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「イノベーションの育て方～ハナさんのストーリー～　（５４）」

2022.01.31 株式会社オージス総研　　山海　一剛

2020年2月17日（２）

北一食堂の焼き魚定食をつつきながら、急に京子が顔をあげた。
「そういえば社長、今年度いっぱいで退任らしいで」

一瞬、アタマがついて行かなかった。
「え、もうそんなお年なんですか」
私よりも早く反応する大森くん。

そう言えば社長って何歳なんだろう。今になって社長の年齢を知らなかったことに気づく。
「そうやねぇ、まぁ役員に定年は無いけど、うちはオーナー社長やないから、だいたい3年ほどで交代するねん。今の社長はもう3年以上やってるから、そろそろかなぁとは思ててんけどな」
と、説明する京子。
「何か情報でも入ったの」
「うん、まぁね」
急に声を落として、顔をこちらにぐっと突き出す。
「あ、でも情報源はお教えできませんぜ、旦那」
おいおい刑事ドラマか。
「実は11月の上旬には決まっていたことらしいで」
ふーん、そうなのか。
「ハナ、これから大変なんちゃう？」
「え、どうして？」
「どうしてって、社長はあんたらの保護者みたいなもんやろ」
そこまで言われて、ようやくアタマが動き始めた。それと同時に、急に心細さが襲ってくる。
この心細さはいったい何だろう。なんだか荒野に一人放り出されたような気分だ。

そんな私の表情を見て京子が続ける。
「ほら、やっぱり困るやろ。ハナはどこまで知ってるか知らんけど、反対派を抑えてたのは社長やで。いつまで続けるねんとかムダ使いとか言われるたんびに、新しいサービスを始める必要性を懸命に説明して回っていたらしいで」

遊んでいるとか、ムダ使いとか社内で言われていることは知っていた。でも最近あまり耳にしなくなったのは、社長のおかげなのかも知れない。
思い返せば、進め方に迷ったあげくに社長席に突撃したことが何度もあったっけ。そもそも、進め方がわからなかったときに、佐野さんを連れて来てくれたのも社長だった。

でも、やり方は私たちの自由にさせてもらっていた。特に社長から指示や命令を受けたことは無い。と言っても、ほったらかしではない。毎日朝一番にボードを見に来るなど、いつも気にかけてくれていた。

例外は「テストマーケティングをして、その結果でビジネス化を決定する」だ。これが社長が発した唯一の指示だった。
「さっき、11月から決まっていたとおっしゃいましたよね」
急に大森くんが京子に問いかける。
あれ、その時期って...。
「それって」
大森くんがこっちを向く。
「テストマーケティングするように指示が出たタイミングと一致しますよね」
「...ということは、社長は」
「うん、やっぱり関係あると思うで」
と、京子。大森くんも大きくうなずく。

社長は自分がいる間に、ちゃんとビジネスのかたちにしておきたかったのではないか。ある意味、社長の置き土産なのかも知れない。
「会社として投資してるわけやから、いつまでも検討ばっかりしてるわけにも行かへんけど。あえて今年度中って期限を切ってたのは、そういうことやろな」
京子がしたり顔で言う。
「だとしたら、なおのことリベンジのプレゼンは成功させないといけませんね。社長の思いをつながないと！」
と、語気を強める大森くん。
たしかにそうだ。
そのとおり。
いや、そうなんだけど...
大森よ、それって私にプレッシャーをかけてることにもなるんだけど、そこ、気づいてるか？

社長退任の件は、まだ公になっていないので「みだりに話題にしないこと」と京子に釘を刺されたので、その後もしばらくの間、私の心細さは胸の奥にしまっておくしかなかった。

2020年2月28日（１）

あっという間に、約束の経営会議の日になった。今日説明する観点は4つ。
1.失敗のダメージを最小化していることを説明する
2.撤退基準を明確に定義する
3.判断を先送りすることのダメージを説明する
4.事業を行う必然性を説く

今回も詳細な数値情報を別紙にすることで、説明資料はコンパクトなものにした。だから前回同様に私一人で説明できる。でもせっかく手分けして作ったのだからと、チーム全員で出席して、説明も分担することになった。
とはいえこれは口実で、本当はみんなも経営会議の顛末を見届けたかったのだろう。

「1.失敗時のダメージを最小化していることを説明する」は水沼さんが担当。これまで会議で水沼さんが説明するのを見たことがなかったので、理路整然と落ち着いて説明する水沼さんの姿は新鮮だ。いや、それ以上だ。結構格好いいぞ。
「2.撤退基準を明確に定義しておく」と「3.判断を先送りする場合のダメージを説明する」の説明は福石さん。ベテランの貫禄というか、饒舌ではないけど説得力がある。

経営会議にて

「1から3は、ロジカルな説得と言えます。論理だけでアタマで理解してもらえても、納得してはもらえません。納得してもらって動いてもらうには、心に訴える必要があるんです」
佐野さんの言葉を思い出す。
事業化を判断してもらえないのは理論ではない。判断するということ自体への抵抗感、もっと言えば恐怖心が根底にある。その恐怖を乗り越えてもらうには、もっと強い感情を呼び起こすしかないのだ。

「では最後に、岩崎室長にお願いしますね」
と、福石さんが自分の説明を締めくくり、こちらを見る。
「ハナさん、あとは頼んだ。大丈夫だ、気楽にやってくれ」
そんな表情だ。
勝手な想像かも知れないが、これまで一緒に仕事をしてきたからわかる。
ゆっくり席を立ち上がる。
「あ、お席についたままでいいですよ」
司会のトダケンが気を使う。
「あ、いえ」
べつに席に座ったまま説明していいのだ。でも役員たちの表情をちゃんと見ながら説明したかった。いや、語りかけたかったのだ。

（つづく）

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