「イノベーションの育て方 ～ハナさんのストーリー～　（４０）」

「ハナさんとしては、みんながどう受け取っているのか把握しておきたいということかな？」
と、興味深そうな表情で私をみる。
「みんなというか、特に福石さんのお考えをお聞きしたかったんです」
「ほぅ。どうして私に」
「なんか、あのとき、福石さんだけ面白そうな、その場を楽しんでいるような表情をしておられた気がして」
「ああぁ、ははは」
と一笑して
「確かにあれは、面白い光景だったな。萩原君なんて、"社長の指示は無茶だ"とか"社長の職権濫用"とか息巻いてたもんなぁ」
「福石さんは、無茶とは思っておられないんですか」
「ハナさんはどう思うの」
逆に聞き返されるとは思っていなかったので、少し困った。そんな私の表情を面白そうに見ながら、言葉を続ける。
「じゃぁ、質問を変えよう。社長は事業化判断のために、何をしろと命令したのかな」
「いぇ、何も。事業化判断の時期だけですね。あ、でもテストマーケティングはする前提なんですよね」
「そう、事業化判断を2月中旬に行う。そのためにテストマーケティングの結果が必要、ということだけだ」
「でもテストマーケティングするには、やはり期間が少なすぎるのでは」
「では次の質問。社長はテストマーケティングの内容を何か指示したかね」
「いぇ、何も。テストマーケティングするということだけですね」
あれ、言ってから気づいたけど、確かにテストマーケティングの内容は白紙だ。
「だから面白い光景だったんだよ。社長は事業化判断の期限を宣言した。それまでにテストマーケティングをする必要があることは確かだ。でもその内容はこれから私たちが考えないといけない。まだ中身も決まっていないのに、みんなは間に合わないとか無茶だと騒いでいた。面白いよね」
面白そうに言いながら、立ち止まって川の方を向く。私も川に眼を向ける。太陽の光が川面に反射して少しまぶしいけど、青空の下は気持ちがいい。たまにはウォーキングもいいかも...と別の方に考えが歩き出す。

アタマをもとに戻して、そのまま福石さんの言葉を少し考えてみた。
「では、準備の時間が足りなければ、テストマーケティングの内容を調整すればいいんですか。極端なはなし、テストマーケティングをしないという選択肢もアリですか」
「そこまで簡単じゃないだろうな。今までのような部分的な実証実験だけで事業化を判断してくれと言っても通らんだろう。仮に社長がＯＫと言ったとしても、経営会議は通らない」
川を眺めながら続ける。
「時間が無いからとテストマーケティングの内容をプアにすると、事業化判断の材料が少なくなるし、検証不足で誤った判断をするリスクが高くなる。本番さながらに準備を整えてテストマーケティングをするには期間もコストもかかる」
「佐野さんが言ってた、"顧客価値を検証されていないものにコストをかける"ということになるんですね。えーっと、リーンでしたっけ」
「そう、さすがハナさんだ。つまり我々は、限られた期間と最低限のコストのテストマーケティングで、できるかぎりたくさんの情報を得ないといけない。だからリーンの考え方が必要なんだ。まぁ俺もちゃんと理解できているわけじゃないけどな」

「私たちにそれだけ大きな裁量を与えてくれているんですね。社長としては」

少し眉を寄せた顔をこちらに向けて
「そうだな。でもそれは"社長として"ではないように思うんだよ」
「え、でも社長の指示でしょ」

「この場合、"社長として"ではなくて"投資家として"と考えるべきだと思ってるんだ。まぁ社長個人の財産を投資しているわけではないから、"投資会社の代表として"の方がいいだろうな」

「そういえば、1カ月ちょっと前に、佐野さんからも同じようなことを言われたことがあります」
スタートアップに例えるなら私たちは起業家、社長は投資家の立場だ...たしかそう言われた。そのときは...いや、今もピンと来ていない。福石さんが続ける。
「つまり俺たちは、会社に投資してもらって新規事業を立ち上げようとしているスタートアップのチームなんだよ」
「他のメンバーもそう思ってるんでしょうか」
「違うだろうな。でも社長のスタンスはそうだし、俺たちもそういう考え方をするべきだと思うんだ。今回社長が期限をきってきたのは、2月中頃までに継続投資の判断材料を用意しろということだ。投資する側も無尽蔵に資金があるわけではない。むしろ当然のことだと思うんだけどな」
といって、再びにっこりする。
「だから社長の指示ではないし、ましてや"職権濫用"なんてお門違いだ」

「つまり、私たちは投資家を納得させないといけないんですね」
「そういうこと。限られた時間をどう使うかは、俺たちに任されている」

福石さんとの会話で、ようやく社長の意図がわかったように思う。自分たちに与えられた裁量は、意外なほど大きいことに気づかされて、プレッシャーすら感じ始めた。むしろ無茶ぶりでもいいので、社長と社員の関係で、業務命令を出してもらう方がよほど気楽だ。

でも社長の立場からすればどうだろうか。もし、この企画がうまく行かなければ、オーナー社長ではなく雇われ社長の身としては、私たち社員以上にダメージが大きいはずだ。以前1年下の後輩が教えてくれたように、私たちの活動は、必ずしも全員にポジティブに受け入れられているわけではない。それなのに、私たちにこれだけの権限を委譲するのは、並みならぬ覚悟が必要だったろう。それだけ信頼してくれているのだとも言える。

そう考えると「頑張ろう」という気が芽生えてきた。少し前の私なら、プレッシャーにつぶされていたかもしれないのに。自分でも不思議だった。

さっきより少しだけ風が出てきたようだ。風はきつくないものの、かすかに冷たさを感じるようになった。日本海の冬は、足早に近づいているのだ。少し足早に二人でオフィスに戻った。

＜つづく＞