「イノベーションの育て方 ～ハナさんのストーリー～　（９）」

私たちが最初にやることとして、佐野さんが提案したのは、デザイン思考とは別のジャンルのものだった。アプリシエイティブ・インクワイアリー、略してAIとは、「組織やチームの強みを自分たちで発見し、その強みを最大限に発揮させるための手法」とのことで、佐野さんの説明はこうだった。

「組織やステークホルダーをひとつにまとめて、力を合わせて協力し合うようにする方法には、大きく２つのアプローチがあります。ネガティブなアプローチとポジティブなアプローチ。例えば目の前に迫る危機を全員に認識してもらうことで、一丸となって立ち向かうようにする、これがネガティブ・アプローチですね。映画でも、それまでいがみ合っていた人たちが、大きな危機や強大な敵を前にして、協力して立ち向かうようになるっていうストーリーがよくありますよね。」
「でもネガティブ・アプローチは、目の前の脅威に対することがゴールになってしまいます。要するに脅威を排除できれば終わりになってしまうので、次にさらに高い目標に進むことが出来ません。だから問題解決型アプローチとも呼ばれます。」
「もう一方のポジティブ・アプローチは、自分たちの強みや価値を見出し、より高い目標に向かわせるという方法です。アプリシエイティブとは本来は"価値を見出す"、 "価値を認める"という意味なんですよ。インクワィアリーという単語も、"問い合わせる"と訳すことが多いのですが、もう少し深く"探求する"というニュアンスですね」

要するに個々の強みを互いに発見しあって、「私たちって、結構すごい集団じゃないか」という認識のもとに、より高い目標、より困難な課題に立ち向かい続けるための土台を作るということらしい。

「岩崎さんの経営会議でのプレゼンは、経営層に厳しい現実を突きつけたという意味で、ネガティブ・アプローチですね。もちろんそれが間違っていたとは思いませんし、むしろその段階では必要なことだったと思います。でもネガティブ・アプローチだけで新事業開発は出来ません。次はポジティブ・アプローチで行きましょう」

押してもだめなら引いてみなということか。いや、北風の次は太陽ということなのかな...、う～ん、なんか違う...

つまり佐野さんの提案は、そのAIの一部である「ハイポイントインタビュー」というワークショップを、経営会議メンバーでやりましょうというものだった。

これは新事業とかデザイン思考とかとは、まったく無関係な活動に見えるだろうから参加者の戸惑いも予想されるが、ここは騙されたつもりで佐野さんの案に乗っかろうと腹をくくった。この日はワークショップの目的の確認や、役割分担、事前準備、会場となる部屋のレイアウト、当日のタイムスケジュールなどを決めて、それらをデザインシートと呼ぶ資料にまとめていった。

「こういう事前準備がきっちり出来ていたら、もう80%終わったようなものですからね」

佐野さんが、一緒に作ったデザインシートを眺めながら、満足げに言った頃には、お迎えの時間が近づいていた。

開催の日は、来週金曜、経営会議の日の午後１時から３時間とした。またさらに、翌週の金曜日も２時間スケジュールをおさえておいた。金曜午前が経営会議と決まっているせいか、午後に外出などの予定を入れている人はいないようだ。でも何やかや理由をつけてキャンセルされてしまう可能性もある。対象者全員必ず出席するよう、前週の経営会議でコメントしておいてほしいと社長にお願いに行った。詳しく目的や内容を尋ねることもなく、快諾してくれたのは意外だったけど、ありがたかった。

＜つづく＞