第100回 ホンネ(本音)が飛び交う議論の功罪-組織や社会の安定とタテマエの働き-

2018.11.21 山口 裕幸 先生

 イギリスのEU離脱の実務的な作業の進行が行き詰まっている。国民投票の結果がEU離脱に決した後、それまで離脱推進派のリーダーだった前ロンドン市長のボリス・ジョンソン氏は、次期首相選挙には不出馬を決めた。そして、もう一人の離脱推進派リーダーであったイギリス独立党前党首のナイジェル・ファラージ氏も党首を辞任した。彼らが示した行動は、離脱を現実のものとしていく作業に対して無責任ではないかと感じさせるものであった。

 このところの彼らの言動も、一番困難な離脱交渉に臨んでいるテリーザ・メイ首相に対して辛辣な批判を繰り返すだけで、EUから理解を得るのは不可能と思われる自国中心的な主張に終始しているのが特徴的である。たとえば、EUからのイギリスへの移住は原則拒否とする一方、イギリス国民がEUに移り住むのは自由とするという主張ひとつを取り上げても、利益は我が国に、損失は他国にという自国中心主義のホンネをあからさまにする主張だといえるだろう。EU側にしてみれば、「いい加減にしろ!」と言いたくなるのもわかる気がする。

 メイ首相の交渉が弱腰だと批判するのなら、自分たちが矢面に立って交渉すればよさそうなものだが、彼らは外野から攻撃するばかりで、自ら責任ある立場に立とうとはしていない。彼らのホンネは、いったいどんなところにあるのか、なかなか理解しがたいところである。

 ところで、人間の社会性の重要な特性のひとつが、「お互い様」の関係を大切にするところ(=返報性、互恵性)にあることは、これまでにも言及してきた。誰もが自分はかわいい。楽しいこと嬉しいことをできるだけ自分のものにして、嫌なこと、辛いこと、苦しいことはできるだけ避けたいと願うのは、人間の素朴な思いであり、ホンネであろう。

 ただ、多種多様な価値観を持つ人々が集まる社会や組織では、一人ひとりのホンネとホンネがぶつかり合うだけでは、競争が生まれ、次第にそれは激しくなり、最終的にはwinner-takes-all(勝者総取り)の状況になっていく。人類の歴史のほとんどの時間が戦争に費やされてきた。現在もそれが続いていることを考えると、このホンネのぶつかり合いによる紛争は、永遠に避けることのできないものであるようにさえ感じられる。

 しかし、人間は、競争をこの上なく好むわけでもなく、戦いが続くと厭戦気分に陥るし、「戦争だけはしてはいけない」、と声高に叫ぶようになる。敗者になることの辛さや惨めさを知り、それを恐れる気持ちに加えて、争いに明け暮れるうちに孤立したのでは、人間は生き残ることはできないことを暗黙のうちに感じ取るからである。だからこそ、互いに相手のことを思いやって、自己の願望は我慢し合って、協同関係を築こうとする。国家間の関係であっても同様である。ホンネをぐっと抑えて、互いの利益を考慮し合おうとするのはタテマエ(建前)といえるだろう。タテマエは、単なるきれい事なのではなくて、競争の激化を回避し、抑制して、安定した社会を作り上げる機能を果たしていると言える。

 様々な職場で開かれる会議に目を向けると、タテマエを配慮した発言ばかりが先行して、ホンネのぶつかり合いが乏しいと嘆かれたりすることもある。たしかに、ホンネには真実の思いが込められていて、マンネリ化した組織を変革したり、創造的な発想を引き出したりする効果が期待できる。ただし、ホンネのぶつかり合いは感情的な軋轢にもつながりやすい。これからの人間関係や職場での自分の立場の安寧を考えれば、タテマエを優先することは理にかなった行為といえるだろう。単純にホンネをぶつけあうことが、社会や組織にいかなる惨状をもたらすのかについては、トランプ政権誕生後のアメリカ社会の分断現象やEU離脱交渉中のイギリス社会の混迷、そして身近なところでは、ブログやSNS等の炎上のようにインターネット上で傷つけ合う現象に目を向けてみるとわかりやすいだろう。

 ただ、ホンネのぶつかり合いにも利点がないわけでもない。問題は、タテマエには、これまでにない発想や驚きをもたらす主張が含まれることを期待できないことだろう。職場の話し合いの場では、あくまでも職場をよりよいものにするための意見であることを前提として、ホンネの意見をぶつけ合うことは、マンネリを打破して、斬新なアイディアを生み出すのには有効であろう。

 その際、互いに理性的に判断して,感情を抑える努力をすることに加え、相手の気持ちをよく考え、気分を害することのないように、自分の意見を率直に伝えるためのアサーティブなコミュニケーションの取り方を身につけていくことが大事である。むき出しのホンネは、相手の利益や気持ちを度外視した自己中心的なものになりがちである。上手なホンネのぶつけ方を工夫することは、職場の「心理的安全」を構築し、チームワークを高めていく鍵を握る課題のひとつといえるだろう。

※先生のご所属は執筆当時のものです。

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