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[OMT法 言いたい放題]


OMT法のお気軽な紹介を座談会風に語り合うページです。

OMTはUML以前のオブジェクト指向方法論のデファクトスタンダードだったといってもよいでしょう。OMTテキストはその記述の深さといい、開発フェーズや関連トピックスの網羅性といい非常に完成度の高いものでした。このテキストでオブジェクト指向に目覚めたという人も多いことでしょう。

今回のネタはOMTの重箱をつつくオタク的なものから、手法に関するまじめなコメント、そしてちょっと冗談が過ぎるかもしれないシャレのめす記事まで、バラエティに富んでいます。マジメな方は最後の3つの記事には近づかない方がよいかもしれません。逆に、教祖を崇め奉るという悪習を絶つための荒療治として笑って読んで頂ける方もいるかもしれません。いずれにせよ、お楽しみください。

アクターつきのDFD
OMT本の表紙
クラス属性が'$'なわけ
ランボーではなくて、ランバー
これぞ原点
OMT本のこだわり
5人組
OMTの評価

※ 冗談の嫌いなまじめな方はここから先は飛ばしてください ※

きのう夢に見た映画のポスター
3つのビュー:詩人とテロリストと方法論者1
3つのビュー:詩人とテロリストと方法論者2

アクターつきのDFD

OMTといえば「オブジェクトモデル」「動的モデル」「機能モデル」が三本柱でした。「機能モデル」と言えばもちろんDFDで、OMTではアクターも書ける斬新な(?)ものでした。しかし今と違ってオブジェクトの世界もナイーブ派一色だったあの頃は「DFDやフローチャートなんて時代遅れの遺物だ」と集中砲火を浴びて結局抹殺されてしまいましたね。もう少し遅ければ、ユースケースではなくアクターつきのDFDをみんなで書いていたはず、と思うのは私だけでしょうか?

(塵アクター)

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OMT本の表紙

今見て気づいたんですが、OMT本の表紙には、クラス図と、状態図と、DFDの3つを書いた立方体の絵が透かしのように書かれてるんですね。
あれってUMLのアイコンと発想が同じだと思うんだけれど、ということはUMLのアイコンもランボー氏が考えたんでしょうか?
もしOMTがデファクトになっていたら商標登録でもするつもりだったのだろうか、などと考える今日この頃ですが...

(ランボー、麻婆、天気予報)

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クラス属性が'$'なわけ

OMT法では、クラス属性やクラス操作を表現するのに先頭に'$'をつけますが、これはランボーがOMT本を執筆中に米GE社に出張していた横河電機の井上健さんという人がGE社での議論の中で提案したものだそうです。なんでも static の頭文字の 'S' に似ている記号ということで'$' にしたとのことです。でも残念ながらUMLではアンダーラインになってしまいましたね。

(三鷹の回し者)

追記: '$'で思い出すのは,Fortranでの改行継続時の第7コラムのパンチキャラクタです.
通常は,Continueを意味する'C'を書くのが標準ですが,私は恐れ多くもあの「ソフトウェア書法」「ソフトウェア作法」「算法表現論の序章お富士さん編」で有名な木村泉先生より'C'だとコラムが1つずれたら他の変数と紛れてバグの原因になるのでよくない.Fortranプログラムには使われないキャラクタとして'$'がよいと教えを受けました.
それ以来,OMTでクラススコープを示す'$'も同じ発想から来ている,あるいは,これを考えた人は元Fortranプログラマでかつカー二ハンのRatfor(Rational FortranつまりFortranをソフトウェア工学的に洗練するためのプリプロセッサ)に影響された人に違いない,と想像していました.

ということで,井上健さん,元Fortranプログラマでソフトウェア作法おたくでしたか?

(前カー二犯)

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ランボーではなくて、ランバー

私のOMTの本の表紙に Rumbaugh のサインがあるのですが
その横にカタカナで「ランバー」と日本語のサインがあります
サインをもらったときに
「私の名前はランボーではなくて、ランバーだ!」と
英語で言っていたような気がします
それだけです

(ランバダ)

追記: ランボーという表記にしたのは私です.
著者のRumbaugh氏は実は世界中の言語(つまり,そのー,自然言語)を
学習するのが趣味でして,彼が来日したおりに,彼の名前の表記をどうするか
という話題になり,彼はさっそく勉強しいてたカタカナで「ルンバー」「ロンバー」のどっちか
と聞いてきました.私が発音記号として日本語のカナを使うのならおっしゃるとおりだが
日本語に限らず外国語からの移入語の表記というものはその文化が外国の
事物を取り込むに際しての努力の積み重ねが定着し伝統としての規範に
なっていったものなので,勝手に個人で変えるのはよくないことだ,
特に日本語では英語のつづりの模写と発音の模写の両方をカナで同時に
バランスをとって行なうという考えがあるので,
音声中心主義で文字を扱っているわけではない.
「ランボー」が妥当な線なのではないか
などと説明したのですが,どこまでわかってもらえたか...
(ときどき,ゲームを「ゲイム」,メーカーを「メイカ」などと表記して威張っている人を見掛けますが
外来語といえども日本語の単語として位置づけるべきことを理解していないのでしょうね.
そんなに英語の発音が好きなら英語で表記しろといいたくなりますね.)
で私は独断で訳書での著者の表記は「ランボー」にしました.
ちなみにフランスの詩人アルチュール・ランボオはArthur Rimbaudです.

(乱暴なダンボが田んぼでルンバ)

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これぞ原点

私が初めてオブジェクト指向の世界に触れたのは、あの「OMT本」でした。
私がそこで見た世界は、現実世界のブツを体現したオブジェクト同士が協調しあう、とてもナイーブな世界でした。

「再利用性」や「変更への強さ」が叫ばれる今となっては、そんな幻想だけではやっていけなくなりつつありますが、ユースケースやコントロールオブジェクトといった機能が強調されたものに振り回されて「それじゃあ、オブジェクト指向って何?」と迷ったあげくにやっぱりたどり着くのは、OMTのオブジェクトモデルなんですよね。

(W)

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OMT本のこだわり

OMT本と言えば、その内容もさることながら、本の構成に対するこだわりについても驚かされたものでした。モデルの記法と解説が充実しているだけでなく、名詞の抽出から始まる開発プロセスの説明に、OO&非OOプログラミング言語での実装、さらにRDBへのマッピング、アプリケーションの事例紹介と盛りだくさんかつ充実した内容で、当時は「決定版」という印象を受けたものです。
しかも練習問題の回答だけの別冊本までありましたね。こちらは翻訳されませんでしたけど。

(ランボーウォッチャー)

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5人組

OMTといえばランボー氏ですが、表紙にはランボー/ブラハ/プレメラニ/エディ/ローレンセンという5人の名前が著者として載っています。デザインパターン本は4人組(Gang of Four)なんて言われているのに、どうして5人組と呼ばれなかったんでしょうか?
印税の配分がどうなっていたのかも気にかかるところです。
ところで5人組と言えばドリフターズですが、こちらのギャラの配分はどうなってたんでしょうね?あとクールファイブやローリングストーンズとかも...

(内山田 洋)

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OMTの評価

OMTのよかったところを挙げると
・クラスとともに「関連」を重視したことでモデル表現能力が格段に高まり
クラス図でシステム内部ではなく問題領域のボキャブラリを表現するのだ
という意識を持たせることが可能になり,分析の重要性が認識できた.
・個々のオブジェクトのライフサイクルという視点が明確に打ち出され,
1クラス1ステートチャートとして,オブジェクトの状態機械としての
簡潔で強力なモデル化が可能になった
・イベントトレース図で複数のオブジェクト間の協調が簡潔に書けるようになり
それ以前のCoad/Yourdon法からもう一歩突っ込んだ振る舞いレベルのモデリング
の可能性が開かれた

OMTに欠けていた点
・3つの視点
(クラス図によるオブジェクトモデル,
状態遷移図による動的モデル,
データフロー図による機能モデル)の間の整合性に関する
整理が不十分であり,せっかく導入された「イベントトレース図」によって
3つのモデルの間のトレーサビリティを確保するという方法論上のガイドラインを
きちんと提示できなかった.
・上の点とも絡むが,要求モデリングという視点がクラス図に偏重し,
機能の視点からの要求モデリングにデータフロー図をどう使うべきかを提示できなかった.
そのため,ユースケース図と同様の表現ができたにもかかわらず機能モデルは無視されるか
あるいは,メソッド内部のアルゴリズム記述用という誤解を受けることとなった.
・まだOMTが出た当時は,ナイーブ派全盛であり,OMTといえども,分析モデルを拡張洗練すれば
それがそのまま設計モデル・実装モデルにつながるという素朴な信仰の元にあった.そのため.
アーキテクチャという観点が希薄であり,インクリメンタル開発の基盤となる第1次設計モデルを
どのように構築し,その上にどのようにアプリ機能を載せていくかという,繰り返し開発の
基本戦略が結局示せずに終わった.

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※ 冗談の嫌いなまじめな方はここから先は飛ばしてください ※


きのう夢に見た映画のポスター

『エバンジェリスト・ランボー---テロリストより恐い男---,シルベスタ・スタローン主演』

(Ultra Movie Lover)

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3つのビュー:詩人とテロリストと方法論者1

ランボーの性格が乱暴なのか,物理的に暴力的なのか
はたまたその方法論の定式化に乱暴なところがあるのか
(実際には,Dr. Rumbaughは非常に温厚な紳士です.
ちょっとエキセントリックなところはなきにしもあらずですが
そうでなければ,OMTなんて生まれないでしょう...)

ランボーは詩人

ランボーは武器商人

ランボー,ランボルギーニに乗る

(物のけ姫)

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3つのビュー:詩人とテロリストと方法論者2

「太陽と月に背いて」,1999年/米・日・スウェーデン合作
カラー,1時間52分
●CAST
・ジェームズランボーをシルベスタ・スターローン
・詩人・ヴェルレーヌをレオナルド・ディカプリオ
●STORY
才気あふれるエキセントリック な少年詩人・ランボーに
惹きつけられていく詩人・ヴェルレーヌ。
やがて彼は従来手法を捨て、
ランボーと共に旅に出る.
2人は金がなくなるとOMTで似顔絵を描き,地面にモデルを描いては日銭を稼いだ.
しかし,ある日ランボーはもうOMTで詩を書くのはやめたと言う。
「自分の作品は世界を変えると思った。だが違った。
世界は何も変わらない。言葉も方法論も無力だ」

結末A=>その後ランボーはUML詩人としての才能に目覚め「再帰」するのだった.
結末B=>そしてランボーは武器tool商人businessmanとして「再起」したのだった...

(実はランボーシリーズなんて見てない映画おたく)

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