第130回 社会心理学的視点で社会と組織の活力の源泉を考える ~"奇想天外"を面白がる"雰囲気""風土"の大切さ~
2021.09.30 山口 裕幸(九州大学 教授)
「なぜ人間は、あんなにも奇想天外な行動をとるのでしょうか。病院のベッドから降りる際に転倒する事故が後を絶たないので、安全にベッドから降りられるように補助器具を開発しました。早速、それをベッドに装着してみたのですが、想定外の使い方をして転倒してしまう人がやはり一定数いるのですよ。せっかく開発したのに、人間はなんで思いもかけない使い方をするのかなぁ?」。これは、大学病院の安全管理システムの改善についてかつて一緒に仕事をした機械工学が専門の教授が、私と初対面のときに、戸惑いとちょっとした怒りの感情を滲ませながら、私に投げかけた言葉である。彼の嘆きには、予測が難しい人間行動の扱いにくさを恨めしく思う気持ちがこもっているように感じられた。
たしかに、社会や組織、集団を一定の方向に導こうとする側にとって、人間の行動や判断が多様性に富み、コロコロと変化しやすいことは、コントロールを難しくするやっかいな要素であろう。安全管理に関する現場でも、克服すべき最後の砦は人間の要素であり、ヒューマン・ファクターという呼び方が定着している。せっかく開発した安全装置も、思いもかけない人間の行動のせいで完全に役立つとは限らない場合があるのである。
不安定な状況を生み出す可能性の高い人間の心理や行動を、管理する側が期待する方向に導く方略として、罰則を伴う規則を定めて、それを遵守するように迫るアプローチがとられやすい。これはパターナリズムと呼ばれるもので、古来、人間社会における最も基本的な管理の方略である。実際、日本ではこのアプローチが効果をあげてきていて、社会の治安に関しても、法令遵守の取り組みも、世界の模範的な存在になっている。
ただし、管理する側が人間の心理や行動を規制するパターナリズム方略が長期にわたって採用され成功してきたことは、個々の人間の奇想天外な行動や好奇心の芽を摘む副作用をもたらしていることが懸念される。本来、創造性や新規性は、これまでの型にはまった発想から逸脱するところから生まれるものである。しかし、規則で定められたこと以外は「意味がない」とか「役に立たない」と排除されてしまうのがわかっているので、人々は奇抜な発想やそれに基づく行動をとることはあらかじめ自己抑制してしまうのである。そして、各種判断は管理者に委ね、その指示を待って行動をとろうとするようになる。我が国で1980年代には指摘され始めていた組織成員の「指示待ち」傾向の強さは、40年経った今も頑健に継承されていることを思えば、様々な局面で変化がみられる社会や組織ではあっても、その管理の仕方についてはパターナリズム一辺倒で継続されてきていることがうかがわれる。
もちろん、日本の社会や組織の国際的競争力が衰退しつつあることは看過できない問題であり、製品開発や技術開発の現場では、創造性や新規性の高い取り組みを強く奨励する働きかけがなされ続けている。ただ、今度は、創造性や新規性が高くないと「意味がない」とか「役に立たない」という評価にさらされるため、個人としては、自分のアイディアを披露する勇気が必要になり、失敗したときのリスクも勘案して、慎重な抑制のきいた判断と行動をとりがちになる。一部の有能な個人の力が発揮される機会は増える側面はあるが、日本社会全体がガラパゴス化していると表現されたり、社会の国際競争力の低下が指摘されたりする現実を振り返ると、社会や組織の全体の活力を引き出すには不十分なのが実情であろう。
規則を重んじるパターナリズムのアプローチは間違いなく必要なものである。ただし、それ一辺倒では、間違いなく行きづまる(息がつまる?)ことになる。昨今の日本の社会情勢は、そのことを体現しているものとみることもできる。この行きづまりを克服して、創造性や新規性への挑戦心豊かな活気ある社会と組織へと変容させていくには、一人ひとりが発想するアイディアを、馬鹿にされる心配や否定的な評価を受ける恐れを感じることなく気軽に発言できる環境を調えていくことが有効だろう。地味ではあるが、パターナリズムの副作用を克服する道筋は、仲間や部下の奇想天外な発言を「ほう、それで...」と受け入れ、面白がって聞く社会や組織の雰囲気あるいは風土を作り上げるところにある。 それを可能にする基盤は、一人ひとりが心にゆとりをもつことにある。心のゆとりは、どのようにして整えていけばいいのか、社会心理学の視点から、次回、さらに考えていくことにしたい。
※先生のご所属は執筆当時のものです。
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