ObjectSquare [1999 年 8 月号]

[オブジェクト指向モデリング言語 UML]
   - 情報処理 VOL.40 NO.1, NO.3より -


UML成立の経緯

オブジェクト指向開発手法の第一歩は,AdaコミュニティのBoochによって踏み出され,以後それはBooch法として,Adaに限らない一般的な設計技法としてまとめられた1).また,Smalltalkコミュニティからは,CRCカード法やリスポンシビリティ駆動設計技法が生み出された.

その後,80年代後半から続々といわゆる「方法論」と称されるさまざまなオブジェクト指向開発手法が発表された. Shlaer/Mellorや Coad/Yourdonのオブジェクト指向分析・設計方法論が著名である.さらに,RumbaughがGEの同僚とOMT(Object Modeling Technique)法を発表5)し,業界での主流の1つを形成した.しかし一方で,OdellはIE(Information Engineering)のオブジェクト指向版を発表したり,Jacobsonがユースケース概念を初めて導入したObjectory法を紹介2)し,それぞれに熱心な信奉者が従うという百家争鳴の状況が生まれていた.

もともとオブジェクト指向分析設計手法の標準化に着手しようというのは,Rational Softwareの Boochが1993年に発案した.このとき,Boochは,Rumbaughなどに声をかけ,OOPSLA'93において標準化を呼びかけたが,大半の参加者からまだ機が熟さず標準化には弊害があると指摘され流れてしまった.その後,1994年10月にOMT法の提唱者RumbaughがGEからRational Softwareへ移籍したのを契機に,Boochとの間で統一方法論(Unified Method)と呼ぶUMLの前身の共同作業が始まり,一気に動きが加速した.

統一方法論は第0.8版としてOOPSLA'95で発表され大いに盛り上がり,オブジェクト指向コミュニティ内で標準の第1候補としての地位を確保した.この時点で,反対する人たちもあり,Henderson-Sellersを中心にOPEN(Object-Oriented Process,Environment, Notation)連合を形成していた.しかし,エリクソンのソフトウェア関連子会社のObjectoryがRational Softwareに買収され, Jacobsonが同社に参画して事態は一変.Jacobsonが交渉役を買って出るとともに,Jocobsonの提案で標準化の対象をオブジェクト指向手法全般からオブジェクト指向モデリングのグラフィカル言語に限定することとし,開発プロセス等の手法の内容は自由に定義できるようにした.これが功を奏し,より広く賛同者を集めた.

最終的に,1997年11月にUML1.1はOMGによってオブジェクト指向モデリング言語標準として正式承認された.

図-1 UMLの発展
UMLの発展


© 1999 OGIS-RI Co., Ltd.

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