第145回 「日本的」な社会・集合現象について社会心理学的視点から考える(4) 〜リスクをできるだけ回避しようとする傾向〜

2023.1.10 山口 裕幸(九州大学 教授)

 日本人に限らず、誰にとってもリスクを承知で挑戦的な選択をすることには、一定の不安や恐怖を感じるものである。ただ、前回も紹介したように、日本人は失敗を恐れるあまり、何事にも消極的な態度を取ってしまう傾向があると指摘されることが少なくない。ほとんど利息が付かず現状維持しか期待できない預貯金を選択し続け、大きな利益を得る可能性のある投資にはなかなか手を出さない人の割合が多いのも、その背後に、損失のリスクが伴う投資への不安や恐怖、拒否感が働いていることが考えられる。

 では、どうすれば、リスクがあっても挑戦的な選択をすることができるようになるのだろうか。リスクテイキング行動に関する心理学的な研究は、交通安全や各種施設の保全・保安、医療安全等の分野が中心となって進められてきている。これらの分野では、人がリスクのある行動を取ることをやめて、安全な行動を選択するにはどうしたらよいのか、という観点から研究がなされてきた。本コラムの視点とは逆方向のアプローチなのだが、非常に役に立つ理論モデルが提唱されている。

 図1にあるように、リスクをとるか、リスクを回避するかの判断には、最初にリスクを知覚するところから始まって、次に知覚したリスクを評価するプロセスが存在する。そして、これらのプロセス全体に、状況要因や知識、過去の経験、性別、年齢、性格が影響を及ぼすことになる。性別や年齢、性格は変えたくても変えるのが非常に難しい要因といえるだろう。

 状況はどうだろうか、これも個人の力で都合良く変えることはできない要因であるが、その影響の特性については一定の方向性がわかってきている。すなわち、将来の見込みが良好で安心だと認識されている場合、リスクテイキングは促進される。他方、将来の見込みがネガティブであったり、不明であったり、あるいは経験したことのない事態であったりする場合は、リスク回避の傾向が強まる。

 1980年代後半の「バブル経済」と呼ばれた時代は、将来も右肩上がりの経済成長が続くという期待が社会全体で共有されており、「財テク(財務テクノロジーまたは財産保持テクニックの略)」と称して、借金をしてでも株や不動産に投資する人々が相次いだ。この事実は、日本人であろうと、将来の経済発展が見込めるときには、積極的にリスクテイクすることを示唆している。本コラム131回で紹介したように、企業経営ゲームを用いた実験研究でも、この状況要因の影響については確認されている。

 近年の日本における預貯金偏重傾向と消極的な投資傾向の継続は、日本経済の先行きに対する不安や不透明さに対する人々の素直な反応として捉えることができるだろう。しかし、状況まかせの受け身の態勢では、閉塞状況を打破することは難しい。発展する将来を期待させる状況を生み出すには、発火点の役割を果たす挑戦的で創造的な行動が必要になる。そうした挑戦的で創造的な行動を引き出していくには、主体的かつ自律的に考えてリスクテイキングする戦略的思考が重要な役割を果たすことになる。

 とすれば、経験や知識の要因の影響に目を向けて、リスクテイキングの仕方を「学ぶ」取り組みが意味あるものとしてクローズアップされてくる。ビジネスの分野では、リスクテイキングを促進しようとする知識や技術を伝達する取り組みはかなり行われている。とはいえ、大切な自分の資産・財産に損失を与えることは避けたいという気持ちは頑健なものがある。「勇気を出せ」と言われても、不安や恐怖を克服することは容易ではない。

 投資指南やコンサルティングのアプローチでは、この不安や恐怖を克服するには十分ではないのかもしれない。もちろん、公正な説明をするには、リスクの存在を明確に伝えることは不可欠である。リスクの説明が惹起する不安や恐怖を克服するには、リスクについて正しく理解し、失敗や損失を過剰に恐れることのリスクにも目を向けて、より論理的に賢くリスクテイクできるようになることが大切である。そうしたアプローチ成功のカギを握るのが、リスク・コミュニケーションである。次回は、リスクに不安や恐怖を感じて消極的で引きこもり気味になっている人々に、挑戦的な行動選択を動機づける観点から、リスク・コミュニケーションに注目して論じることにしたい。

【引用文献】

芳賀繁 (2018). リスクテイキング行動 筑波大学認知システムデザイン研究室ホームページ 『基礎知識』 11章2項 https://www.css.risk.tsukuba.ac.jp/project/pdf/haga-kiso-11-2.pdf(外部サイト)

※先生のご所属は執筆当時のものです。

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