第167回 挑戦心の源について考える~やる気を見せない従業員や部下の挑戦心に火をつけるには~

2024.11.8 山口 裕幸(京都橘大学 教授)

 2010年の晩秋、チェコ・プラハで開催された学会に出席した際のことだ。夕方、研究発表が終わり街を歩いていると、カテドラル(教会の聖堂)の前で小さな演奏会の案内パンフレットを手渡された。本当はホテルで一人静かに過ごす予定だったが、せっかくのプラハの思い出にと思い、その演奏会に足を運ぶことにした。

 聖堂に入ると、広い階段の踊り場が演奏会場になっており、バイオリニストとピアニストが演奏をするセッティングだった。階段に腰を下ろして開演を待ち、約1時間の心地よい演奏を楽しんだ。そのときのピアニストは若い日本人女性で、終演後に声をかけてみると、彼女はプラハで修行を続けているとのことだった。私は心の中で、「一人で寂しくはないのだろうか」「厳しい環境で辛くはないのだろうか」と思いつつ、彼女の夢がかなうよう祈ったことを今でも覚えている。

 彼女に限らず、多くの日本人がさまざまな分野で世界的に活躍している。アメリカのメジャーリーグ・ベースボールやヨーロッパ各国のサッカーリーグに留まらず、バスケットボール、ラグビー、テニス、卓球、バドミントン、バレーボールと、スポーツ界全般で日本人選手の活躍が目立つ。たとえば、やり投げの金メダリスト・北口榛花選手も単身チェコに渡り、道を切り開いてきた一人だ。スポーツだけでなく、音楽や美術、映画、演劇、バレエ、ダンス、料理などの分野でも同様に、日本人が世界で挑戦し続けている。

 異文化の中で、専門家やプロフェッショナルとして研鑽を積む生活は厳しいものであろう。それでも、彼・彼女たちはなぜそのような厳しい世界に身を投じ、努力し、戦い続けることができるのだろうか。

自己実現欲求と目標の重要性

 心理学的な視点から考えると、まず、挑戦の原動力として「自己実現への欲求」が挙げられる。これは、マズローの欲求階層説で最上位に位置するもので、自分の理想像に近づこうとする強い意欲を意味する。目標を明確に設定することは、モチベーションを高めるための基盤であり、挑戦心に火をつける第一歩は、本人が理想とする自己像に気づくよう促す働きかけにあるといえる。

 ただし、目標の設定は重要なポイントだ。高すぎて実現不可能なものや、逆に簡単すぎるものでは、やる気は生まれない。理想的な目標は「自分には達成可能だが、失敗のリスクもある」レベルである。このような目標が、適度な緊張感をもたらし、挑戦意欲を引き出すのだ。

能力評価と自己効力感

 目標を達成するには、当然ながら本人の能力が関係してくる。しかし、ここで重要なのは、客観的な能力評価だけでなく、本人の主観的な評価も絡むことである。周囲から「十分な能力がある」と評価されていても、本人が自信を持てなければ、挑戦の一歩を踏み出すことは難しい。

 このとき役立つのが、「自己効力感」と呼ばれる、自分の能力に対する信念である。自己効力感の高い人は、「難しそうだが、自分ならできる」と思えるため、多少の能力不足があっても挑戦する意欲を失わない。この「根拠のない自信」ともいえる感覚が、目標設定に影響を与え、挑戦心を支えるのだ。

周囲の環境と相互成長

 さらに、自分と似た境遇の他者が頑張っている環境にいることも、挑戦心を高める大きな要因となる。私が長年にわたって大学院生たちの研究活動を見守ってきた経験からも、研究室の仲間が著名なジャーナルに論文を採択されたり、日本学術振興会の特別研究員に採用されたりすることで、周囲の学生たちのやる気が高まる様子を何度も目にしてきた。

 「彼ができたのなら、自分にもできるはず」という気持ちが、良いライバル関係を生み出す。サッカーや野球などのスポーツにおいても、ライバル同士が切磋琢磨することで、互いに成長し、挑戦心を高めていく姿が見られる。

自主的な目標設定の重要性

 最後に、他者が設定した目標では、やる気を引き出すのが難しい点を指摘しておきたい。やはり、本人が自分で目標を設定することが不可欠だ。ただし、上司や相談相手がサポートし、適切なレベルの目標を一緒に考えることは重要である。

 やる気を見せない従業員や部下に挑戦心を持たせるには、命令や指示で動かすだけでは不十分である。指示に頼る姿勢を助長することになりかねないからだ。むしろ、ワン・オン・ワンの対話を通じて、本人が本当に挑戦したい目標を見つけられるよう導くことが大切である。従業員や部下の話によく耳を傾けることを大切にした継続的なコミュニケーションが、挑戦心を育む基盤になるといえるだろう。

※先生のご所属は執筆当時のものです。

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