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「イノベーションの育て方～ハナさんのストーリー～　（３９）」

2021.04.28 株式会社オージス総研　　山海　一剛

2019年11月14日(2)

「さっそくだが、君たちのマイルストーンを私が決めさせてもらう」
と、社長の言い出した「マイルストーン」とは、次のようなものだった

・限られた少数のユーザーに対して限られた期間、実際にサービスを提供する
・その結果をもって、会社として事業化を進めるか否かの判断を行う
・事業化は2月中旬までに判断する

本格的にビジネスを開始する前に、限定した範囲で実験的に商品を販売したりサービスを提供したりすることを「テストマーケティング」というらしいが、今日の社長の指示はまさにそれだった。だがみんなが強く抵抗したのはその時期だ。マーケティングでちゃんとユーザーの反応を計測するなら、1日や2日ではなく、最低限2週間とか3週間程度の期間が必要だろう。結果を整理して報告するための時間も要る。それを考えれば1月にはテストマーケティングを開始する必要がある。正月休みもあるので、今からせいぜい1カ月程度でテストマーケティングの準備をしないといけない。

「ちょっと待ってくださいよ。それはあまりにも急すぎる」
最初に声をあげたのは、やはり萩原さんだ。でも社長は動じない。
「そもそも来年度に事業化するためには、その費用を来年度の予算に組み込まないといけない。2月中旬というのは、ぎりぎり後ろに引き伸ばしての期日だ。大丈夫だ。君たちならできる」

そう言われてしまうと、誰も反論できなくなった。でも社長に「大丈夫」と言ってもらっても全然安心できない。そもそも私なんて、4月に「君ならできる」とか言われた結果が今の状況だ。
首を回してみんなの方を見てみると、やはり一様に納得いかないといった表情だ。ただ一人、最年長の福石さんだけは、少しいたずらっぽい表情をしていた。この状況を楽しんでいるようにも見える。

みんな社長のキャラを知っているので、「あぁ、この調子じゃ、譲歩してくれそうにないな」と察したらしく、メンバーはいったんその場での抵抗を諦めたようだ。しかし誰も納得していないだろう。社長も、そんな私たちの反応は想定範囲内だったようで、
「チームでの議論も必要だろう。何かあれば、いつでも相談に来たまえ」とだけ言って、会議室を出ていった。

気が付けば、息子のお迎えの時間が迫っている。"社長の指示に対して、各自で課題を洗い出しておく"ということにしてその場は解散した。

2019年11月14日(3)

自分が夕食当番だったので、今日は少し凝った料理でもと思って、息子のお迎えの帰りにスーパーで食材を物色しながら献立を考えるつもりだった。でも全然アタマが切り替わらす、食材を眺めながら店内をぐるぐる回っても、まったく献立が思いつかない。

こうなれば、奥の手だ。アタマを切り替えて、総菜コーナーにいってみる。

あ、まだあった。最後のひとつ。ラッキー！

お目当てのミートローフがひとつだけ残っていた。思わず心の中でガッツポーズ。精肉店直営のこのスーパーはミート系の総菜が充実していてしかも安い。特にミートローフは、味が絶妙で私だけでなく夫も息子も大好物。しかも、えっ！というぐらいのビッグサイズなので、我が家にはひとつで十分。人気商品なので、いつももっと早い時間に売り切れるはずなのに。まるでゲームでレアアイテムをゲットしたような気分だ。たしか冷蔵庫にキャベツとレタスがあったので、ミートローフを主菜にしてサラダを添えることにした。なによりも調理の時間を節約できるので、じっくり考える時間を捻出できるだろう。

夕食のあと、「仕事関係でじっくり考えたいことがあるから」と宣言して、息子の入浴と寝かしつけを夫に任せた。夫に相談するという手もあったが、まずは自分のアタマを整理するべきだと思ったのだ。こんなとき、あれこれ詮索せず黙って自由させてくれる夫がありがたい。

食器棚の奥からとっておきの紅茶を引っ張り出す。イラムという土地で採れる紅茶が私のお気に入り。ポットに淹れて一番小さな部屋に入る。たいして部屋数が多くないマンションだが、一番狭い部屋をクローゼット兼家事部屋にしていて、結婚したときに実家から持ってきた小さなテーブルを置いてある。椅子だけは贅沢したくて、最近買ったちょっと高めのものだ。いろいろなものを放り込んであるので、空間としては狭いが、かえって隠れ家的な感じで妙に落ち着く。とっておきの紅茶を淹れてこの空間にこもる。これが行き詰まったときの、私のルーティーンなのだ。

隠れ家

紅茶の香りを嗅ぎながら冷静になって考えてみると、自分のモヤモヤのポイントがわかってきた。
たしかに社長の指示は無茶ぶりと言っていいだろう。メンバーが納得できないのは当然だし、私自身もそうだ。では私もメンバーと一緒になって納得できないと主張すべきなのだろうか。いや、私は新事業企画室の室長だから、むしろメンバーを納得させる責任があるのではないだろうか。
はっきり自覚できていなかったけど、要するに自分の立場と気持ちの板挟みになっているということだ。。

でもメンバーを納得させるには、まず自分自身が納得する必要がある。自分すら納得していないことを、"社長の指示だから"という理由で押し付けるようなことはしたくない。では自分が納得するには、どうすればいいのか。

ここまでたどり着くと、これ以上一人で考えても、先に進めないような気がしてきた。壁にぶつかったときは、誰かに相談してみる方がいい。よし、明日にでも誰かに相談してみよう。そう思った。
以前の私だと、一人で抱え込んでしまう傾向があったけど、多少は早めに発想を切り替えることができるようになったらしい。少しは成長したのだろうかと、部屋の中でひとり苦笑する。

さて、誰に相談するか。ふと、今日の福石さんの表情を思い出した。なぜか面白がっているように見えたあの表情。ベテランの福石さんは、私以上に社長との付き合いも長い。あのとき、私たちはわからない社長の意図を感じ取ったのではないか。さすがに考えすぎかも知れないけど、福石さんなら突然押しかけても相談に乗ってくれそうだ。ここはベテランの懐の深さに期待しよう。
全然解決してないけど、問題の構造がわかったし、次のアクションも決まったので、随分すっきりした。おかげで今夜はぐっすり眠れそうだ。

...でも、紅茶のせいでなかなか眠くならなかったのだが...。

＜つづく＞

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