第121回 トレードオフの苦境をいかに乗り越えていくか ~優先順位の付け方を人間の欲求階層説から考える~

2020.12.24 山口 裕幸 先生

 前回指摘したように、多くの人々が街中に繰り出していることは、人々の感染防止への意識が以前に比べて多少なりとも緩んでいることを示している。しっかり感染防止対策をとって我慢していた人々の心の中には、「みんな街中に出て飲食したり、旅行にでかけたりして楽しんでいるな。なんだか自分だけ政府の要請を真に受けて自粛しているのも馬鹿みたいだな。」という気持ちが芽生え、膨らんでいったことは想像に難くない。社会心理学でよく取り上げられるサッカー(sucker:「ものをだめにしてしまう人」の意味)効果や、なじみのある表現では「腐ったミカン」効果が見られたといえるだろう。

 人間は、集団や群衆の中では、皆が我慢して規律を守っているならば、自分も我慢しようと思うのだ。しかし、誰か一部の人が規律を破り、我慢するのをやめて利己的に振る舞うと、次第に自分も自分の好きなように振る舞うようになるのである。規律を破る人は最初のうちは少人数だったとしても、次第に周囲の人々を巻き込み、増加する傾向を見せる。そして、利己的行動者が一定の割合を超えると、増加の勢いはなかなかおさえるのが難しくなってしまう。流行のフェイズに入ってしまうのである。街中や居酒屋に繰り出す人たちは、「見てみなさいよ。みんな出てきているよ。なぜ私のことだけ責めるの?」と言いたいだろう。ましてや、Go To キャンペーンのように、政府が旅行や飲食を奨励するお墨付きまであるのだから、なおさら正当性を主張したくもなるだろう。

 とはいっても、「じゃあ、しょうがないね。みんなでコロナに感染するしかないね。」とはいかないだろう。人の健康や命を守ることは何よりも重要である。しかし、それを優先すると経済に悪影響が及び、経営が立ちいかなる企業や生活に困窮する人々が急増してしまう。感染防止の取り組みと経済活性化の取り組みは、どちらかを優先すると他方が困ったことになるトレードオフの関係にある。バランスをとることが大切と言われても、どこがレバレッジ(天秤棒の支点)としてふさわしいのか、判断するのは非常に難しい。国家や地方自治体のリーダーたちの懊悩は察してあまりある。

 バランスをとろうと苦心しているうちに、どちらか一方が非常に困難な状況に立ち至ったとき、どうすればいいだろうか。皮肉なことに、経済と防疫のバランスをとろうとしてきた西欧諸国、北米諸国では、感染拡大を抑えることができず、経済も落ち込んだままの二重苦の状況に陥っているところが多い。我が国も同様だといわざるを得ないだろう。政治的には批判も多い中国だが、徹底して市民の活動を抑制して、その後の感染を押さえ込み、経済の回復につなげている。人権を軽視しているという見方もあり、必ずしも好意的には見られていないが、感染防止の点に絞ってみれば正解といえそうだ。他方、「コロナを恐れるな」と大統領が国民に発破をかけたアメリカは、感染拡大は収まるどころか、高止まりの状態にある。株価だけは上昇しているが、市民の実際は失業が拡大し、政府の財政出動による支援金だのみの生活が続いており、いわゆる実体経済は芳しくないという。

 バランスをとるのが難しく、かえって苦難を深めるのであれば、どちらかに重心をかけた取り組みをする方が、短期的にはともかく、長期的、将来的には活路が開ける可能性が高いことを、上記の世界の現状は暗示しているように思える。どちらに重心を置くかが重要なポイントであるが、人間の欲求階層に大切なヒントが隠されているように思われる。

 アブラハム・マズローによれば、我々は様々な欲求を持っているが、その一番基本的なものは、生理的欲求である。食事や睡眠等、命をつなぐために不可欠なことへの欲求は、人間が生きる上での基盤である。これが妨げられると、猛烈な欲求不満を感じ、やみくもにこれを満たそうとする。次に重要な階層が安全の欲求である。安全を確保し、安心して暮らしたいという欲求である。戦時下のように、いつ爆撃を受けるかもしれない状況におかれると、不安でしかたない。ここまでの2つは、人間が生きていくために求めることがらである。次の階層は社会的欲求と呼ばれるが、具体的には社会や集団に所属することを求める欲求であり、逆に言えば、孤立・孤独は避けたいという欲求でもある。次の階層の承認欲求は、集団の一員として認められ、他者から評価され、賞賛されたいという欲求である。もっとも高次の欲求は自己実現欲求と呼ばれるもので、自分自身が目標とする「なりたい自己像」を思い描き、それに近づこうとする欲求である。

 防疫を強化して感染を防止し命と健康を守ることは、もっとも基本的な基盤の欲求を反映するものであろう。新型コロナウイルスの感染拡大が顕在化したときの、いかに対応して良いかわからない、得体の知れない事態への恐怖や不安は、買い占めを引き起こし、トイレットペーパーやうがい薬が店頭から姿を消す事態につながったように、一種のパニック状況さえ引き起こした。時間を経て、ワクチン開発の目処が立ち、効果的な対症療法も見つかりつつあることで、少し安心感が社会に広がってきたことで、かつての普段通りの生活を取り戻したいという方向に人々の気持ちが動いたのはやむを得ないといえるだろう。しかし、医療崩壊の危機が叫ばれ、命の選別さえ現実的になってくれば、やはり命と健康を守りたいという欲求が優勢になるのも道理である。

 経済は重要である。経済が行き詰まれば、生活が困窮し、苦しむことになる。しかし、感染症は死に直結しかねない。やはり「命あっての物種」なのである。バランスをとるのが難しく、「二兎を追う者、一兎をも得ず」となりそうなとき、人間の欲求階層を顧みて、どこに重心をかけると良いのか、どちらを優先すると良いのかシンプルに考えてみることも、解決への明快な道筋を照らし出すうえで有効な取り組みになるだろう。

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