第81回 自国第一主義は自国民を守るか-集団主義に関する社会心理学的研究をふまえて-

2017.04.24 山口 裕幸 先生

 前回、自国第一主義を掲げて行動すれば、周辺国家も次々と自国第一主義で行動することを誘発して、結果的に意図せざる結果として共貧を招くことになりかねないことについて紹介した。これは由々しきことであり、何とか防がねばならないが、問題はそこだけにとどまるだろうか。

 自国第一主義が世界的に隆盛してきた背景には様々な要因が挙げられているが、重要な要因のひとつに、欧米の先進国が協同することの利益の大きさを理解して、グローバル化を進め、寛容に異国民の流入を受け入れてきたことが指摘されている。

 グローバル化政策は自由貿易による世界経済の拡大をもたらす反面、副作用として、元々その国で生活して来た人々の生活が苦しくなってしまう状況を生み出してきた。流入してきた移民の苦しい生活を支援するために多くの税金が使われる一方、その税金を納めている元々の国民は移民に職を奪われて生活が苦しくなったりすることが続いてきたのである。

 もう25年も前になるが、私が1992年の夏に学会参加でパリを訪れたとき、現地の人々から、最近、アフリカだけでなく東欧からの移民も増えていて、生活環境が悪化してきていると、ため息まじりの話を聞いたことがある。問題は四半世紀以上も前から続いてきているのである。それによって、元々その国で生活して来た人々の不平や不満が鬱積し、ついには移民排斥を主張し、自国第一主義を標榜する政治家、政治集団の支持につながっているというのは、ある意味、仕方のないことのようにも思える。

 しかしながら、自国第一主義は、それを支持する国民を守り、幸福にするものなのだろうか。気になるのは、歴史を振り返るとき、政治の世界では、「自国『民』第一主義」よりも、「自『国』第一主義」に基づく判断や決定が行われやすいことである。もちろん、国家を守ることは国民を守ることに直結することが多い。しかし、国家を守るために、国民の一部を犠牲にすることもやむを得ないと判断する政治家は後を絶たない。

 集団全体の利益を優先し、その構成員個人の利益は犠牲になっても仕方がないと考える態度は、集団主義と呼ばれる。集団主義は、職場集団や学校の部活動集団のような身近な集団のレベルでもよく見られるが、国家という大きなレベルでも起こりうる。我が国でも、お国のために尽くし、一人ひとりは我慢することが美徳とされる時代があった。現在でも、会社のために尽くすこと、自己犠牲を払うことは正しいことであり、当然のことであるという風潮が見聞きされることも多い。そうした集団主義的風潮は、個人の自由や幸福を追求することは良くないことだと感じさせ、心理的に窮屈で息苦しい生活につながる。

 集団主義的な考え方が国家レベルに広がり、国家第一主義の人々が多数を占めるようになると、集団極性化の渦(本コラム53回参照)が生まれ、次第に、国のために国民は犠牲を耐え忍ぶことが美徳であり、当然のことであるという極端な価値観が社会の中で大きな力を持って、人々の言動を縛るようになる。集団主義とは対局にある個人主義的傾向が強いとされる西欧諸国だが、世界大戦を2度も経験していることを考えれば、条件が整えば、集団主義的風潮が社会に蔓延することは決して難しいことではないといえるだろう。自国中心主義の政治家や政治集団への支持の高まりは、まさに今、集団主義的風潮が社会に広がっていることを示唆している。

 厳しい自然環境のもとで生命をつないでいくために、集団で生活することを選択した我々の祖先は、集団全体で協同していくことが生き延びるために不可欠であることを肝に銘じて生き、子孫に伝えて来た。そうした考え方は、集団で生活するときには、時として極端な結論へと大きく振れてしまうこともある。ただ、集団主義は怖いからといって、集団のメンバー全員が自己利益を追求する利己主義に走れば、その集団には共貧現象が起こり、集団は崩壊してしまうだろう。

 要はバランスである。各自が自己の考えを主張しつつ、他者の主張にも耳を傾け、他者の考えを理解し、尊重しあって、お互いの利益を考慮しながら判断し、言動をとるようになれると、社会を崩壊に導く極端な利己主義や、個人を圧殺する極端な集団主義といった偏った社会にはなりにくいだろう。

 自分にとっては耳の痛い意見や指摘であっても、耳を傾け、理解し、尊重できる人間になりたいと私も思いつつ、「言うは易く、行うは難し」を実感する日々である。しかし、人類の20万年余にわたる進化の歴史から見ると、個人の利益と集団・社会の利益のバランスをとる努力をしてきた日々は、まだ短い時間でしかないのだろう。投げ出すことなく協同への努力を続けることが人類の課題であることを、最近の自国第一主義の隆盛は、反面教師的に教えてくれているように感じるときがある。

※先生のご所属は執筆当時のものです。

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