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インタビュー

マネジメント 3.0 の日本での伝道師ステファン・ニュースペリングさんへのインタビュー

前編 ドイツの会社のアジャイル転換とマネジメント 3.0 との出会い
2020年3月26日
Stefan Nüsperling
Stefan Nüsperling

2月に、マネジメント 3.0 の日本での普及に携わってこられたステファン・ニュースペリング (Stefan Nüsperling) さんにステファンさんのドイツでのアジャイル開発への転換のご経験、マネジメント3.0やリーン・チェンジ・マネジメントなどとの出会いを中心にお話を伺いました。前編は、ステファンさんのドイツでのアジャイル開発への転換のご経験からマネジメント3.0 との出会いのお話を紹介します。

インタビュアー:藤井 拓

―― 今日は、インタビューにお時間を割いて下さいましてありがとうございます。今回のインタビューでは、マネジメント3.0、リーン・チェンジ・マネジメントなどについてお話を伺いたいと思います。

ステファンさん― お招きくださいましてありがとうございます。

ドイツの会社のアジャイル開発への転換について

―― まず最初にお聞きしたいのは、ステファンさんが以前勤務されていたドイツの会社でのアジャイル転換のお話です。この転換は、いつ頃行われたのでしょうか?

ステファンさん― 私は、2012年に MovingImage というドイツの会社に入社しました。MovingImage 社は、ビデオストリーミングサービス会社です。私は、ITチームのプロジェクト管理者として MovingImage 社に入社しました。ITチームは、少しばかりスクラムを実践していましたが、それほどプロフェッショナルなレベルではありませんでした。自分たちで少し試していただけで、本当のプロセスはありませんでした。また、多くの議論をしていました。でも、少数の人しかスクラムを知らず、他の人たちはスクラムを知らなかったので、それはそれほどうまく行きませんでした。スクラムを取り入れるのは難しかったのです。また、私も入社した時点ではスクラムを知りませんでした。それがどのように機能するかを誰も知らなかったので、うまくいくはずがなかったのです。

会社の他の部分は、すべてマイクロマネジメントアプローチでいっぱい仕事をしていました。マネジメント 1.0 、マネジメント 2.0 の種類がほとんどを占めていた会社だったのです。

注:マネジメント 1.0 と 2.0 は、後述するマネジメント 3.0 以前のマネジメントモデルを表す。マネジメント 1.0 は、組織の階層に従い、指示と統制でトップダウン的にマネジメントをするものである。マネジメント 2.0 は、マネジメント 1.0 のモデルがそのままではうまく機能しないので、バランススコアカード等により、改良されたマネジメントモデルであるが、指示と統制の考え方が基本になっている。

そこに、新しい CTO が入社し、この人がアジャイル開発の導入に熱心だったのです。このCTO が、ITチームが適切なトレーニングを受けるように配慮したのです。その当時、CEO はそれほど乗り気ではなく、投資をする気もなく、アジャイルを信じていなかったのです。そのため、私たちのチームが 2 日間のトレーニングを受ける予算を得るために、CTO がCEO を説得しなければなりませんでした。CTO が予算を得て、私たちのチーム全体が 2 日間のスクラムトレーニングを受けました。

そのトレーニング以前は、私はスクラムをあまり知らず、私たちは全員が同じトレーニングを体験したのです。それで、私たちはスクラムについて同じレベルの知識を得ました。その後、私たちは本当にモチベーションを持ち、スクラムの恩恵が分かり、そして私たちの最初のスプリントと最初の振り返りを開始しました。私たちの最初のスプリントが始まったのです。私たちは、すべてについて同じレベルの知識を持っていたので、これはうまくいきました。

私は、Scrum.orgの認定スクラムマスター (PSM) を取りました。他の人たちもPSMを取り、私はスクラムプロセスのプロダクトオーナーになりました。それで最初のスプリントを開始したのです。

―― スクラムプロジェクトは、良い成果を出したのでしょうか?

インタビューの様子

ステファンさん― はい。そのような状況において、我々の会社においてCTOがそれを推進していることもあり、戦略的な変化もあったのです。私がその会社に入社時点では、その会社はある特定のwebサイトのビデオスペースを販売していたのです。他の会社がビデオをアップロードして、そのwebサイトに掲載し、他の人たちが見れるようにしていたのです。リクルートのためのWebサイトです。リクルーティングのためのYouTubeのような。しかし、顧客はwebサイトを使いたがらず、自分たちのビデオを自分たちのサイトに掲載するためのストリーミングソリューションを購入したがったのです。私たちのWebサイトではなかったのです。これで事情が少し変わりました。でも、ビデオストリーミングソフトウェアは他の会社、スイスの会社が作成したものであり、MovingImage社によって開発されたものではなかったのです。そのため、バグや問題、新たなフィーチャーを依頼する際はいつも、私たちはその対応をその会社に頼まなければなりませんでした。私たちは、自分たちで対応できなかったのです。

それは大きな問題でした。そこで、ある時点で1つの問いに直面しました。つまり、私たちはスイスの会社からコードを買うべきか?あるいは零から私たち自身のシステムを構築すべきか?そこで、私たちは、基本的に新規に、零から私たち自身のシステムを構築することを決断したのです。それ以前の会社は営業駆動の会社でしたが、今やIT会社へと変化したのです。さらに多くの人々を採用する必要がありました。

最初、私たちが申し出を受けた時点では、スプリントは本当に大変でした。多くの議論、多くの「私はあなたより良く知っている」、「違う、あなたがそれを間違って行っている」という発言があり、最初のスプリントの結果はそれほど良くありませんでした。最初に、我々はスプリントと将来のゴールの計画策定をしました。私たちはとても困難だと思いましたが、最初の最低限のバージョンが動作する、数か月後には、この最低限のバージョンを見せることができたのです。私たちのゴールは、年末までに何かを見せることでした。何が少しでも動作すれば、人々が何かを見ることができるのです。会社の他の部分の人たちは、ITについて知らなかったので、私たちがお金を使っているだけではなく、何かを作り出していることをその人たちが見る必要があったのです。そして、私たちはその人たちにこれを初めて見せることでこのことを実現したのです。これは、レビューデイと呼ばれました。私たちは、たくさんのリハーサルを行い、説明する方法の台本を作りました。UI は完成していなかったので、少しごまかしをする必要もあったでしょう。人々がアイデアを理解するために、UI の一部はビデオで見せました。本当の UI ではありませんでしたが、人々に見てもらいたかっただけです。これが最初の成功となり、これは本当に素晴らしかった。

―― それは、スクラムを開始してから数か月後の話でしょうか。

ステファンさん― そうです。数か月後です。

―― 日本の多くの会社の状況と少し似ているような気がします。それらの会社は、今日大半、外部委託モデルに依存していますが、それを内製モデルへと転換することで自分たちの運命を制御できるように苦心しています。

ステファンさん― そうですか、それは知りませんでした。 

―― そこで、CTOが主導権を取り、アジャイルの導入を開始したのですよね?最初の最低限のプロダクトでの成功の後、スクラムは他のチームに広がったのでしょうか?

ステファンさん― そうです。他のチームが、私たちのカンバンボードあるいはスプリントボードを見たのです。CEO は、基本的に多かれ少なかれ営業チームの一部でしたが、面白いことが起きたのです。CEO でさえ、営業チームにタスクボードを実装し始めたのです。そのため、ある日私がオフィスに出社して、目にしたのは、…君たちにタスクボードがあるが、私たちにも今やタスクボードがあるんだという光景だったのです。

―― とても印象的で、とても柔軟な CEO ですね。

ステファンさん― 彼は、いろいろ見て興味を抱き、自分自身を適応させたのです。そして、ゆっくりと他のチームも少しずつアジャイルを実行する方向へと進み始めました。これは、とても見ものでした。

―― その会社でアジャイルプロジェクトを開始するために人々を教育するためになんらかの種類のトレーニングシステムを整備されたでしょうか?あるいは、外部からコーチやトレーナーを招いたのでしょうか?

ステファンさん― はいそうですが、私はその会社を辞めたのです。2014年だと思います。

―― 入社して2年後ですか。

ステファンさん― その当時、私は日本に来ており、MovingImage社を再び訪問したのです。会社はさらに大きく変わっており、基本的に会社全体がアジャイルになっていました。私は、その一部として関与していませんでしたが、外部のコーチがそのアジャイル化を進めたことを知っています。基本的に、そのコーチが会社に来たのです。そのコーチがマネジメント 3.0 のトレーニングを実施しました。彼は、アジャイルトレーニングを提供し、その会社向けに会社のすべてをアジャイルにするための包括的なフレームワークを開発しました。

MovingImage社のフレームワークの図
MovingImage社のフレームワークの図[1](ステファンさんご提供)

―― なんと、本当ですか?

ステファンさん― 本当です。会社全体です。マーケティング、営業、財務、…すべてのチームが同じ 2 週間のスプリントサイクルで動いています。これは、とても印象的でした。全員が、マネジメント 3.0 のクドカード、デリゲーションポーカー、ムービングモチベーターズを使っており、とても印象的でした。そしてあらゆるところに白板がありました。私がその会社を辞めた時には、白板は少数しかなかったのですが、再度訪れた際には多くの白板があったのです。

デリゲーションポーカーを利用している様子
デリゲーションポーカーを利用している様子 (ステファンさんご提供)
注:クドカード、デリゲーションポーカー、ムービングモチベーターズは、マネジメント 3.0 のツールである。各々感謝の言葉を贈るカード、各業務等に対する権限委譲のレベルを議論するためのカード、複数のメンバーやマネジメントの間でお互いの価値観を共有するためのカードである。

―― 2012年から2014年にかけて、その会社のスクラムプロジェクトの成功が増えたのではないかと思いますが、そうだったのでしょうか?

ステファンさん― まったくそのとおりです。非常に限られたリソースで、零からビデオストリーミングソフトウェアを構築することができました。私たちのチームは、当初8名のメンバーだったのですが、ビデオストリーミングソフトウェアを零から構築する必要がありました。さらに、それから私たちが収入を得ていたので、古いソフトウェアも保守する必要もありました。零から作ったのですが、ビデオストリーミングは非常に複雑な技術でした。1年後に、新しいソリューションの最初の顧客を得ることができました。そうなので、それは大きな成功と言えるのではないかと思います。

―― そのような状況では、プロダクトオーナーの役割が非常に大事ですよね。バックログ項目の優先順位付けなどですが、あなたがプロダクトオーナーの役割を担われたのでしょうか?

ステファンさん― 私は、コミュニケーションが大事だと思います。あなたは、多くの人たちや利害関係者と話をする必要があります。そこで、私はワークショップを開催してスタッフを招待し、そしてペルソナを作りました。電話も何回かしましたが、正確なところは覚えていません。何名かの顧客ともお話をしました。そのようにして、それらの人たちにソフトウェアの使い方や、それらの人たちにとって大切なことを聞きました。その後、私はEXCELシートを作成しました。私たちには、すでに動作しているソフトウェアがあったので、現状どんな機能があるのかを知っていたのです。そこで、現在のソフトウェアの全機能の一覧を作成しました。さらに、多くの機能のうち、必要のない機能も分かっていました。本当は役に立たなかったり、収入をもたらさない機能がどれであるかにより、「あった方がよい」、「不必要」、「必須」などの分類を行いました。その分類方法に名前があったと思うのですが、…

―― MoSCoW の分類でしょうか。

注:MoSCoW は、DSDM というアジャイル手法で提案された要求などの優先度の設定方法であり、「必須 (M: Must)」、「あるべき (S: Should)」、「ありえる (C: Could)」、「今回はない (W: Won’t)」の4 段階で優先度を設定する。

ステファンさん― そうです。MoSCoWです。その後、私はCEOやCTOと議論をし、その人たちは意見をくれたのですが、「分かった。私たちは、最初のバージョンで必須の機能だけを開発し、その結果を見てみよう」ということになったのです。この結果をチームや会社に伝えなければならなかったので、私はメタファーを使いました。私は、「私は、ポルシェ 911 GS3のようなソフトウェアを自分たちで構築していきたいんだ」と話したのです。ポルシェ 911 GS3を知っていますか?

―― 知りません。

ステファンさん― ラジオもなく、革張りの内装もなく、リアシートもないので、特別なモデルです。それで重量が減り、軽量になるので、必要のないものすべては放り出されたのです。軽量になればなるほど、速くなるので、速く運転をするのに必要なもの以外は蹴りだされたのです。私たちも本当に大事なことに焦点を絞らなくてはならなかったので、これが良いメタファーだという理由なのです。そして、その大事なことは、インターネットで速くビデオストリーミングを配信することだったのです。多くのフィーチャーやものではなく、インターネットで非常にスムーズにストリーミングできる、本当によいシステムが必要だったのです。これは重要です、焦点を絞る必要がありました。

―― それでも、バックログの項目には売り上げの機会について様々な憶測や期待があったと思うので、必須の項目を決めるだけでもとても大変だったのではないかと思います。また、見積もりや予測も必要になりますよね。これをどのように行ったのでしょうか?ある項目の売り上げの機会が他の項目よりも大きいと評価されたのでしょうか?

ステファンさん― もちろん行いましたが、それを行うのに有利な点は、私たちには動作するソフトウェアがあったという点です。私は、各機能がどの程度使われているかを知ることができました。

―― 利用モデルですね。

ステファンさん― そうです。利用の仕方とどの程度課金されているかです。顧客がどれくらい利用料を支払っているか?もしサブタイトルが欲しければ、月々これだけ支払う必要があるというものです。これのおかげで、私は「OK。実際にとても利益があがっていて、顧客によく使われていて、多く売れている機能はどれだろう」と言えたのです。そして、もちろん私は営業の人たちといっぱいお話をしました。というのは、彼らがソフトウェアを販売しており、顧客が基本的に欲していたり、求めていたり、使ったりしたものを知っており、何がよく売れるかを知っていたのです。彼らは、私にいっぱいお話をしてくれました。

―― 既存のシステムの利用データと顧客の声の両方を入手されていたのですね。売り上げの機会を捉えるための優先順位付けもうまく行えたのでしょうか?

ステファンさん― はい。でも、実際には最初のバージョンについては基本機能だけが求められたので本当はそれほど難しくありませんでした。

―― なるほど。基本機能として、コア機能の類を持たねばならなかったのですね。

マネジメント3.0 について

インタビューの様子

―― 次に、マネジメント 3.0 に関してお聞きしたいと思います。マネジメント 3.0 には、いつ出会われたのでしょうか?それは、先にお話されたスクラムプロジェクトの途中なのでしょうか?プロジェクトの後なのでしょうか?

注:マネジメント 3.0 は、Jurgen Appelo さんが “Management 3.0: Leading Agile Developers, Developing Agile Leaders” という書籍で提案されたマネジメント手法である。マネジメント 3.0 の特徴は、"現在の経済等の状況に対応するための複雑系の科学の理論に基づくマネジメントモデルを提案している点である。つまり、現状の現在の経済等の状況は因果決定論では予測できない複雑系だと考えて、それにより良く対応するためには会社やチームが複雑系に適応する組織にするためのマネジメントが必要になると考えるものである。

ステファンさん― 私は、マネジメントと日本の研究のための奨学金を得て日本に来ていました。

―― 何年間来られていたのですか?

ステファンさん― 早稲田大学に 1 年間です。そのプログラムには、日本の企業でのインターンシップも含まれており、ミツエ-リンクスという日本の会社でインターンシップを経験しました。それよりもはるか前に6カ月インターシップを体験していたので、その会社はすでに知っていました。インターンシップして、私はその会社の社長をとても良く知るようになりました。彼は、私の友達です。彼が、「一緒にドイツに行こう」と言ったのです。彼は、ドイツの会社を何社か見るとともに、ドイツについて少し知りたかったのです。

その時に、私たちは私が以前働いていた MovingImage 社を訪問しました。彼は、白板、笑顔とすべてがピカピカで、目が幸せに輝いている透明性のあるワークスタイルを目にしたのです。それで、彼は「ワオ」と言いました。彼は、自分の会社にもこれらが欲しくなりました。そして、私たちが帰国すると彼は「君はこの会社にこれをどうしたら導入できるのだろう?」と言いました。彼は、これを行った人物を知りたがりました。それで、私が MovingImage社にこれを行った人が誰であるかを問い合わせました。MovingImage社に来たコーチがすべてのトレーニングを作ったのです。私たちは、彼と話をして、この会社でトレーニングするために日本に招待したいと望みましたが、費用が高すぎました。彼は、とても高かったのです。

そこで、私たちは少し調べて、彼がベルリンでマネジメント 3.0 のパブリックなワークショップを開催していることを見つけました。そして、社長が「私たちは、彼が来日するお金を払えないが、彼のマネジメント 3.0 について学ぶために君をベルリンに送ることはできる」と言いました。そして、私たちは 3 人でドイツに行き、そのワークショップに参加したのです。これが、マネジメント 3.0 との出会いです。私は、マネジメント 3.0 についてまったく知らずにそのワークショップに参加しました。それは、とても印象的でした。

―― マネジメント3.0について学んだ後、それを日本の企業に適用されたのでしょうか?

ステファンさん― はい。そのワークショップがとても印象的で、私たちもとても元気づけられたので、日本に戻った時点で導入したいと思いました。そこで、私たちはアジャイル転換チームを編成し始めました。それから、私がワークショップを開催しました。私たちは、ムービングモチベーターズのような、いくつかのツールを試してみました。打ち合わせの後に、小さなワークショップも開催しました。例えば、タスクボード、コンピテンシー・マトリックスなどです。

―― そのような活動でその会社は変わったのでしょうか?

ステファンさん― はい。タスクボードを使い、コンピテンシー・マトリックスを使ったのでプロセスの透明性ははるかに増したと思います。また、その会社のコミュニケーションはあまり良くありませんでしたが、コミュニケーションが改善しました。それでも、私たちは多くの障害に直面しました。私たちが導入したいと思い、社長も導入したいと思ったのですが、マネージャーがあまり協力的ではありませんでした。私たちの多くのエネルギーでも、会社の多くのものを転換することはできませんでした。それは、そのプロセスをマネジメントが支援しなかったからです。

―― 前の話題に戻って申し訳ありませんが、MovingImage社の従業員数は何名だったのでしょうか?

ステファンさん― その当時、70名か80名だったと思います。

―― 70名か80名だったのですね。マネジメント 3.0を導入されようとした日本の会社の従業員数は何名だったのでしょうか?

ステファンさん― 約400名でした。

―― 400名ですね。400名であれば、多数の部署やチームがあるような組織構造だったのでしょうね。会社全体に、マネジメント 3.0 を広げるところが難しかったのでしょうか?

ステファンさん― そうです。その会社は Webデザインの会社でもあり、システムの開発も行っていました。多くの Web サイトを構築していました。理由は分かりませんでしたが、マネージャーが本当に抵抗したのです。企業の文化やビジネスの種類のためかもしれません。

―― マネージャーからの抵抗ですか?

ステファンさん― マネージャーからの抵抗です。

前編の最後に

前編は、ステファンさんのドイツでのアジャイル開発への転換のご経験、マネジメント3.0 との出会い、マネジメント3.0 の日本の企業への最初の適用についてのお話を掲載しました。後編では、マネジメント3.0 の他の日本の企業への適用についてお話を伺い、さらにリーン・チェンジ・マネジメントとの出会い、日本で暮らし始めた動機などについてのお話を掲載する予定です。

参考文献

[1] movingimage: about our Agile MIA Framework https://www.youtube.com/watch?v=j_QzjvMPkjA