第30回 チーム力、組織力とは何かについて考える(5)-プロアクティブな実践の基盤-

2012.12.12 山口 裕幸 先生

 前回、"プロアクティブ(proactive)"で あることの大切さを指摘して、プロアクティブであるためには、将来のあるべき姿を明確に自律的に思い描くことが鍵を握ることを論じた。ただ、失敗したり、 思いもよらない事態に直面したりする中で、過度に落ち込むことなく、レジリエンスを発揮して前進するには、もう一歩、次なるステップに踏み出す必要がある と書いた。それはいかなるステップだろうか。

 将来のあるべき姿を思い描き、それに近づこうとする行為は、個人レベルでは実現に向けて、比較的円滑に進むように思われる。自分で決意して、行動に移せば良いのだから。

 し かし、「こうしよう」と決意しても、なかなか実践には移せないことがあるのは、だれもが経験のあることだろう。これは個人の抱えている理性と感情のギャッ プの問題である。さらに言うならば、決意したことの実践を継続することも容易ではない。この「頭ではよくわかってはいるが、いざやるとなると、なかなか ねぇ?」と躊躇してしまう現象は、個人がプロアクティブであろうとするときに克服すべき課題となる。

 この課題克服は、個人の目標達成への動機づけ(やる気)にかかっている。第5回のコラムで図示した人間の動機づけの喚起プロセスを考えれば、魅力的な目標(誘因、刺激)を設定することこそが、決意したことを実践に移す推進力の要である。その意味でも、将来のあるべき自分の姿は、「なりたい(=理想の)」自分の姿を思い描いて見定める必要がある。

 こうした、「なりたい自分=理想の自己像」を思い描いて、それに近づこうとする欲求は、「自己実現の欲求」と呼ばれる。人間性心理学の旗頭として活躍したマズロー(Maslow,A. H.)は、図に示すように、人間の抱く欲求には、極めて基本的なレベルから、高次のレベルまでがあることを指摘するとともに、自己実現の欲求は、人間だからこそ抱くものとして重視した。

 理想の自己像を思い描くだけでなく、明確に意識することが、その目標 に近づこうとする動機づけの高まりを導く。自分なりに目指す目標を明確に持っている人は、その目標の達成度をモノサシにして、自分の成果を評価する。優れ た職人や芸術家の中に、多くの人が素晴らしいと評価しているにもかかわらず、「自分としては、まだ納得できる仕事にはなっていない」という主旨の発言をす る人がいる。そうした人は、自分の目指す目標を明瞭に意識できているがゆえに、安易に妥協できないし、しないのであろう。

 すなわち、「そうすればいいことはわかっている」というレベルでは、「いざとなると、なかなかねぇ?」と自分に言い訳して、行動に移れないままに終わってし まうことが、往々にしてあるのに対して、「是非とも自分はこうなりたい」という自分の中に眠っている自己実現欲求を明確に意識することは、「今、行動する こと」の意味や重要性の理解を深化させ、実践を導くことになる。後者の目標認識は、将来の自分のあるべき姿に近づこうとする行動を促進する。この実践の積 み重ねは、目指す将来の実現へと我々を導くことになる。

 プロアクティブであることは、単に将来を予測することでは全くない。むしろ、自ら積極的に実現したい将来像を設定し、ぶれることなく、その実現に挑戦する態度がプロアクティブであることの基盤である。センゲ(Senge, P.)が「学習する組織」論の中で指摘する「自己マスタリー」の概念も、自己実現の欲求が基盤となっている。実践への動機づけを高めるために、誘因として「なりたい自己像」を明確に設定することが重要だ。

 さ て、比較的スムーズに進むと考えられる個人レベルでも、上述してきたように、実のところ、実践の壁という難関が控えている。そこをふまえたうえで、このコ ラムで議論している「チーム力、組織力としてのプロアクティブな実践力」に目を向けると、さらに個々人のプロアクティブな実践を、全体の実践に束ねあげる 工程が加わってくる。この工程をしっかりと進めることは、とても大事であるが、容易ならざる取り組みでもある。次回は、チームや組織のレベルで、プロアク ティブであるための鍵となる取り組みについて考えていくことにしたい。

※先生のご所属は執筆当時のものです。

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