「インサイト」について考える【後編】

2016.07.07 行動観察リフレーム本部メンバー

「インサイト」をテーマに、メンバーがディスカッションをする今回の企画。後編では、インサイトの今後について、そしてインサイトとは何か?について迫っていきます。

前編の様子はこちら

インサイトの今後はどうなる?

――インサイトの重要性は今後どう変化していくと思いますか。

有馬
重要度は高まると思う。

村田
みんながこぞってインサイトを掴むようになってきたら、目新しいことがなくなってくることもあるのかな。

葛原
インサイトに影響する文化とか価値観はずっと変わっていくんじゃないでしょうか。例えば女子高生の文化や価値観はわからないけど、そういうものって放っておいてもどんどん変わっていく。そういう意味では、目新しさはなくならないと思います。

松波
そうか、何か変わったことが起こるたびにインサイトを考えるから無尽蔵にあるんじゃないかと。

石原(妙)
インサイトはなくならない気がするんだけれども、それをどうソリューションにつなげるかが難しいんだと思います。そこがうまくつながって、商品開発が活性化したり、「ここにフォーカスするといいモノができるよね」という成功が増えていくと、広がっていくと思います。今のデザイン思考ブームみたいに、いろいろなブームが今後も起こると思うけど、結局そこがどうビジネスにつながっていって成功するか、それ次第な気がします。

有馬
インサイトを掴むことが企業のゴールではないですもんね。

石原(妙)
そう、インサイトはどう活用するかまでうまくつながってこそ価値が生まれるもの。そこがうまくいけば重要度が高まっていくし、うまくいかなければそれこそ別の手法に置き換わっていくと思います。

石原(由)
ちなみに、インサイトって企業によって変わってくるんじゃないでしょうか。

松波
面白い質問ですね。興味深い。
まず、企業によって、出てきたインサイトの中からどのインサイトを採用するかが変わってくるでしょうね。

石原(妙)
ピックアップする事実も、企業とか商品によって違いが出てくると思います。

松波
観点が違ったら、同じ場面を見ていても出てくるインサイトが違うというのももちろんあり得るね。
例えば「調理の場面」を観察するとしても、依頼した企業が、コンロメーカーなのか、調味料メーカーなのか、ラップのメーカーなのかによって、インサイトが違ってくるよね。同じ状況を見たとしても、観点が違うし、何のためにやってるかも違うから。もし、前提条件とか無しでインサイトを出してと言われたら同じになってくるんでしょうね。

葛原
最大公約数的な多くの人をカバーできるインサイトもあれば、本当に数%の人しか当てはまらないインサイトもあると思うんです。誰もがそうなったら便利だというところと、独占できそうなニッチなところ、どっちを企業が狙っていくのか、方針によって採用するインサイトは変わっていくんでしょうね。

あらためてインサイトを表現してみる

松波
あらためてインサイトを一言でいうとなんですかね?

有馬
みんなが納得できる本質。

林田
新しい価値を生むための本質。

松波
逆に、何がないとインサイトと呼べないか。インサイトが満たしていないといけないことはどういうものですか?

林田
新しくないといけない。

村田
事実から導き出したもの。

葛原
「俯瞰」とか「統合」といった、いくつかのものが寄せ集まってできるという視点がいると思います。

有馬
納得性。

松波
それ大事ですよね。納得性というか妥当性というか。
「それだって思える」って日本語でなんていうんでしょうね。主観的、直観的に納得性があるみたいな。でも、服買いに行っても、説明できないけど「絶対これっ」ていうのあるよね。

村田
ビビビッと来る感じ。(笑)

松波
客観的妥当性ではなくて、主観的・直観的妥当性なんですよね。なんにせよそれが高くないとインサイトじゃないよね。どれだけ新しくてリフレームされているし、統合されているけど、「それは違うんじゃない?」とみんなが思うようなものはインサイトとは呼べないよね。

あと、「インサイト」を一言で言うなら「○○な仮説」で終わるものかなと思ったんですけど、どうですか?「結論」とかではなくて、こういうことじゃないかという「仮説」。「解釈」より「仮説」の方が大げさな感じはするけどしっくりくる気がする。
もっとつっこんでいうと、因果関係を説明するものかなと思うんです。「高齢者がこういうことをするのは、人に貢献したいからです。」というような何らかの因果関係を説明するものじゃないかな。

石原(妙)
色々挙がってきた"インサイトは何か"をまとめる前に、こういう定義によってどんな変化が起こるか考えてみましょうか。

松波
新しいものだけインサイトだとすると、インサイトを生む方法論として「ビッグデータ」は使えなくなってくるんだろうなと。ビッグデータはいくら分析したとしても新しい洞察は得られないんですよ。検証のためには使えるんだけれど、新しいインサイトは得るというのはほとんどできない。なぜかというとビッグデータは取りやすいデータしか取れないんです。電車にどこで降りて、何を買ったかはとれるけど、そのときどう感じたとかどういう経験がそこであったとか、どんな人と話したかとか、取りにくい情報は取れないので、仮説を出すには向いていないんです。ビッグデータ自体は有用なものなのでなくなりはしないけれどね。

林田
どんなことが起こってほしいかという願望でいうと、いろんなクライアントが現場をもっと大切に考えるようになってくださったらいいですね。現場発想、現場起点みたいな。結局はビッグデータとか、過去の体験経験でやっているんだけれども、それだったら、現場で新しい気づきを得るようになってほしいと思います。

石原(妙)
新奇性のあるインサイトを出すとなると、リサーチではなく、コンサルティングに近づいてくると思います。

松波
新たな業態が生まれるかもね。調査会社ではなく、コンサルティングでもない。これはそういう仕事。インサイト屋さん。

石原(由)
新しいものが出なかった場合はインサイトとは呼ばなくなるってことは、コンサルティングより難しそうですもんね。

松波
そうそう。そういう意味でいうと、アートの部分が大きくなっていくかもね。コンピューターやソフトウェアのように手順化できるところと、できないところがあるけど、手順化できないアートの部分が大きくなってくる可能性があります。新しい面白い映画を作りたいんでアイデアを考えてくださいというようなもの。

じゃあそろそろインサイトとは何かというところに戻りましょうか。今まで出てきた要素を盛り込んで表現してみましょう。

有馬
まず「事実」というのは外せないと思います。それも「複数の事実」。「統合」「俯瞰」という言葉も入れたいですね。

松波
「俯瞰」することで「統合」するという順番ですね。

松波
あとは、最後のところですね。こんなのでどうでしょう。
「確からしいと感じられる新たな仮説」。

石原(妙)
「確からしい」をもう少し別の言い方にしたいですね。

林田
「本質的だと確信できる」というのはどうでしょうか。

松波
いいですね。それで行きましょう!

インサイトとは、
「複数の事実」を俯瞰し、統合することで生まれる新たな仮説の中で、
「本質的だと確信」できるもの。


以上、いかがでしたでしょうか。本記事について、ご意見・ご感想などございましたらお気軽にお寄せください。


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