ObjectSquare [2013 年 3 月号]

[レポート]


Scrum Alliance Regional Gathering Tokyo 2013  参加レポート
- 野中郁次郎先生による基調講演 -

株式会社オージス総研
技術部 アジャイル開発センター
山海 一剛


直前の連休で大雪になった東京は、「 Scrum Alliance Regional Gathering Tokyo 2013」の2日目(1月16日)でも街のあちこちに雪が残っていました。雪のことなど気にも留めず大阪からやってきた私は、不覚にも会場である秋葉原UDXカンファレンスセンターの目の前で、残雪に足を滑らせスッテンコロリン。見事に両足を宙にあげて転んでしまいました。「知り合いに見られたりしなかったろうか」との狼狽を隠して、そそくさと会場に向う私。なんと言ってもこの日は、前から楽しみにしていた野中郁次郎先生の講演から始まります。お尻の痛みも恥かしさも気になりません…それほどには(汗)。

野中郁次郎先生による基調講演
「知的リーダーシップとアジャイル/スクラム」

– イノベーションを生み出し続ける組織に求められるリーダーとは –

アジャイル開発の代表的な手法「スクラム」の由来となった論文「The New New Product Development Game」の著者である野中先生は、アジャイルに興味を持つ人であれば、誰もが知っている存在ですよね。このセッションの冒頭では、「最も影響力あるビジネス思想家トップ20」に野中先生の名前が挙がっていることを紹介しておられました。同じ日本人として誇らしい気持ちです。

さて、この講演は非常に刺激的ではありますが、かなり観念的で難しい内容でした。講演を聞いていたときは、先生の軽妙な語り口のせいか、「ふむふむ、そうだよね」と理解していたつもりなのですが、いざこのレポートを書こうとすると、全然理解できていないことに気が付きました。でも何度もメモと資料を見比べていると、おぼろげながらに理解できて来て、先生の尋常ではない洞察力と、ほかのだれもが成し得なかった業績のすごさがわかったような気がします。筆者の文章力で正しくわかりやすく伝えられるかどうか大変不安ではありますが、以下にまとめてみました。

知識ベースの経営戦略

変化の激しい現代、企業にとって経営戦略の重要性がますます高まって来ていることは、皆さんご共感いただけると思うが、まずは以下の2点を再認識してほしい。

        戦略とは人間が作り出すものであり、人が実施するものである

        それゆえ人に対する洞察がないといけない(この点は特に欧米では軽視されていた)

その上で、知識社会において企業のイノベーションを促進するリーダーのあり方を「フロネシス・リーダーシップ」と呼ぶ(フロネシスとは、アリストテレスが提唱した言葉で、賢慮(Prudence)、倫理(Ethics)、実践的知恵(Practical Wisdom)をまとめた意味だそうですが、野中先生は「実践知」という言葉で言い換えたりもしておられました)。企業における「価値命題」(顧客や社会に対するその企業の存在意義)を定義し、知的創造の場を作り出す中心になるのが、このフロネシス・リーダー」である。

20世紀は「資本主義の時代」であった。21世紀は「知的創造者の時代」であると考える。では「知識」とは何か?

        「知識」とは、個人が信念や思いを真理に向って社会的に正当化していくダイナミックプロセス」である

        「知識」の最大の特徴は、「人間が関係性の中で作る資源」であることである

と定義できる。

知識創造プロセス

その知識が創造されるプロセスをモデル化したものが、SECIモデルである。

→暗黙知

暗黙知─


暗黙知

共同化
Socialization

表出化
Externalization

内面化
Internalization

連結化
Combination


形式知

暗黙知

形式知

─形式知

形式知←

■共同化(Socialization
共体験などによって、暗黙知を獲得・伝達するプロセス

■表出化(Externalization
得られた暗黙知を共有できるよう形式知に変換するプロセス

■連結化(Combination
形式知同士を組み合わせて新たな形式知を創造するプロセス

■内面化(Internalization
利用可能となった形式知を基に、個人が実践を行い、その知識を体得するプロセス

SECIモデル(出典:「知識創造企業」)

このモデルでは、知的創造の過程を、暗黙知と形式知が相互にスパイラルアップすることとしてとらえており、その高速回転化こそが「知の綜合力」である。

場:知のプラットフォーム

ではスパイラルアップを行う時空間とはどのようなものなのか。 「(組織の各々が)他者の主観と向き合い、(組織)全体の主観にする」ということになる。そしてその場を形成するためには、「コンテキストを共有する」ことが必要である。知とは文章だけで全てを伝えることは出来ないものであり、そのベースは身体感覚である、例えば「相手と同じ行為(しぐさ)をすることで、相手の意図を真に理解できる」ということがある。これは動物として人間が本来備えている機能である。組織の個々人に身体化された知が集まり、客観化していく「場」には、コンテキストの共有が必要であり、それはすなわち共通の経験を持つということである。

価値命題とビジネスモデル:モノとコト

イノベーションとは「知を価値に変換し、価値を利益に変換する」ことである。それには価値命題を定義する必要がある。価値命題とは、それまでには無かったユニークな「コト」を提供することであり、「モノ」を提供することではない。もちろんユニークなコトを提供するためには、ユニークな「モノ」も必要となるかもしれない。例えばiPodは「いつでもどこでもマルチメディアの視聴体験ができる」という「コト」を提供するところに価値がある。そのために必要なもの「モノ」としてiPodが開発されたのであって、真の価値は「コト」である。

例えば身近な人へのプレゼントを考えてみよう。プレゼントとは贈る「モノ」ではない。贈る人の心、表現の仕方、贈るタイミング、互いの関係、そのときの文脈といったことで贈られる側の感動が違う。それら全てを含めた総体(コト)こそが、価値として認識されるのだ。

フロネシス・リーダーシップ

社会とは「産業の知の生態系」であり、企業とは「その生態系に生きるダイナミックな知創造体」である。そのような不確実な知の生態系で、イノベーションを生み出すには「フロネシス(実践知)」のリーダーシップが必要である。フロネシス・リーダは「共通善(Common Good)の価値基準をもって、個別のその都度の文脈のただ中で、最善の判断ができる身体性を伴う、実践知の人」でなければならない。具体的には次の6つの能力が求められる。これらは、本田宗一郎やスティーブ・ジョブスにも見られる共通の資質である。

@    「善い」目的をつくる能力

A    場をタイムリーにつくる能力

B    ありのままの現実を直視する能力

C    直観の本質を概念化する能力

D    概念を実現する政治力

E    実践知を組織化

それぞれを順に紹介していこう(ポイントとなるキーワードだけをまとめました)。

@    「善い」目的をつくる能力

          ベストではなく、ベターに向かって無限に理想(イデア)を追求する

          達成できるかではなく、達成しようとすることに価値を見出す

          善は存在するが見極められるものではない。それゆえ常に目標を修正する柔軟性も持っている

A    場をタイムリーに作る能力

          知識が創造され共有・活用されるダイナミックな時空間を構築する

          リアルとバーチャルのコミュニケーションのバランスをとる

          ホンダのワイガヤは「場」の好例

B    ありのままの現実を直視する能力

          刻々と変化するありのままの現実を直視し、その背後にある本質を直感的に見抜く

          スティーブ・ジョブスや本田宗一郎が好例

          「神は細部に宿る」

C    直感の本質を物語る能力

          ミクロの直観をマクロの構想力と結び、モデル化し、物語化する

          対話やメタファーによって抽象化し、概念化し、モデル化し、物語化する

          過去、現在、未来にわたって、大きな物語を語る

D    概念を実現する政治力

          情熱と勇気、説得力

          あらゆる方法を駆使し、状況に応じて未来を描くビジョンを共有・説得し、現在の価値創造を実現する

E    実践知を組織化する能力

          上記@からDを組織に埋め込むことで、組織としての能力を高める

          個々人の善人格の中に埋め込まれているフロネシスを、組織に埋め込むことが出来る

          ディストリビューテッド・フロネシスの実現

(この後、ホンダ、アップル、ダイハツ、JAL再生、米海兵隊などを引用して具体的な例を紹介しておられました)

 

アジャイル・スクラム・イノベーション

組織とは、その組織が1人の個人のように創造性を発揮するというような状態を目指すべきであり、それはまさに「フラクタルな組織」である。スクラムは開発進行中にチームメンバーの共同化、表出化、内面化と技術的な知識の連結化を促進し、その結果として技術的な専門知識を実践共同体としてのコミュニティの資産へと変換する。ソフトウェア開発手法としてのスクラムも同じであり、チームメンバーの知識を共同化し、互いの文化的な壁の超越を促進する。

暗黙知と形式知と実践知(フロネシス)の三位一体のダイナミックスによってイノベーションを持続する。これらの対比を表にすると以下のようになる。

暗黙知

存在論

「どう在るか」

意味と実存を問う

「何をしたいのか」

信念、コミットメント、予知

形式知

認識論

「どう知るか」

真理を問う

「何が本当なのか」 

理性、客観、分析

実践知

価値論

「どう判断するか」

共通善と文脈を問う

「どう価値判断するのか」

適時・適切な判断と行動

 

感想

21世紀に入り、歴史がその加速度を増していく中で、企業だけではなく、個人から社会まで大きく価値観が変わりつつあると思います。その中で野中先生の講演は非常に刺激的であり、考えさせられる要素が盛りだくさんでした。でも正直言って筆者にとっては難解でした。このレポートも理解できた範囲でのキーワードを並べただけのようなものになってしまいました。今回初めて野中先生の講演をお聞きしたのですが、ユニークな言葉を創造して説明に使うところが、野中先生の特徴なのかも知れないと思いました。「価値命題」「不確実な知の生態系」などなど、「知的体育会系」なんて言葉も飛び出しました。それがなおのこと難解な印象を強めていると思うのですが、実はあえて耳慣れない言葉をぶつけることで、従来の発想や価値観とは大きく異なることに気付かせようとしておられるのではないか…レポートを書きながらそう思い始めました。

これまでの私の理解では、「暗黙知とは放置すべきではなく、形式知化しなければ価値のないもの」であり、「暗黙知→形式知」といった一方通行のイメージでした。しかし野中先生は、暗黙知にも形式知に同等の価値を与え、暗黙知と形式知が双方向に変換されながらスパイラルアップするものとして、SECIモデルを使って説明しておられます。白状すると、SECIモデルはよく目にするし、理解できていたつもりだったのですが、今回の講演で、いえ正確にはこのレポートを書くために、メモを何度も読み返して初めて理解できたような気がしました。

また今回の講演では「コンテキスト共有のベースは身体感覚である」などといった考え方も衝撃的でした。「知識は頭脳にあるもの」と思っていたのが、「暗黙知は身体に蓄積される」という発想は、本当にすごいと思います。

このような発想は、西洋の文化から生まれることは不可能だったのではないでしょうか。野中先生が日本人として唯一「最も影響力あるビジネス思想家トップ20」に名を連ねている理由がわかったような気がします。もちろん単に日本人であるだけではなく、並外れた洞察力こそが野中先生のすごさなのでしょう。

でもそんな野中先生の語り口は、ときにユーモアも交えて非常に軽妙であり、聞く人をぐいぐい引き込んでいきます。世界的な有名人なのに、ところどころお茶目なキャラクターが顔を出す…、筆者はいっぺんにファンになってしまいました。

またソフトウェア企業に属する者としては、そんな野中先生の偉業が、ソフトウェア開発手法としての「スクラム」に息づいていることを誇らしく思えます。筆者自身も開発の現場で、野中先生のいう「フロネシス・リーダー」になりたいと思い始めました。でもそれにはもっと研鑽を積んで、まずは野中先生のおっしゃる内容をちゃんと理解できるようにならないとダメですね。

以上



©2013 OGIS-RI Co., Ltd.
Next Index
Prev Index