私の知人に「ギャップ萌え」の人がいます。「美人でクールで近寄りがたい雰囲気の人」と思っていたけど、実際には「気さくで楽しく男前な性格」だった。知人はそのギャップに萌えたようです。このようなギャップ萌えは多くの人が持っている素質だと思います。私もその一人かも。みなさんはいかがでしょう?
人はギャップにいろいろな感情を抱くと思います。前述の「ギャップ萌え」はいい意味でのギャップですが、それと反対の感情を抱くこともあるでしょう。例えば、「見た目は優しそうで誠実そうだけど実際はそうではなかった」というようなケースです。このような感情の違いはなぜ起こるのでしょうか? おそらく見た目の印象(想像)と実際に接して感じる印象(現実)のギャップによるものだと思います。
人と人の間に生じるギャップは前述のような感じですが、人とソフトウェアの場合はどうでしょうか。私は最近になってようやくTwitterを使い始めたのですが、使いやすいので少し萌えました。例えばタイムラインが続きから読めるという点。ソフトウェアのつくりとしては最新のコンテンツが読み込まれていても、読んでいる場所が固定されているのは、エンドユーザーにとっては嬉しい作りだと思います。また、タイムラインから画像を表示した際、画面上のどの箇所をクリックしても画像が閉じられるというのも片手で操作できるので嬉しい作りだと感じました。これらは地味な機能ですが、よく使う機能が使いやすく作られている点は素晴らしいと思いました。初めて使う場合は、使い方を少し学習する必要がありますが、頻繁に使う場合は効率よく使えるソフトウェアだと思います。
一方、「使い方がわからない」とか、頻繁に使っていると「効率が悪い」と感じるソフトウェアもよくあると思います。このように感じるのはなぜでしょうか。おそらくソフトウェア開発者が考えるGUIモデルとエンドユーザーの認知・思考モデルとの間にギャップがあることが原因ではないかと思います。開発者が「このように使ってほしい、このように使うだろう」と考えて作成したものが、エンドユーザーの感覚とずれていれば、結果として使いにくいソフトウェアとして認識されることになります。
人と人の間にギャップがある場合は、コミュニケーションで埋めることが可能ですが、ソフトウェアの場合は人がソフトウェアに一方的に歩み寄るしかありません。例えば、使いにくいソフトウェアを業務で使用する場合、ソフトウェアの使い方を学習し、エラーが頻繁に起こるようであればエラーがおこらないように操作する術を覚えておく必要があります。その結果、学習コストが発生するだけでなく、ストレスを感じたり、非効率なゆえに生産性が下がるということもありえます。結果としてエンドユーザーにとっても会社にとっても不幸なことになってしまいます。
ではどうすればよいでしょうか? ひとつ言えるのは「客観的な視点を持つこと」が必要ということです。開発者だけでソフトウェアを開発していると、どうしても考えが偏りがちになります。特にエンドユーザーが接するGUIはユーザビリティを大きく左右しますので注意が必要です。
客観的な視点を開発の現場に適用する方法としては、ユーザビリティテストやヒューリスティックチェックなどがあります。ユーザビリティテストはソフトウェアを使う様子を観察する手法です。あらかじめ用意したタスクを5人の被験者に実行してもらい、タスクの達成度やソフトウェアを使用する様子を観察することにより、ユーザビリティの課題や問題点を明らかにことができます。ヒューリスティックチェックはUX専門家がユーザビリティの課題や問題点を明らかにする手法です。詳しい説明は、別の機会に行いたいと思います。
ユーザビリティ先進国ではかなり前からユーザビリティテストやヒューリスティックチェックが定着していますが、日本の開発現場でも定着してほしいですね。エンドユーザーが「ギャップ萌え」を感じるレベルまでいかなくても、学習する必要がなく、違和感なく使えるソフトウェアが多くなれば、ストレスを感じることも少なくなり、作業効率もアップすると思います。そうなると、エンドユーザーにとってメリットがあるだけでなく、ソフトウェアの資産価値がアップするので、ソフトウェアオーナーにとってもメリットがあります。また、ソフトウェアの開発者のモチベーションもアップすると思います。結果としてすべてのステークホルダーがハッピーになると思うのですが、みなさんはどう思われますか?