第142回 「日本的」な社会・集合現象について社会心理学的視点から考える(1) 〜長時間労働問題について〜

2022.10.6 山口 裕幸(九州大学 教授)

 2019年4月1日に働き方改革関連法案が施行されて3年半が経過した。果たしてどのくらい日本人の働き方は改善されているのだろうか。働き方改革関連法案の具体的内容は、残業時間の上限規制(罰則付き)を基軸に、有給休暇取得の義務化、フレックスタイム適用期間の拡大、勤務時間インターバル制度といった施策で構成されている。その目的の中核は、長時間労働問題の是正にあったと言えるだろう。

 過労死や燃え尽き症候群など、働き過ぎがもたらす弊害は長きにわたって問題視されてきた(Kanai, 2009; 熊谷, 2018等)。ブラック企業問題の指摘と批判も相次いだ(今野, 2012; 田中, 2015)。働き過ぎに起因する職務ストレスが強くなるほど心身の健康に害が及ぶことは当然のこととはいえ、死に至るほどの深刻な問題が報告されているのは日本の特徴であり、世界的にも注目を集めた。過酷な長時間労働の悪影響を取り除き、健全なワーク・ライフ・バランスを実現する取り組みは、働く人々にとって待ち望んでいたものと言えるだろう。

 ただ、この3年半、働き方を改善しようとする取り組みは、コロナ禍の影響もあって、リモートワークの導入・拡大等、大きなうねりの中におかれている。本当に長時間労働の状況は改善されていくのか、その行方に注目するとき、気になるのが、改善への取り組みは、法律や政府からの圧力によってじわりと前進してはいても、企業や官公庁等の組織が、自らの意思で、すすんで長時間労働を軽減しようとする取り組みは、あまり活発には行われていないように見える点である。人手不足の状況もあって、管理者たちはできればもっと働いてもらいたいという思いに駆られ、労働者たちもやむを得ないとあきらめてしまうという現場の状況は、さほど変わることなく続いてしまっている。

 その理由について社会心理学的な視点から考えてみると、多くの日本人の心の奥深いところ(フロイト流の精神分析学的に表現すれば、前意識や無意識の領域)に、一生懸命に働くことを美徳とする思いが潜在していて、長時間労働の弊害については相対的に軽視してしまう力学が働いていることに思いが至る。すなわち、「働くことは尊い」という観念ばかりが先走って、長時間労働がもたらす弊害への関心の方は後回しになってしまっている可能性に気づくのである。

 潜在意識下で働いているこうした心理メカニズムは、政府や組織の上層部から労働時間の短縮を強く求められても、形ばかりの対応ですませてしまうように人々を方向づけてしまう。報道された事例を見ると、実際には月に100時間以上の残業を行っているのに、規定時間内に収まっているように粉飾したり、自宅に持ち帰って行った業務は労働とみなさなかったり、といった違法な対応さえ起きている。

 働き過ぎの状況であれば、誰もが改善したいと思い、法的にも社会制度的にもその改善を後押しする形になっているのに、なかなか状況が変わらないとすれば、日本人の多くが共有する無意識的な価値観に注目することで、その理由を解き明かすことができるかもしれない。長時間労働問題は、働くことを尊び、過剰に美化する潜在意識が、多くの日本人の間で共有されていることで引き起こされ、受け継がれてきている可能性がある。個人的には嫌なことでも、そうすることで周囲の人々の期待に応えられるのであれば、現実対応として周囲の期待に添った行動をとることは不思議なことではないだろう。異なる価値観を保持する人々にしてみると不可解なことでも、日本人の多くが長時間労働を受け入れやすい潜在意識を共有しているがゆえに生じていることだと捉えてみると、理解は進むのではないだろうか。

 日本的な社会現象を、欧米と比較して、非合理的だと批判し、早く欧米と同様の対応をすべきだと指摘しても、日本人と日本社会にとっては、そう簡単な話ではない場合が多い。普段ほとんど意識することがなくても、多くの日本人どうしで共有している価値観は、それを「変えろ」と言われても、また「変えないと悲惨なことになる」と言われても、急に変化させることは難しいのだろう。ガラパゴス化と言われる現象や、長きにわたる「指示待ち」傾向の継承も、日本社会で共有される潜在意識の特性に着目することで理解が深まるかもしれない。そして、もしそれが日本社会の発展的持続可能性を脅かすものであると判断される場合には、時間をかけて変革していく手立てを工夫する必要がある。その工夫次第で逆に強みとして活かしていくことができる場合もあるだろう。

 経済行動でも、政治行動でも、教育活動でも、組織活動でも、いかにも日本らしい社会・集合現象は多様に指摘されている。単純に「それでは駄目だ」と切り捨ててしまうのではなく、その現象の背景にある日本人のメンタリティや日本社会や日本文化の特徴との関係を検討して、日本らしさを活かした持続可能性の高い社会発展のあり方を切り開く取り組みにも意味はあるだろう。今回は長時間労働の問題を取り上げたが、次回以降も、具体的に日本的な社会・現象を取り上げて、その背景で働いている心理的メカニズムについて論じていくことにしたい。

【引用文献】
Kanai, A. (2009). "Karoshi (work to death)" in Japan. Journal of Business Ethics, 84(2), 209, https://doi.org/10.1007/s10551-008-9701-8
熊谷誠. (2018). 過労死・過労自殺の現代史-働きすぎに斃れる人たち 岩波現代文庫
今野晴貴. (2012). ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪 (Vol. 1). 文藝春秋.
田中洋子. (2015). 日本的雇用関係と 「ブラック企業」(小特集趣旨,<小特集> 若者「使い捨て」企業問題にどう取り組むか-社会的ネットワークの可能性). 社会政策, 6(3), 57-67.
※先生のご所属は執筆当時のものです。

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