で競争に負けていると思うんですよ。自分で坂を定義して、自分もそれを登り、他の人にもその坂を上らせると。そして何か自分の持っているものをその坂の上に雲として他の人に見せる。そういう風になりたいなと思いますね。坂を上るための坂上りをして雲を一生懸命掴もうとするような行為をするんだったら、エネルギーを他に使いたいなという風に思いますし、そういうアドバイスをしたいと思います。

それから、これはソフトウェア技術に限らず言えることですが、誰か有名な人がこういっているから事実はこうだとか、有名な雑誌がこう書いているから事実はこうなんだと早合点することが日本ではとても多いと思います。例えばニューヨークタイムスの社説にこう書いてあるからアメリカ全体がそういう世論に傾いているとか、ウォールストリートジャーナルにこう書いてあるから世論はこうなっているというようなことを書く日本のメディアは多いですよね。アメリカのメディアの権威を借りて自分の文章の論理を補強するようなことが往々にしてあると思います。でも、ニューヨークタイムスは常に民主党よりで共和党を賞賛することはまずないし、ウォールストリートジャーナルはユダヤ資本で経営されているのでユダヤ系に都合の悪い記事は掲載されません。ソフトウェア技術の世界についても同じことがいえて、アメリカには特定の技術に肩入れして記事を構成している雑誌がたくさんあります。そういう特殊なポジショニングを売りにして彼らは雑誌を売ってますから、特定の雑誌ばかり読んでかたよった内容を鵜呑みにしてしまうことのないよう、気をつけなければなりません。色々なソースからたくさんの情報を得て全体的に判断するというのが、アメリカのニュースソースと付き合う重要なことではないかと思います。

それから、僕の仕事についてまとめている Web ページがあるので、研究内容が面白いと思ったらどなたもぜひご連絡をください。URL を載せておいてくださいね。



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