第98回 勤勉は美徳か?なぜそんなに一所懸命に働くのか-社会心理学的視点で素朴な疑問に向き合う⑨-

2018.09.27 山口 裕幸 先生

 「働くことの意味」に関する国際比較調査の結果(三隅, 1987)に驚いたことがある。日本や欧米をはじめとして、アジア、中近東を対象とする調査で、大人だけでなく、子どもたちにも様々な角度から働くことの意味を尋ねていた。子どもたちへの質問のひとつに「大人になったらどんな仕事に就きたいか?」という問いがあった。筆者が驚いたのは、中近東のイスラム文化圏の子どもたちの回答で一番多かったのが「詩を吟じる(詩人になる)」であったことである。日本に生まれ育った自分には思いもつかない労働観だなぁと強く印象に残っている。この調査結果は、どのような働き方が望ましいかを考えるとき、生まれ育った国や地域の文化の影響は大きいことをうかがわせる。

 さて、日本はどうなのかというと、大人になって就きたい仕事として「会社や役所に勤める」という回答が他の国々よりかなり多いことに特徴があった。台湾や中国では「社長になりたい」、欧米では「(医師や弁護士等の)専門職につきたい」「資産家になりたい」という回答が多く、日本とは異なる結果であった。労働観に関する調査研究は他にも各種なされており、日本の子どもたちが示した傾向は、今日でも続いているようである。個人として活躍することよりも、組織の一員として活躍することを望む傾向は、日本人の働き方を知らず知らずのうちに方向づける暗黙の社会的価値観を反映しているものといえるだろう。

 他方、他の国々の人たちから見たときに、日本人を特徴づける最も重要な特性のひとつが、勤勉さである。また、日本人自身も勤勉を美徳とする価値観を根強く持っているようである。組織の一員として貢献することに重きを置く労働観と、勤勉を美徳とする価値観に、「日本人は勤勉である」という認識が融合するとき、働き方に対する個人の考え方に一定の心理的圧力が生じる可能性がある。

 すなわち、本音のところでは「ときには息抜きをしたり、多少怠けたりしても構わないのではないか」と自分自身は思っているのだけれど、「とはいっても、周囲のみんなは、いつも実直に勤勉に働くべきだと思っているだろうな」と周囲の他者の思いを浸透している社会的価値観に沿って推論してしまうのである。そして、所属する組織の他のメンバーに迷惑をかけないように、苦しくても辛くても、時間外であっても一所懸命に働くしかないと自分に言い聞かせるのである。

 このこと自体、「何がいけないのか、立派なことではないか」と感じる人も多いだろう。確かに勤勉を美徳とする第三者の観点からは、むしろあるべき姿に映るかもしれない。しかし、当人にとっては、行き過ぎた無理のある仕事でもやり続けようとして苦しむ切ない自縄自縛の状態を意味する。過労死や燃え尽き症候群という究極の状態に行き着いてから「そんなに大変なんだったら、仕事をやめれば良かったじゃないか」と言われても、それでは手遅れになってしまう。

 昨今の働き方改革の進め方は、基本的に政府主導のトップダウンで状況改善をはかるものになっている。しかし、いくら組織上層部から定時退社を勧奨されても、肝心の仕事の量が減るわけではない。現場でなければできない仕事だったり、情報セキュリティの徹底のために仕事を自宅に持ち帰ることもままならなかったりする。八方ふさがりである。そのうえ、組織の一員として働く個人にとっては、自分が早々に定時退社した場合に、職場の周囲の人々がどのように感じるのか、迷惑をかけることはないのか、とデリケートな心理的ストレスにさらされる状況にもなっている。
 
 過労死や燃え尽き症候群が、我が国の過酷な労働環境を象徴する社会問題となっている背景には、上記のような文化的な価値観と他者認知推論の相乗効果が生み出す「無理な勤勉さ」の影響にも目を向けてみることが大事だろう。一人ひとりは、もう少しゆとりを持って仕事をしてもいいんじゃないのか思っていても、やはり周囲の他の人たちは怠けることなく勤勉に働くべきだと考えているだろうと推論して、誰もが無理に勤勉に振る舞う心理的ループは、本コラム57回で紹介した「多元的無知」現象や「沈黙の螺旋」現象の発生プロセスと同じである。
 
 職場の周囲の人たちは、そんなにも勤勉でなければならないと思っているのだろうか。本音で話を交わしてみれば、お互いに無理をしすぎていることに気づくかもしれない。上司の思いやりのある言葉もうれしいが、それと併せて、仲間たちと胸襟を開いて、自分たちの働き方について意見交換できることが、「無理な勤勉さ」の呪縛から自分たちを解き放つ第一歩になるだろう。もちろん、単にのんびりするのでは、仕事がはかどらず、自分たちの首を絞めることになる。大切なのは、お互いが「無理な勤勉さ」に嵌まり込むことなく仕事を進める知恵を絞ることである。そのためにも本音で意見交換できる機会と場を作ることは大事になってくるだろう。

<引用文献>
三隅二不二. (1987). 働くことの意味: Meaning of Working Life (MOW) の国際比較研究.有斐閣

※先生のご所属は執筆当時のものです。

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