第48回 人間行動の直観的判断の不可解さと面白さについて(4)-「メンタルショットガン」の影響-

2014.07.09 山口 裕幸 先生

 心理学の実験のひとこまを想像して欲しい。あなたは実験に参加するために、大学の心理学教室を訪れた。実験室に案内されると、実験者からは次のように要請された。「今から3つの短い文を読み上げます。ひとつの文を聞くたびに、それが正しいか、誤っているかを判断してください。正しいならば右の白いボタンを、誤っているならば左の赤いボタンを押して答えて下さい。じっくり考えるのではなく、文を聞き終えると同時に、できるだけ素早くボタンを押すようにしてください。」そして、次の3つの文が、ひとつずつ読み上げられた。

 ① 権力者は虎である。
 ② 結婚は虎である。
 ③ 結婚は監獄である。

 興味のある方は、ひとつの文が読み上げられてから、正誤の判断の返答までにかかる反応時間を測定してみると面白い。どの文も、正確には(文字通りには)誤りである。しかし、①や③は、「そんな比喩(たとえ)もあり得るか」と思ったりして、返答に僅かながら時間がかかってしまうのである。逆に、②の文が間違っていることは即座に判断できる。結局のところ正しく判断するにしても、なぜ反応時間にそんな差がでてしまうのだろうか。

 前回までも紹介してきたように、我々は直感的な判断を無自覚のうちに行い、そのプロセスで多様なバイアス(歪み)を生じさせているのだが、そうした認知活動を担っているのがシステム1である。その命名者であるD.カーネマンによれば、「システム1は、取り立てて目的もなく、自分の頭の中と外で起きていることを常時モニターし、状況の様々な面を絶えず評価している」という(Kahneman, 2011, pp.89)。そして、「システム1は、進化の過程で、生命体が生き延びるために解決しなければならない重要な問題を常時評価するようになった」とも述べている(同、pp.90)。絶えず身を守るために動き回っているたいそうな働きものなのである。

 ここでさらに留意しておかねばならないのは、システム1は、常にたくさんの情報処理を「同時に」行っているということである。例えば、開いた本のページを読み、漢字の熟語が何個書かれているかを数える状況を想像してみよう。しかし、ここは注意を払って読まねばならず、システム2を稼働させる必要がある。このとき困ったことに、システム1は、意図した以上に、すなわち、こちらが望んだり必要としている以上の情報処理をやってしまう。システム2が意図して発した「漢字の熟語を数えろ」という意図(命令)に照準を絞ることができず、的の周辺まで瞬時に広がって情報処理を行い、判断をしてしまうのである。熟語の意味を考えたり、類似した熟語を思いついたり、同じ漢字を使った別の熟語を思い浮かべたりするものである。情報処理が狙った的の周辺まで広がってしまうようすが散弾銃をイメージさせるので、必要以上の情報処理をしてしまうシステム1の働きのことは「メンタルショットガン」と呼ばれる。

 さて、「あなたの現在の生活はどのくらい幸福ですか?」と突然尋ねられたとしよう。この問いへの答えは、慎重に考えれば、様々な要素を勘案して導き出さねばならず、結構難しいものである。しかし、我々は比較的簡単に質問に答えることが多い。「そうですね。幸せです。」とか、「さほど幸せとは言えないですね。」とか、だいたいのところで返事を見つけることができる。なぜ、容易に返答できるのかというと、「自分は幸せか?」という質問に正確に照準を絞ることは我々は苦手で、かわりにメンタルショットガンが働いてその周辺の様々な関連する質問に気づいてしまうのである。そして、答えやすそうな質問、例えば、「今、気分はいいのか?」を見つけると、その元々の質問をその見つけた答えやすい質問に置き換えて答えてしまうのである。この置き換えも無自覚のうちにシステム1がやってしまう作業のひとつである。

 我々の認知システムは、実に優れものであるといえるだろう。いちいち注意を集中してシステム2にお出ましいただかなくても、なんとか現実対応していけるのである。しかし、いつも好都合なわけでもなく、余計なことまで考えて、考えが混乱してしまったり、判断が遅れてしまったりすることだってある。そして、システム1が持っている他の機能と連動して、無自覚のうちに間違った判断を導くことだって起こりうる。次回は、そんな問題に焦点をあてて、話しを続けていくことにしたい。

<引用文献>
Kahneman, D. (2011). Thinking, fast and slow. London: Penguin Books.

※先生のご所属は執筆当時のものです。

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