第1回 行動を観察すれば人間心理のどこまでを明らかにすることができるのだろうか-S. Milgramの「空を見上げる人々」実験を題材にして-


2009.07.15 山口 裕幸 先生


 人間のとる行動は、その人の心理状態を外部から知る絶好の手がかりである。笑顔は好意の表れであるし、ガッツポーズは達成感や歓喜の表れである。しかしながら、思春期の頃を思い出せば、好意を抱く異性に対して、好きなのに(好きだからこそ)わざと邪険に扱ったり、いたずらをしたりした甘ずっぱい経験を持つ人も少なくないだろう。これは、精神分析学では「反動形成」と呼ぶ人間の自我防衛機制のひとつである。本音とは反対の行動をとってしまうことは、だれにでも起こりうることなのである。まこと、人間は複雑である。

 したがって、行動を観察しただけでは、人間心理のすべてを理解することは難しいと考えておく必要がある。ただ、人間の行動と心理との関係性については、集団力学を提唱した著名な社会心理学者レヴィン(K. Lewin)の提示した図式に基づいて理解しておくことが有効だ(図1)。

 B = f (P・E)
 図1 行動の規定因図式
 B:行動(behavior)
 P:個人要因(personality)
 E:環境要因(environment)
 f:関数(function)

 つまり、行動は、個人の内的な特性要因(性格や能力など)と、その個人を取り巻く環境要因(状況や生活環境など)とが組合わさって生まれてくるもの、という考え方である。個人の性格や能力や心理状態だけでなく、どんな状況に置かれていたのか、いかなるいきさつがそれまでにあったのかなども考慮して、慎重に行動の理由を判断する必要がある。とすれば、行動観察はどれほどの意味を持つのであろうかといぶかしく思いたくなる。

yama1-2.JPG でも、行動観察は、時として人間の社会性の本質をものの見事に明らかにすることを可能にする優れた方法なのである。「アイヒマン実験」と呼ばれる人間の権威への服従傾向を明らかにした研究で有名なアメリカの社会心理学者ミルグラム(S. Milgram:写真)は、様々なユニークな研究を行った人である。彼は、ニューヨークの街中に出かけていき、歩道に立って空(実際には向いの通りにあるビルの6階の窓)を見上げている人々の人数を1人、2人、3人、5人、10人、15人と変えて、それを見た通行中の人々がどんな反応を示すのかを観察した。空を見上げる人々は、前もって行動のパターンを言い渡されており、指定された場所で立ち止まり、通りの向かい側にたつビルの6階の窓を60秒間見上げ、それが終わると立ち去った。一定時間経つと今度は別の「見上げる人々」が同じ指定の場所に立ち止まり同様の行為を行った。この研究は1968年の冬の午後に行われ、通りがかった通行人は全部で1424人であった。

 2人の観察者が、その指定の場所を通りかかった通行人のうち、何人が「見上げる人々」につられて一緒に窓を見上げたかを慎重にカウントした。その結果、見上げるのが1人の時は、それにつられて立ち止まったのは、通行人のわずか4%だけだったのが、15人で見上げる条件では40%が立ち止まった。また、つられて窓を見上げた通行人の割合は、見上げるのが1人のときに43%で、15人のときはなんと86%にもなった。筆者は岡山大学に在職していたときに、心理学実験の授業で学生たちと一緒に岡山駅前の通りで、この実験の追試を行ったところ、空を見上げる人垣ができて通行妨害の状態を起こしてしまい、警察から注意を受けた経験がある。そこで見たのは、我々人間は、たえず他者の振る舞いが気になっており、違和感や興味を覚えると、それに極めて敏感に反応する存在であるという現実であった。

yama1-3.JPG ミルグラムが行動観察の結果示したのは、「どうしても他者存在に常に影響を受けてしまう」人間の社会性の本質である。ラーメン屋の前の行列は、さらなる行列を生むのである。他者の行動を見て、我々は「なぜあんなことをするのか」と理由を推測してしまう。そんな素朴な「原因帰属」の心理とそれが引き起こす人間くさい行動の面白さについては、次回、引き続きお話しすることにしたい。

※先生のご所属は執筆当時のものです。

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