WEBマガジン

「イノベーションの育て方 ~ハナさんのストーリー~ (17)」

2020.05.21 株式会社オージス総研  山海 一剛

2019年7月30日

この日は、インタビューに向けての最終打合せ。佐野さんも参加。
7月9日のキックオフのあと、週に2回ほど打合せを開いてお互い状況を確認しながら進めてきたが、何とかインタビュイー(インタビューを受けてくれる人)については、10人ほどの目途がついて、ほぼ日程も決まった。この日は最終確認という意味で、質問の内容や役割分担などを確認した。

インタビューはなるべく3人程度で分担して行うことにした。インタビュイーの表情やその場の空気感など、録音やメモでは伝わらない部分も、なるべく多くのメンバーで共有したい。だからといってあまりに大勢でインタビューすると、インタビュイーが委縮してしまう。そのあたりのバランスをとって、3人ぐらいにしましょうということになったのだ。

インタビューの日程が近づいたせいか、みんな気合が入っていて、思ったよりも長い打合せになった。私のお迎えの時間が近づいていることを、佐野さんが意識してファシリテートしてくれたおかげで、なんとか夕方5時少し前に解散となった。そのせいもあって珍しく佐野さんと一緒に会社を後にする。

濃い潮の香りが鼻腔をくすぐる。暑い時期の夕方、潮を含んだ凪いだ空気がオフィス街にも満ちる。ここは海が意外と近い。普段は意識していないそのことを思い出させてくれる。

「もう、すっかり真夏ですね」
同じように感じたのか、並んで歩いていた佐野さんがつぶやく。
「思ったより暑いんですね」

「はい。東京や大阪と比べると、冬はずっと寒いんですけど、夏の気温はそれほど変わらないんですよ」
冬が寒い分、夏はもう少し涼しくてもいいじゃないか、毎年そんな不公平感を感じる。
「夏はお好きですか」
ふと聞いてみた。

「夏はダメです。暑いと死んでしまいます。」
「え、いや、死んでしまうって」
「そういう仕様なんです。わたし。」
「いや、仕様って」
「数年前、愛知県の部品メーカーさんのご支援をしてたんですけど、駅から現場まで歩いて20分以上かかるんです。夏はもう毎日、生命の危機でした。」
まぁ、あまりアウトドア派に見えないけど、生命の危機って...。

「ところで」
歩きながら、佐野さんがこちらを見る。
「ここまで進めてきて、どうですか」
そう問われて思い出したのが、5月の「日本海新報デジタル版」だ。ワークショップでデザイン思考を学んだはずなのに、今思えば全然理解できていなかった。いや、理解できていたのかも知れないが、実践できていなかった。特に共感ステップをテキトーにやってしまっていた。
「いまだに不安なことばかりです。それに共感って難しいですね。」

「たしかに簡単ではないです。でもそれ以上に必要性をわかってもらいにくいので、みなさん共感を省略したがるんです。自分の勝手な思いで作ったアイデアが、ユーザーにも価値があると決めつけて、作ってしまう...」

ああ、まさにデジタル版がそのパターンだ。
「そうして考えたアイデアが必ず失敗するわけではないですが、ありふれたアイデアしか出ないことも確かですね。」

佐野さんの言葉が、心の古傷にしみる。気が付くと、駅の改札口を大きく通り過ぎていた。
「あれ、改札口通り過ぎちゃいましたよ」
「あっ、そうでした。最近ようやく道を間違えなくなったと思ったら...。」
くるりと振返る。そのまま行くのかと思ったら、もう一度私の顔を見る。
「どんなものになるかわからないですけど、いいイノベーションが育てばいいですね」
そうひとこと言うと再びくるりと向きを変える。予約した電車の時間が迫っているのだろうか、少し足早に行ってしまった。

私は駅前ロータリーのバス停へ。ちょうど来た保育園方面に向かうバスに乗ってから、もう少し考えてみた。

バスにて

デジタル版を考えたときは、早く新事業のアイデアを出さないといけないという焦りがあった。「若者の活字離れに着目しました」と、ちゃんとユーザー中心で考えたかのように説明したものの、今思えば、たまたま思いついたデジタル版という落としどころに持っていくための、都合のいい理論武装にすぎない。

そして発表といえば、あの経営会議。5月の経営会議をプチ修羅場にしてしまった。

あのときの問題はアイデアではなかった。みんなが同じ方向を向いていなかったからだ。「こういう状況のこういう人を幸せにしたい」そういう思いが共有できていなかった。いや、今にして思えば、そもそも私自身が思いを持っていなかった。私が持っていたのは新事業企画室長としての責任感だけ。私がそんなでは、みんなが同じ方向を向いてくれるわけがなかった。

バス停で降りると、保育園はすぐそこだ。空気に含まれた潮の香りがさらに強まる。
陽はまだ沈んでいないけど、長い影が自分の前に伸びている。

影を眺めながら歩く。
小さいころは、近づいても近づいても遠のいていく影が不思議だった。

あのころの身長だと、影はずっと短かったはずだが、随分長く感じたものだ。ちょうど今の息子と同じ年ごろだったろうか。仕事に考えを戻す。デジタル版のころからすれば、進んだというより、むしろ後戻りしたような気がする。それに、いつ頃アイデアがかたちになるかわからない。目の前の影を追いかけているように、このまま何カ月も経ってしまったらどうしよう。

「まだ何をするかわからないけど、いいイノベーションが育てばいいですね」
佐野さんの言葉がよみがえる。

でもひとつ、あの頃と大きく違うことがある。
どんなサービスになるかわからないけど、この地域の人たちに役立つサービスになってほしい。誰よりも私自身がそう思っていることだ。「将来、何をする人になるのかはわからないけど、人の役に立つ人に育ってほしい。それと同じやん」京子の言葉は正しかった。先のことはわからないけど、いま私がすべきなのは、この思いを他のメンバーにも持ってもらうことだ。全てはそれから。
そう考えると、ようやく腹がくくれたような気がした。

保育園の入り口についたとき、私に気づいて手を振る息子の姿が見えた。ふと思いついた。
「こんどの休みには、一緒にかげ踏みしよう」

<つづく>

*本コンテンツはフィクションです。
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