WEBマガジン

「イノベーションの育て方～ハナさんのストーリー～　（５６）」

2022.03.02 株式会社オージス総研　　山海　一剛

2020年2月28日（3）

なんとも中途半端な感じで終わった経営会議だった。席に戻っても落ち着かない。今日も京子と昼食に出たものの、上の空だった。京子の方は相変わらずで、新型ウィルスのせいで学校が春休みまで休校になるらしいとか、そんなことをまくしたてていたが、生返事ばかりしていたように思う。
会社に戻ると、とりあえずいつもの会議室に行ってみた。もちろん私たち専用の会議室ではない。仮説検証やふり返りの模造紙を壁に貼ってはあるだけで、普通に社内の会議に使っている。この日は昼一番の予約は無かったようで、自然と検討チームのメンバーが集まってきていた。

「おお、ハナさんも来たか」
私を見つけた福石さんが声をかける。

「経営会議では、お疲れさま」
と、萩原さん。
「あ、いえ、あの、すみません。あまりうまく説明できなくて」
最後の私のパートは、緊張というより思い入れが強すぎで、正直自分でもうまく説明できた気がしていないのだ。
「いや、そんなことは無いよ。落ち着いた口調だったし、役員たちの気持ちを引き出せたと思うよ」
と水沼さん。
そう言ってもらえると少し安心だ。やがて大森くんもやって来た。
特に示し合わせたわけでもないのに、いつの間にかほぼ全員が揃っていた。
こんな風に、いつもそこに行けばメンバーと会える、相談できる、そんな空間が必要だなと感じた。でもうちみたいな規模の会社では、それは贅沢な望みなのかも知れない。

カチャ。

ドアが開いて、社長が顔をのぞかせた。
「ああ、やっぱりみんなここにいたんだね」
と部屋に入ってくる。

「みんな安心してくれ。なんとか事業化することになった」

その瞬間、会議室を占めたのは、喚起とか興奮ではなく、安堵感だった。
そして唯一、よしっ、と右のこぶしを握り締めた大森くん。

いやー、良かった、良かった。
今までの苦労が報われたな。
ハナさん、おめでとう。

互いにねぎらい合い、祝福し合う言葉が飛び交う。
このメンバーですら、全員が最初からこの活動に積極的だったわけではない。むしろ懐疑的だった人が大半だったろう。でも、今は事業化を喜び合える仲間になった。いつの間にか同じ目標に向かって力を出し合い、助け合うチームになっていたのだ。それが今、本当に実感できる。
でも、100パーセント喜ぶ気持ちにまではなれない。なんだか不安の方が大きい。

ひとしきり語り合った後1人抜け2人抜けして、会議室には社長、福石さん、大森くん、そして私の4人が残った。誰からとなく、端っこのテーブルに4人で腰掛ける。

「これでみんなの苦労も報われることだろう」
社長は、私たちをみてニッコリする。でもすぐに表情を険しくして、
「でも、苦労は終わりではない。これからビジネスとして成立させなければならない」
そう、まさにそうなのだ。

会議室にて

今までよりもこれからの方が大変かも知れない。経営層がしたのは事業化の判断であって、事業化を進めるのは私たちなのだ。

「さっそく佐野さんにも連絡しよう」
社長に言われて、そうだったと気が付く。佐野さんも気にしているだろう。連絡して、そして...
「そして、今後の進め方を相談しなければ...ですね」
先回りして大森くんが言う。

「事業化が決定されたからには、会社も本腰を入れて投資する。だから体制も専任者を増やして。しっかりしたものにしないといけない」

すでに投資計画は今日の経営会議で説明した。でもその計画どおり進めれば成功するというわけではない。状況に応じて臨機応変に進めなければならないのは、これからも同じだ。会社が本腰を入れて投資してくれるのはありがたいが、それに甘えられるほど体力のある会社ではない。

「佐野さんにもアドバイスをもらって、まずは事業化に向けての枠組みを作って、早く再スタートを切ろう。まずは体制とスケジュールの案を作ってくれ。それをもとに私もバックアップする。でも私がしてあげられるのはそこまでかな」

え、それってやっぱり。

「もう耳にしているかも知れんが、3月末で社長を退くことになっている」

やっぱり、京子の情報は本当だったんだ。
「でも、4月以降も何らかのお立場で会社に残っていただけるんですよね」
と、大森くん。質問より懇願するようなトーンだ。

「いや、少し思うことろがあってね。この会社からは離れようと思っている」
「で、どうされるんですか」
と、私。

「まだちゃんと決まっていないので、それはちょっと待ってくれないか。3月末までには説明できると思う。じゃぁ、引き続き頑張ってくれたまえ」
と、会議室を出ていった。

「ずいぶんショックなようだね」
それまでのやり取りを黙って聞いていた福石さんが、声をかけてくれた。

「はい。噂は聞いていたものの、はっきりお聞きしてしまうとやっぱり」
「社長はね、保護区を提供してくれていたんだと思う」
にこやかにうなずきながら、聞いていた福石さんが、このようなことを言った。私と大森くんを交互に観ながら続ける。
「知っているだろうけど、新しいビジネスには、社内でも懐疑的な声は少なくなかった。それは理屈ではなく、恐怖や不安といった感情に近いものだったように思う。社長は何かあるたびに、私たちを擁護してくれて、私たちが自由に活動できるようにしてくれていた。それって、まさに保護区だと思わないか」

そう言えば、北一食堂で京子が社長のことを、私たちの保護者だと言っていた。同じような意味だったんだろう。

「もちろん社長といっても、うちの社長は全権を掌握しているわけではない。社長の権限だけで、保護区は作れなかったと思う。やはりそれは、ハナさんが経営層の思いを一つにまとめてくれたからだよ。社長が抵抗勢力を何とか抑えることができたのは、ワークショップで議論した将来の課題やありたい姿に立ち返って説得することができたからだ」

そうだったのか。

「ハナさんの思いが多くの人に伝わり、それがあったからこそ保護区が機能した。思いを持った人がいて、その人を信じて任せる人がいた。この2つが揃わないとうまく行かなかった。私はそう見ているけどね」

じゃぁ、と片手を挙げて、福石さんも会議室を出ていった。
私は大森くんと目を合わせてうなずき、携帯を取り出した。まず佐野さんに連絡だ。

（つづく）

*本コンテンツはフィクションです。
*本Webマガジンの内容は執筆者個人の見解に基づいており、株式会社オージス総研およびさくら情報システム株式会社、株式会社宇部情報システムのいずれの見解を示すものでもありません。

『WEBマガジン』に関しては下記よりお気軽にお問い合わせください。

お問い合わせ

さらに見る

「イノベーションの育て方 ～ハナさんのストーリー～ （５６）」

2020年2月28日（3）

同一テーマ 記事一覧

「イノベーションの育て方～ハナさんのストーリー～　（５６）」

同一テーマ　記事一覧