第56回 会議の社会心理学(5)-話し合いは民意を反映するか-

2015.03.12 山口 裕幸 先生

 皆忙しいのに、それでも時間を調節しあって、集まって会議を開き、話し合いを行うのは、できるだけ的確な集団決定を行いたいという理由に加えて、皆の意見、すなわち民意を反映した決定を導きたいという理由も働いていることが多い。

 現実の職場では、どんな判断がはたして正解なのか、確証が持てない状況におかれることが多く、そんな中で行われる集団全体に関わる決定は、結局、メンバー一人ひとりの将来に影響を及ぼすことになる。したがって、自分たちの所属する集団の意思決定を、誰かひとりの独断に任せるのは、その個人への信頼がなければできないことであり、勇気のいることである。また、決定を委ねられた個人にしても、責任重大でストレスを強く覚えることだろう。それゆえ、「やはり話し合って決めよう」と言うことになるのである。しかしながら、話し合えば、期待通りに民意を反映した決定は保証されるものなのだろうか。

 こうした疑問に対しては、政治学の領域で古くから議論され、検討されてきている。結論を先に言えば、手順ひとつで決定の行方をコントロールすることが可能であり、話し合えば民主的な決定できるという安易な期待や安心は禁物なのである。真に民意を反映した決定を導くためには、決定までの手続きを慎重に検討しておく必要がある。

 話し合いの結論は、手順を操作することでコントロールできることの例として有名なのは、「コンドルセのパラドクス」と呼ばれるモデルがある。図の上部に示した状況を想像してみて欲しい。この場合、もしあなたがA党の代表としてB党、C党の代表と話し合いをするとして、是非とも自分の党のx法案を全体の結論に持って行きたいとしたら、どんな戦術があるだろうか。


 図に説明したとおり、一挙に投票で決するのではなく、一次投票と二次投票に分け、一次投票で他の2つの法案を対決させることで、自分たちの党に有利な結論を導くことができるのである。直面する状況がコンドルセのパラドクスと同じ性質を持つことに気づけば、スポーツのトーナメント大会では1回戦を免除されて2回戦から登場するシード選手(チーム)がいるように、自分たちの主張をシード扱いにしてしまえば良いことになる。図の下段に示した条件判断と全体判断のパラドクスの例を見ても、話し合いの手順で主導権を握ることさえできれば、結論は自分の都合の良いものへと誘導できることがわかる。

 多様な意見があり、利害関係やイデオロギーの衝突等で、なかなか結論に到達しない場合も多く、時間的制約がある場合など、状況打破の手段として様々な戦略が検討されたこともあるかもしれない。しかし、今回紹介した話し合いの手続きは、本質的には民主主義の理念から乖離した方法であり、現実と理想の狭間で悩ましい問題を我々に突きつけてくることになる。話し合いのメンバー全員が自分の意見を述べ、利害の対立、見解の相違を調整して、全員の合意のもとに結論に到達する「コンセンサス」の手続きが理想ではあろう。しかし、かなりの時間と回数にわたって話し合いをしてはいるものの、互いに自己の主張を繰り返すばかりで、調整の努力と工夫が不十分なまま、最終的には多数決で結論を導くケースが、しばしば見聞され、また実際に経験することもある。残念ながら、そうなっては民意の反映と呼ぶにはお粗末なものになってしまう。民意を反映した結論に到達するには、互いに相手の主張にも耳を傾け、互いに納得のいく対処はないか工夫することが大事になる。

 さて、互いの主張に耳を傾けることの大切さを指摘した直後に恐縮だが、他のメンバーの考えていることや願っていることを推測して、そちらを優先して自分の希望は遠慮して引っ込めておいた経験は、誰もが持っているのではないだろうか。そんな思いやりをメンバー全員がやったら、どんなことになるだろう。次回は、話し合いの場で発生するそんな現象に光を当てて紹介していくことにしたい。

※先生のご所属は執筆当時のものです。

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