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「イノベーションの育て方 ~ハナさんのストーリー~ (16)」

2020.04.20 株式会社オージス総研  山海 一剛

2019年7月9日(2)

「では、岩崎さんから、今回の活動のテーマを説明してもらいます」

佐野さんの言うテーマとは、「どういう領域を対象にデザイン思考を進めるのか」についてだ。

「はい。ではまずご覧ください。皆さんに取り組んでいただきたいテーマはこれです」
パソコンをクリックして、スクリーンに投影する。

「都会と地方に分断された家族の絆を回復することで、地方に貢献する」

さらに数ページ、簡単な資料を投影しながら、このテーマを選んだ背景や思いを説明した。佐野さんからの宿題のうちでも最大級に悩ましいものだったが、このテーマにたどり着いてしまうと、自分でも意外と納得感があり、意外なほどすらすらと言葉が出てきた。

もともと、この地域に貢献したいという思いは私も持っていたし、またワークショップで経営層の人たちも同じ思いだということに気がついた。でも新しいビジネスを検討するには、もう少し対象を狭めないと具体的な検討ができない。テーマを「都会と地方に分断された家族の絆」に絞り込んだのは、実は大森くんの影響が大きかった。

大森くんは大学時代、東京の大学で情報工学を専攻していて、そのまま東京のIT企業に就職しよう考えていたらしいのだが、就職活動の時期にお母さまが重い病気になって、お父さまだけでは看病しきれないと判断したらしく、一人っ子でもある彼はこちらに戻って就職することにしたそうだ。

東京ならいざ知らず、地方の一都市ではIT企業の数は少ない。ITエンジニアを目指していた彼は、就職先を決めるまで何度も東京と往復しながら、随分と悩んだようだ。
「情報を扱うという意味では、新聞社も情報産業ですから。ただし、かなりアナログですが。」
と、照れ気味に語る大森くんがこの会社に入るまでに、そんな経緯があったとは知らなかった。

幸いお母さまは大病を克服されたようだが、常に両親のことを気にしながら、離れた都会で暮らすのは、つらい経験だったろう。そういう背景もあってか、このテーマに決まってから、おとなしかった大森くんが積極的になってきたような気がする。声も少し大きくなったし、自分から話しかけてくれることが多くなった。

「では」
ひととおり説明が終わったタイミングで、佐野さんが立ち上がる。

「まず皆さんで、どういう活動をするかを考えてくださいね。私はしばらく、様子を見させていただきます。」
そう言うと会議室のうしろの隅に椅子を持って行って座った。メンバーは皆怪訝な顔をしている。「あれ?コンサルタントなんだから、何をすればいいのか教えてくれるんじゃないの」きっとそう思っているに違いない。

「自分たちがすべきことは自分たちで考える。でないと自分事として取り組めない」こういう佐野さんの考え方を知らない人たちには、さぞかし意外だろう。そんな空気を感じ取っているのかいないのか、会議室の片隅で、ノートを膝に置いて澄まして座っている佐野さんの姿は、ちょうど美術館の学芸員さんのようだった。

会議室の片隅で

「よし、ではまず推進計画を作ろうか」
率先してファシリテータを買って出てくれたのは大崎さん。ありがたくお任せすることにして私も議論に加わる。しかしなかなか具体的な計画になっていかない。時間だけが経っていく。

「えーっと、ちょっと割り込ませていただいていいですか」
30分ほど非効率な議論が続いた後、佐野さんが立ち上がって声を掛ける。

「もちろん計画は重要ですが、今きっちりした計画を作るのは無理があるんじゃないですか」
みんなが顔を見合わせる。

「まずテーマの"都会と地方に分断された家族"について、皆さんはどの程度理解しておられますか?」
言葉を続ける。
「皆さんはこの"都会と地方に分断された家族"が抱えている課題を理解し、幸せにしないといけないのです。これから創り出すビジネスのお客様と言ってもいいでしょう。では、皆さんはお客様についての何をどの程度理解しているのでしょうか」

「例えばこの中に、ご家族のどなたかが他地区に住んでおられる方っていますか?あるいはそういう経験をお持ちの方は?」

編集制作部の大崎さんが東京支局時代に、ご両親だけこちらに残して家族で移り住んでいた経験があるのを除けば、両親だけ離れて暮らしているという人はいない。

「う~ん、これはメンバーの人選ミスじゃないの?」と、クールに水沼さんが指摘する。

「そんなことはありませんよ」
佐野さんがにっこりして切り返す。
「デザイン思考の考え方では、お客様のことを理解するのに、自分の経験や価値観で判断してはいけないとされています。自分が欲しいものだから、お客様も欲しいだろうというような発想になってしまうからです。」

「自分が持っている経験や枠組みを捨てて、白紙の状態でお客様を理解する。それをデザイン思考では"共感"と呼びます」

「では、ちょっと説明させてくださいね。」
前に出てきて、パソコンをプロジェクターに繋ぐ。デザイン思考の共感ステップについて、コンパクトに説明してくれた。

「...そして、共感に至る手段は3つあると言われています。観察、インタビュー、体験です。今回のテーマの場合、インタビューから始めるのが良いと思います。どのような人にインタビューしたいのかを提示すれば、連れてきてくれるサービスをしている会社もありますよ。もちろん有償ですが。」

そこで萩原さんが手を挙げる。
「わざわざ呼んで聞かなくても、だいたい想像つくんじゃないの。だいいちそんな時間はないし、費用もかけられない」

「おっしゃることはわかります。でも先ほど言ったように想像ではだめなんです。」

「金が出ないなら知恵を出せ」
福石さんの声だ。
「そういう言葉もある。どうすればお金をかけずに出来るか、みんなで考えようじゃないか」
優しい目で全員の顔を見渡して、そう言った。

福石さんの言葉に動かされたのか、そこからの議論は積極的で具体的なものになった。ひとまずインタビューする相手を手分けして見つけようということになった。社外の人に対しては、気持ち程度の謝礼は出せる。

販売部は、販売店さんの中でお子さんが都会で離れて暮らしているご家庭を探すことにしてくれた。また業務部と印刷部では、社員の中で該当する家庭を探すことにしてくれた。さらに編集制作部でも、読者の中にお子さんが都会で離れて暮らしているご家庭があれば、協力をお願いしてみようとなった。特に寄稿欄に頻繁に記事を寄せてくれる読者の方には、普段から親しくしている人が少なからずいるそうだ。

最後に、インタビューで聞きたい項目を各々洗い出しておくことを宿題にして、キックオフミーティングは解散となったのだが、少し気になるのが営業部の萩原さん。議論には積極的に参加してくれていたが、営業部として何らかのアクションしてくれるような話は最後まで出なかった。

<つづく>

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