「返報性」のキャッチボール

2016.02.08 行動観察リフレーム本部メンバー

 突然ですが、みなさまは「食事を共にしたわけではない見ず知らずの人の食事代を負担する」ということが起こり得ると思いますか?また、起こるとしたらどんな場合が考えられると思いますか?

 何らかの理由で食事代以上のリターンが得られる場合か、それとも、負担しないことで不利益を被る場合か。そういった損得勘定を抜きにして起こった、私の体験をご紹介します。

 日曜日の夜9時ごろ、私は定食屋で夕食を食べていました。食事が終わり、そろそろお会計をと思っていたときに、2人の外国人の男性が店内に入ってきました。大きな髭をはやしたインド系の外国人で、ラフな格好に大きな荷物を抱え、見たところ観光客のようでした。(あとからインド系カナダ人の旅行者だとわかりました)

 店には食事をしに来たわけではなく、目的地の場所がわからず迷っているようで、お店の方に聞いていましたが、お店の方は場所を知らなかったようです。私はせっかく日本に旅行に来てくれたので困っているときの道案内くらいしようと思い2人に声をかけ、住所を聞いてスマホの地図を開きました。帰り道だったので、目的地まで連れていくことにしました。2人はほっとしたような表情をされていました。

 そして、会計をしようとしたときに私は気が付きました。

 お金が足りない。

 急いで近くのコンビニでお金をおろそうとしたのですが、間が悪いことに日曜の夜でATMが時間外で引き落とせない状況でした。

 お店にも迷惑をかけているのに加えて、外国の方も待たせてしまっている。私はひどく焦りながら、お店の方に事情を話して謝り、必ず明日にお金を持っていきますと話をしていたときでした。その外国人が、すっと1000円札を差し出したのです。いやな顔のひとつもせず。

 私は驚き、恐縮し、そんなことをしていただくことはないからとお断りをしました。お店には代金を待ってもらうようにお願いしました。その後、お店を出て無事に2人を送り届けました。一連の交流に対して嬉しい気持ちになったあと、私は考えました。なぜあの2人は初対面の日本人男性の夕食代を肩代わりしようと思ったか。

 損得勘定でいうと、私がお店で手間取ることで案内をしなくなったり、遅くなったりするということも考えられます。しかし、実際はそういった理由ではないでしょう。案内をしなくなるとは限らないし、その案内に1000円以上の価値があるとも考えにくいでしょう。

 おそらくは案内を申し出た私に対してお返しをしようという気持ち、心理学でいう「返報性の原理」が働いたと思われます。スーパーの試食や「ドア・イン・ザ・フェイス」のテクニックなど、マーケティングの世界でも古典的かつ多く活用されているこの原理。それが実際の生活でお金を支払おうとするレベルまで効果があることに改めて驚きを感じました。同時にこの原理が外国の方にも共通するものだと実感しました。

 「返報性の原理」は強力であるがため、マーケティングやセールスの本ではしばしばテクニックとして紹介されていることもあり、ともすればこの心理的作用を利用(あるいは悪用)して売上を上げようといったような書き方も見受けられます。

 一時的な売上を狙うのであれば、それも一つの選択かもしれません。しかし、長期的によい関係を築くという観点でいうとどうでしょうか。

 「返報性の原理」が培われてきたのは、人間社会で有効だからでしょう。例えば、余った食料を分け与えたり、暇なとき誰かを手伝ったりということが無駄にならず、いつか返ってくるというのは大きなメリットとなります。もし、恩を返すという気持ちがなかったら、余った食料は分けられることがなく、社会において大きな損失となります。

 先ほどの例でいうと私が案内を申し出た背景には、旅行者への感謝があります。興味を持って日本に来てくれたことへの恩返しとして道案内くらい引き受けようという気持ちがあり、その恩返しとして、旅行者はお金を忘れてきた日本人男性に夕食代を肩代わりしていいという気持ちになる、といった「返報性」のキャッチボールがなされていました。そのキャッチボールを行うことによって、短い時間の中でも心の交流があり、私は関係性が深まったと感じました。(だからこそ、損得勘定に則って夕食代をもらう、ということを私はしなかったと思います。)

 長期的によい関係性を築くためには、こういった「返報性」のキャッチボールを続けていくことが重要になるでしょう。それは、「返報性の原理」を一時しのぎのセールステクニックとして利用していたのでは決して実現できないものと思われます。

 最後にもう少し。家にたどり着いた私は幸いにも1000円札を見つけて、その足でお店に支払いにいきました。そのときに、お店の人は第一声で「無事にご案内できましたか?」とにこやかに話かけられました。そこに、手間をかけさせた私を非難するような色は全くありませんでした。お店の人もまた案内を引き受けた私にありがたさを感じていたのかもしれません。私もまた恩を返すべく、店に通おうと思っています。

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