第120回 人間の行動選択と社会の心理学的「場」の関係性を考える ~新型コロナウイルス禍における自粛要請と"Go Toキャンペーン"の相剋を題材に~

2020.11.30 山口 裕幸 先生

 新型コロナウイルスの感染拡大は第3波のフェイズを迎えることになってしまった。予想されていた事態ではあるが、「今度も大丈夫」という気持ちもあれば、「今度こそは危ない」という気持ちもあって、両者が錯綜する不安定な心理状態で多くの人々が毎日を送る状況になっている。

 人々の健康を考えれば自粛要請もやむを得ないが、暮らしを支える経済を考えればGo Toキャンペーンは有効な施策であって簡単には停止しづらい。要はバランスの取り方であって、「ほどよく」食事やショッピング、旅行を楽しみつつ、手洗い・マスクはもちろん、不要な外出や移動は極力抑制することができればよいのだが、なかなかそうは問屋が卸さない。11月21日(土)~23日(月・勤労感謝の日)の3連休は、医療関係者からは「『我慢』の三連休にして欲しい」との声もあがり、急速な感染拡大に対する警戒が強く叫ばれていたが、全国各地で多くの人々が旅行やショッピング、食事を楽しむ様子がニュースで流されていた。

 もともとインフルエンザ等の感染症が流行する季節が始まる中で、Go Toキャンペーンが人の移動を活性化していることが、感染の急拡大を招いているのではないかと懸念する声がある。国会でもそうした趣旨の質問がなされたが、管総理大臣は「Go Toトラベルが、感染拡大の主要な原因であるとのエビデンスは、現在のところは存在しない」旨の見解を示している(2020年11月25日現在)。確かにGo Toトラベルの利用者の中で感染者をカウントすると、それほどの数ではないため、経済へのダメージを重視する視点からは、こうした見解を示す気持ちはわからなくはない。

 ただ、人間の行動選択は、周囲や社会全般の人々の行動選択の様子に極めて強く影響される点を忘れてはいけないだろう。春先は「感染して重症化してしまうと命が助からないこともある」という危機感は、特に中高年の人々に、時には神経質と言っても良いほどの慎重な行動選択を迫った。東京都のデータを見ると、年代別に見た感染者数の比率は、累計では20代が多く、続いて30代が多い。ただ、春先からの感染者数の推移を追ってみると(https://www.tokyo-np.co.jp/article/24233(外部リンク))、第1波が落ち着いた初夏の頃から、40代以上の中高年の感染者の比率も高くなってきており、春先ほどの大きな年代差は見られないようになっている。この変化は、春先には感染のリスクに非常に敏感に反応して強い警戒心を持って慎重な行動選択をしていた中高年層も、最近ではその警戒心が少し緩んできていることをうかがわせている。

 慎重な行動選択を行うにしても、リスクに対しておおらかに考えて積極的な行動選択を行うにしても、我々は周囲の人々の動向を参照して、自分の行動を決めることが多い。もちろん、他者に影響されることなく、いかなる時も自分の確固たる信念に基づいて行動を選択する人もいるが、それはごく少数であり、ほとんどの人々は周囲の動向に注意を払いつつ、自分の行動選択を行っているのである。夏から始まったGo Toキャンペーンで周囲の人々が旅行や飲食を楽しんでいる様子を垣間見ることで、春先の張り詰めた警戒感が少しずつ緩むのはやむを得ないことである。人々にとっては、経営に苦しむ業界の人々に対する経済的支援という意味合いの他にも、「そろそろみんなで以前のように旅行やレジャーを楽しみましょうよ」という誘導の意味合いを持って受け取られていることもあるだろう。キャンペーンという以上、その警戒心の緩みを狙っている側面は否定できない。

 Go Toキャンペーンの利用に初めは慎重だったとしても、多くの人々は第2波までの感染流行を乗り越えてきており、「自分は大丈夫だろう」という根拠のない自信を持ったり(この心理の背景には第118回で紹介した「正常性バイアス」も働いている)、ワクチン開発成功のニュースを聞いたりしていることも、感染への恐怖心や警戒心を緩める作用をしているだろう。そして、夏に始まったGo Toキャンペーンの誘惑は、次第に人々の心に浸透の度合いを深めているのである。

 人間同士は互いに影響を及ぼし合い、心理学的「場」を形成する(本コラム第28回参照)。この心理学的「場」は、ときに「空気」とか「雰囲気」と呼ばれる全体的特性(複雑系科学で創発特性とよぶもの)である。明瞭に可視化することは難しくても、我々は五感を通して感じ取ることができる。観光地や街に溢れる人々の様子を観察して「あぁ、みんな少しくらい旅行やレジャーを楽しんでもいいじゃないかと思っているんだなぁ」と感じ取ることは、次々に人々の心に伝搬して、社会全体の空気や雰囲気となっていく。そして、その空気や雰囲気が人々の行動選択に影響するのである。

 Go Toキャンペーンは、社会経済への甚大なダメージを克服するための有効な施策のひとつであることは確かであろう。感染症拡大を抑制する防疫の施策とのバランスで、人々の行動選択を「ほどよい」ものに導くには、施策やそれを説明するリーダーの言動の持つ意味合いを、人々がどのようにとらえるか、そして世の中の人々皆で作り上げている心理学的「場」をどのように変化させるのか、十分に視野に入れた働きかけが必要である。極めてデリケートで困難な課題であるが、ルールや罰則で人々を動かそうとするパターナリズムの発想にばかり頼るのではなく、前回紹介したナッジや仕掛け学の発想を取り入れた検討も有効なものとなるだろう。

※先生のご所属は執筆当時のものです。

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