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「イノベーションの育て方～ハナさんのストーリー～　（５３）」

2021.12.24 株式会社オージス総研　　山海　一剛

2020年2月14日（４）

「これまでの3つは、論理的な説得。最後にもうひとつ、感情に訴えましょう」
感情に訴える？唐突な佐野さんの言葉に少し戸惑う。
「つまり、この事業を立ち上げなければならないという気持ちを呼び起こすんです。それが4つ目の"4.事業を行う必然性を説く"です」

「でも他人の気持ちを変えるなんて、簡単じゃないですよね」
「もちろんそうです。でも岩崎さんたちには既に積み上げた資産があるでしょう」
はて、そんなのあったかな。
「思い出してください。6月のワークショップを」
そういえば！

6月の初め頃、経営層に対してハイポイントインタビューで、「自分たちの強み」「大切にしている価値観」を出してもらい、その上で、5年後、10年後に自分たちはどうなっていたいのかを考えてもらったのだった。

「あのときにみんなで考えた、ありたい姿を思い出してもらいましょう。ホワイトボードの内容は残っていますか」
「はい、スマフォで撮っておいたはずです...えーっと」
6月あたりを探すと、すぐに見つかった。

・地域とのつながりが深く、地域の人たちに愛されている
・会社を通じて地域に貢献・恩返しができている
・社員が自分の会社を好きだと思っている

「あ、ありました。これです」
スマフォの画面をカメラの前にかざす。思い出すと、今でも少し心が熱くなる。そう、あのときは経営層の方々と思いをひとつにできたと感じたのに。

「文字に書き起こしますね」
佐野さんが画面越しにのぞき込みながら、言った。
「いや、その画像を直接投影しましょう。その方が、生々しい記憶を呼び起こせると思います」

その後夕方の打合せでは、簡単に経営会議の顛末を話した上で、佐野さんから授かった4つの策を説明した。

1. 失敗時のダメージを最小化していることを説明する
2. 撤退基準を明確に定義しておく
3. 判断を先送りする場合のダメージを説明する
4. 事業を行う必然性を説く

経営層の反応にはみんな一様にがっかりした様子だったが、佐野さんの策を説明すると、俄然やる気になってくれた。

特に手がかかりそうなのが「1.失敗時のダメージを最小化していることを説明する」だ。これについてはマーケティングやプロモーション関係への計画を萩原さんと水沼さん、配達員さんの育成や社内ルール整備などの工数を大崎さん、IT関係の投資計画を荒田くんと大森くんが担当してくれることになった。2.の撤退基準は、福石さんが引き受けてくれた。でも単純な積み上げではなく、ユーザー数や収益の状況変化に対応した柔軟な計画でないといけないので、1週間後にそれぞれの原案を持ち寄って調整することにした。

みんな積極的に役割を引き取ってくれたので、スムーズに段取りできたが、それでも17時近くになっていた。慌てて身支度をして会社を出る。駅に向かって歩きながら、あちこちの店先にチョコレートのワゴンが出ていることに気がついた。今日はバレンタインデーなのだ。せめて義理チョコでも買って配るべきだったか。そんなことすら考える余裕が無かったことに気がついた。少しだけ時間に余裕があったので、ひときわ種類が多そうなワゴンの前に立ち止まる。夫と息子の分に加えて、自分にはひときわ高級なベルギー・チョコレート。リベンジのために心の栄養補給だ。

2020年2月17日

経営会議の午後のうちに、チームで分担を決められて良かった。でも、ひとつ悩ましいことが残っている。佐野さんの策の4つ目、「事業を行う必然性を説く」は私の担当なのだ。

6月のワークショップの「5年後、10年後のありたい姿」は、佐野さんの言うとおりホワイトボードの写真をそのままPowerPointに貼りつけるつもりではあるものの、その前後のページをどうするか、なかなか考えつかないのだ。週が明けて月曜日の今日、ときおり萩原さんや大森くんからの相談を受けたりしながらも、ずっとそればかり考え続けている。目の前のスクリーンには真っ白なページ。

「どないしたんハナ、眉間にしわが寄ってるで」
能天気な京子の声がした。
顔を上げて壁の時計を見ると、いつの間にか昼休み近くになっていた。
「ランチがてら経営会議のことを聞こう思たんやけどなぁ」
煮詰まっていたアタマには、むしろ京子の能天気さが救いだ。大森くんにも声をかけ、12時の時報を待ってランチに出た。

3人が向かったのは、焼き魚が美味しい「北一食堂」。昔は魚市場だったという一角にあり、会社の裏の川を渡って少し歩かなければならない。

橋を渡ると、頬をなでる風が冷たい。でも今日は天気がいいのが救いだ。

お昼の定食は、15種類以上ある干物を選ぶと、それから炭火で焼いて出してくれる。店の前で焼く魚の白い煙がもくもくと上がっているので、離れた場所からでもわかる。

「あぁお腹すいた。あの煙を見るだけで期待値があがるわー。北一食堂だけに」
よだれをぬぐう仕草をしながら京子が言った。
「なに、そのベタなしゃれ。あなたホントに関西人？」
「関西人のお笑いのセンスは量をこなすことで磨かれるんやで。知らへんの？」
あまりにテキトーな答えに、思わず吹き出してしまう。

お店はもう既に込み始めていたが、なんとかテーブル席を確保することができた。大森くんはツボ鯛、京子は鮭のハラミ、私はトロ鯵を頼んだ。

京子に経営会議の経緯を説明した上で、私の担当の「事業を行う必然性を説く」について相談してみる。
「というわけで、この"ありたい姿"の写真はそのまま使うつもりなんだけど、それ前後にどういうページを作ればいいのかわからないのよ」
と、スマフォでホワイトボードの写真を見せる。
「たしかに、これはええ内容やね。私もぐっとくるわぁ」
「でしょ、でもこれに何を付け加えればいいやら」

スマフォを見ながら

ちょうどその時、3人分の定食が運ばれてきた。この店は醤油にもこだわっていて、テーブルには地元で醸造されている醤油が5種類もおいてある。

「あれ、岩崎さんは醤油かけないんですか」
自分の皿に醤油をかけようとした大森くんが手を止めて尋ねる。どの醤油にも個性があって捨てがたいのだが、あえて私は醤油をかけない派なのだ。
「そう。素材がいいからそのまま食べるのが一番」
「なるほど、じゃぁ僕も試してみます」
と、手にとった醤油刺しをテーブルに戻して、そのまま食べ始めた。
「はい、確かに醤油なしもアリですね」

「うんうん、そういうことやね」
その様子を見ていた京子が、妙に納得したような声をあげる。
「何が」
「その写真だけで説明すればええやん」
「え、これだけ」
「そう。あとはハナのトークでね」

一瞬、ジョブズのようにインカムをつけてステージを歩き回る自分の姿が脳裏をよぎる。いや、ムリムリムリ。とはいえ、余計なものは要らないように思えてきた。

そしてこのあと、京子からある情報を知らされることになる。

＜つづく＞

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