第60回 組織の集合知性を育むには(1)-集団に宿る知性とは-

2015.07.21 山口 裕幸 先生

 集団で話し合っても、たやすく「三人寄れば文殊の知恵」というわけにはいかず、創造的なアイディアはなかなか生まれにくいものである。また、権威ある専門家たちが話し合って愚かな決定をしてしまう「集団浅慮(groupthink)」と呼ばれる現象が起きてしまうことさえある(これらのことは本コラムの54回55回で紹介した通りである)。集団で話し合って考えたからといって、個人で考えるよりも的確で創造的な決定が導けるとは限らないことを、社会心理学の研究は明らかにしてきたと言えるだろう。

 しかし、集団や組織には、それぞれに知識や知恵を持った個人がたくさん集まっているのであるから、潜在的には多様で豊かな知識や知恵を備えていると期待できるだろう。問題は、それぞれが個別に分散して持っている知識や知恵を、みんなで活用できるようにする「共有化(sharing)」の工程は、思いのほか難しいというところにある。前回紹介した対人交流型記憶システム(Transactive Memory System)は、そうした「共有化」のための知恵の一例なのだが、これひとつとっても、その構築は容易なものではない。果たしてどうすればいいのだろうか。

 「共有化」のために、どんな工夫があるのかを検討するときに参考になるのが、集合知性(collective intelligence)に関する研究である。集合知性に関しては、その概念をめぐって、いくつかの異なる定義や表現(例えば、wisdom of crowds, mass mind, collective knowledge等)が存在する。その問題に踏み込んで議論する紙幅の余裕はないので、ここでは、集団や組織、あるいは社会で、その構成員一人ひとりが持っている知識や知恵を交換しあうことで作り上げられている全体的な知性が、集合知性であるとして、話を進めることにしたい。しかし、こう言ってしまうと、そんなものが実存するのかと疑問を感じてしまう人もいるだろう。そこで今回は、集団や組織、社会に宿る知性とは、どのようなものなのかはっきりさせておこう。

 K.レヴィン(Lewin, 1939)が、人間が集まって交流すると、そこには心理学的「場」(psychological field)ができると指摘して、集団力学(group dynamics)の研究が開始された。我々が交流して作り上げるこの心理学的「場」は、ときに集団に宿る心のようなものとして捉えられることがある。集合知性もその一種に感じられるかもしれない。確かに感覚的にはわかるのだが、心そのものを研究対象とする心理学においては、心は個人にのみ内在するもので、集団や組織、群集や社会といった集合体に心が存在するという考え方はとらない。100年ほど前にこの問題に関する論争が起こり、決着を見ている。このことについては、本コラム9回でも言及したが、なにぶん前のことなのでおさらいしておこう。

 決着をつけたのはF.H. オルポート(Allport, 1924)が行った主張で、次のような趣旨である。個人の行動を説明するときに、個人の心に原因を求めるのは致し方ない(他に原因の求めようがない)。しかし、集団の行動や現象を「集団心」で説明しようとするのは安易である。なぜなら、集団の行動や現象が発生した原因は、その集団を構成している個人の心まで辿っていって探ることができるのだから、そうすべきである、というのである。ヴントやル・ボン、デュルケームやマクドゥーガルなど、当時の高名な学者が、集合的な心を想定した研究を進めていた中で、オルポートはそうした想定は「集団錯誤(Group fallacy)」であると批判したのである。

 しかし、これは約100年前の、全てのものをよりミクロな要素に(粒子→分子→原子→クォークのように)分解していって、できるだけミクロな要素に原因を追い求める還元主義の全盛期に見た論争の決着である。様々な要素が相互作用して、それら元々の要素にはなかった全体的な特性(創発特性)が生まれることは、古くはデカルトも重視し、現在では複雑系科学のアプローチとして確立されている。真摯に「心とは何か」を探究するとき、目に見えないことをはじめとして、その実体を明らかにすることは容易ではないことを考えれば、集団に心が宿ると想定することはいささか安易であるといわれても仕方ない。やはり注意が必要であろう。

 しかし、個人が複数集まって活動し、交流する中で、互いの知識や知恵を適切に共有して、その結果、一人では解決できなかった問題を、集団として解決できるようになるときがある。たくさんの人々がたまたま居合わせた事故や災害の発生時に、一人ひとりが個別に判断して行動していたら、多くの人が犠牲になったと考えられる中で、皆で知恵を出し合って、まとまって行動した結果、助かった事例は少なくない。例えば、2004年10月、台風23号の大雨のために舞鶴市内で観光バスに取り残された38人は、バスが水没する状況の中で屋根に登り、雨に濡れ、腰まで水に浸かりながらも、励まし合って救助が来るのを待ち、全員無事生還した。2010年に起こったチリの鉱山落盤事故で、33名が69日後に全員生還した事例や、2001年3月の東日本大震災直後に帰宅を試みる人々がTwitterやFacebookで情報交換して安全を確保した事例も挙げられるだろう。もちろん、そうした成功例だけではなく、集団浅慮のような失敗も起こるので、集団で話し合って判断する局面では注意が必要である。

 集団や組織、社会の構成メンバーがみんなで作り上げた価値観や行動基準は「規範」と呼ばれるが、個人的にはどうして良いか判断に迷ったときも、その規範を参照して判断し行動することで、適切に対処できることもある。これらの現象は、集合知性の働きによるものだといえるだろう。

 集合知性が機能するためには、メンバーそれぞれが持っている知識や知恵を他のメンバーにも提供し合い、疑問があれば議論して、より的確な知識と知恵に練り上げる仕組みが整っていることが鍵を握っている。次回は、そのシステムを構築する工夫について考えていくことにしたい。

引用文献
Lewin, K. (1939). Field theory and experiment in social psychology: Concepts and methods. American Journal of Sociology, 868-896.
Allport, F. H. (1924). The group fallacy in relation to social science. The Journal of Abnormal Psychology and Social Psychology, 19(1), 60.

※先生のご所属は執筆当時のものです。

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