本連載では、ある日本の製造業の会社がリーンとアジャイルで変わる過程で直面する様々な課題と解決策を物語仕立てで提供する。第2回は、アジャイル開発推進役の吹田が上司に課題の解決への協力を要請する。さらに、アジャイル開発チームの中心的なメンバーであるプロダクトオーナーの候補を説得する。なお、本連載の物語はフィクションであり、実在の企業や人物を記したものではありません。
前回までのあらすじ
A 社は、ある製品を製造、販売しているが、近年製品の売り上げの減少が続いている。売り上げの減少の原因が、製品の周辺サービス機能が消費者のニーズに合っていないとの分析に基づき、その対策としてCEOの椎名は開発本部長の貝原にアジャイル開発を早急に適用するように命じた。 貝原は、開発本部内でアジャイル開発に詳しい吹田をアジャイル開発の推進役に指名し、プロジェクトの立ち上げを依頼した。吹田は、アジャイル開発の導入に際して一般的に以下のような課題に直面することが多いことを知っていたので、これらの解決策を考え始めた。
- プロダクトオーナーの理解と関与が得られない
- プロダクトオーナーが開発の中で自らの役割を理解せず、その役割を積極的に果たさない
- 開発メンバーの知識不足
- 開発メンバーがスクラムや技術部プラクティスを知らず、生半可な知識でアジャイル開発を実行して開発に失敗する
- 開発メンバーの柔軟性が低い
- 開発メンバーの一部が新たな方法を取り入れることに抵抗する
- 従来手法に基づくガバナンスが課せられる
- 従来手法の WBS に基づく計画策定、成果物やレビューをアジャイル開発でもそのまま適用することで開発のオーバーヘッドが生じ、開発の生産性が低下する
アジャイル開発の推進役吹田の提案
吹田は、自分の考えをまとめると宮本部長に打ち合わせの時間を取ってもらった。吹田が、これら4つの課題を宮本に説明すると、宮本は「A)とD)の課題の解決には本部長から他の本部への協力を依頼してみよう。しかし、B)とC)はどうしたらよいかな」と吹田の考えを聞く。
吹田が「ロングパートナー社がアジャイル開発に対応できるとは思われないので、アジャイル開発に対応できる会社に開発を委託する方が確実だと思います」というと、宮本は「まずロングパートナー社がアジャイル開発に対応できないかどうかをはっきりさせてほしい」と注文した。
吹田は、「それではお金がかかりますが、ロングパートナー社に1か月アジャイル開発を試験的に委託し、その結果で判断してもよいでしょうか?」と提案した。さらに、「開発内容は本番の内容で、最悪1か月でプロジェクトを中断することになります。中断することになった場合、中断の理由をその開発に関与してくれた他部署にも納得してもらう必要があります」と続けた。
宮本は、「中断すると他部署は怒るだろうな。開発本部の能力も疑われるかもしれん」と言い、少し考え込んだ。
吹田は、「ただ、1か月で問題が明らかになった方が損害は小さいですよね」と遠慮がちに言った。宮本が、「金銭的な損害は小さいかもしれないが、他本部からの信用を失うという損害は大きいよ」と反論した。すると、吹田が待っていましたとばかりに「お金はかかりますが、他本部からの信用を失なわず、時間も節約できる方法があります。お話をしてもよろしいでしょうか」と言った。宮本は、はめられたと思いながら「自信がありそうだな。聞かせてもらおうか」と応じた。
吹田は、「ロングパートナー社にアジャイル開発ができるチームを提案してもらうとともに、そのチームともう1社アジャイル開発の実績がある会社のチームとで同じテーマで開発を行い、ロングパートナー社のチームの実力をベンチマーキングするのです」と述べた。宮本が「ベンチマーキングの期間はどの程度かね」と問うと、吹田は「2か月です」と答えた。さらに、宮本が「アジャイル開発の実績があるチームにあてはあるだろうね」と問うと、吹田は「はい、バリアジャイル社です。単価は高そうですが、時間をお金で買うということでお許し頂けませんでしょうか」とお願いをした。宮本は、「とりあえず見積もりを取って決裁を上げてほしい」と答えた。
宮本は、さらに「それで、開発対象はどうするんだ」と問うと、吹田は「新規事業の中にアジャイル開発に適したテーマがあると考えています」と答えた。吹田は「企画部門の新規事業の担当者の中に私の同期で力になってくれそうな人間がいるのですが、マーケティング事業部にその担当者の支援をお願いして頂けませんでしょうか」と続けた。さらに、「その際に、アジャイル開発では企画部門の人も開発すべき内容の優先順位づけ、開発途上での不明点への対応、2週間毎にできる動くソフトウェアへのフィードバックや受け入れ等、開発途上での関与が従来よりも多くなる点もお話頂くと助かります」と吹田が話し、宮本の表情を伺った。
宮本は、苦虫をかみつぶしたような顔をし、「所属と名前は」と問うた。「新製品企画部第 3 チームの織田さんです」と吹田が答えた。宮本は、「分かった。前田本部長に依頼するが、負荷が増えることは嫌がるだろうな」と請け合った。
宮本は「他に相談すべきことはあるか」と念を押すと、吹田は「ありません。織田さんの協力が認められ次第ロングパートナー社、バリアジャイル社と話をし、見積もりを取ります。その見積もりで開発委託の決裁を上げさせて頂きます」と安堵した様子で答えた。
PO 候補織田との打ち合わせ
宮本との打ち合わせの翌日、宮本から吹田に「マーケティング本部が今回の開発について織田さんの協力を認めてくれた」と電話があった。すぐに、吹田は織田と打ち合わせを持ち、織田の新プロダクトの企画をロングパートナー社とバリアジャイル社の2社でアジャイル開発により開発するという自分のアイデアを説明した。さらに、吹田は織田にアジャイル開発と従来の開発方法との違いを説明した。
織田は、「アジャイル開発による開発の進め方についてまだピンとこない部分は多いけど、2週間ごとに動くソフトウェアを見て実物で確認できるのはいいと思うわ」とアジャイル開発に対して前向きな感想を述べ、「私の現在検討中の企画を使うなら協力するわ」と述べた。
吹田が「ぜひともプロダクトオーナー (PO)という役割でプロジェクトに参画してほしいと考えているのだけど、お願いできるかな」と聞くと、織田は「いきなり2つのチームの POって無茶に思えるわ」と珍しく尻込みした。
吹田は、「POに求められるのは、1にプロダクトの構想、2に優先順位を素早く判断できる決断力、3に営業部門や開発チームの意見を聞き入れる受容力なんだ」と述べ、さらに「アジャイル開発の成否を決める大きな要因は開発途上での優先順位の判断だと言われている。従来だったら、不確実なものも含めてとりあえず開発してしまったかもしれないけど、それを2週間や2か月の時間枠の中で最低限の機能をまず作成しながら方向性を確かめ、最低限の機能ができたらそこにさらに機能を徐々に追加していくような形で開発を進めるのが望ましいんだ。」と従来手法とアジャイル開発の要求に対する考え方の違いを説明した。織田は、「要は最低限の機能にまず絞り込み、作り上げたもので様々な人の意見を聞くということね」と自分なりに整理した。
吹田が「ところで織田さんの現在検討中の企画ってどの程度まとまっているの?」と聞くと、織田は「社内の企画の審査でプロダクトビジョンが承認され、今開発計画のインプットとなる概要レベルの機能リストなどの要求を書きだしているところなの」と答えた。
吹田は、「やはり、さっき説明した条件を満たす人でもっとも適任なのは織田さんだと思う。2チームといっても、同じプロダクトを開発してもらうので負荷は2倍にはならないと思うし、POとしての役割を教え、支援してくれるコーチをつけるから、頼む、なんとか引き受けて下さい」とすがるような気持ちでお願いした。織田は、少し考えたのち「分かったわ。私もこれまでのプロダクト開発の進め方には満足していなかったので、お引き受けするわ」と返事をした。
吹田は、「助かった。ここ数日間で開発委託先から見積もりを取り、開発委託の決裁が取れればすぐに開発に入れそうだね」と声を弾ませた。
第 2 回の終わりに
吹田は、課題の解決に上司の協力を仰ぎ、以下のような重要な布石を2つ打ちました。
- 従来の開発委託先がアジャイル開発に対応できない場合に備えて、確実にアジャイル開発が実践できるチームを確保することを認めてもらった
- マーケティング本部にプロダクトオーナーの適任者の協力を受け入れてもらった
さらに、POの候補である織田を説得することで、アジャイル開発の成否に大きく影響する重要なチームメンバーを確保しました。
次回のお話では、吹田が開発の委託先の候補 2 社と話し合います。