第113回 職場を真の「安全基地」とするために-リスクを過剰に恐れず前向きに挑戦する行動を引き出すには-
2020.04.16 山口 裕幸 先生
前回に引き続き、組織や職場を安全基地(secure base)にしようとする理論について考察していこう。これまでにもメンタリングや心理的安全性などの類似した概念が提示されてきているが、安全基地の考え方は、失敗するリスクがあっても、それに挑戦する勇気と行動を引き出すことを重視している点に特徴があると言えるだろう。端的に表現すれば、前向きに挑戦する行動を引き出すことができて、初めてその職場は安全基地になったといえることになる。
安心できる場であることは基本の要件であるが、それだけでは安全基地と呼ぶには不十分で、メンバーが思い切ってリスクテイクし、挑戦していく行動を促進する「場の特性」を備えることまでを視野に入れておくことが大切だ。安心して引きこもってしまう甘えの場となってしまっては、真の意味での安全基地とは言えないわけである。
社会心理学の領域で研究されてきた、制御焦点理論(regulatory focus theory; Higgins,1997)で論じられているように、人間には利得(≒成功)を求めて前向きに挑戦的な態度でものごとに臨む傾向(=促進焦点)と、損失(≒失敗)からできるだけ遠ざかろうとする消極的で逃避的な態度でものごとに臨む傾向(=回避焦点)とが備わっている。この2つの傾向のバランスによっては、リスクテイキングや挑戦、冒険に積極的に取り組む傾向を強く持つ個人もいるだろう。とはいえ、性格的には促進焦点に重心がある人でも、損失(≒失敗)する可能性、すなわちリスクが高ければ、当然のことながら、挑戦や冒険には強いためらいを覚えるだろう。他方、リスクが低ければ、挑戦や冒険へのためらいは小さくなるだろう。
結局のところ、リスクテイキングや挑戦には勇気が必要だ。この勇気に強く影響するのが、失敗に伴って受ける可能性がある損失(≒問責や懲罰)の大きさの見積もりである。この視点に立てば、失敗しても大丈夫だと思える程度が鍵を握ることになる。失敗によって被る損失や被害がかなり大きいと感じれば、リスクは大きく認知されるし、失敗が怖く感じられ、挑戦をためらうことにつながる。逆に、失敗によって被る損失や被害はさほど大きくないと感じれば、リスクは小さく認知され、失敗への恐怖は和らぎ、挑戦への動機づけが高まることになる。
したがって、挑戦的な行動を組織的に引き出せるか否かを決めるポイントは、自分の所属する職場や組織では、失敗したときに、どのような組織的対処が待ち受けているのかについて、各メンバーがどのように認知しているのか、というところにある。これは、組織や職場のマネジメントの工夫によって、望ましい方向に導くことが可能なものである。失敗を懲罰、叱責の対象に位置づけるのではなく、今後の成功に活かす学びの対象と位置づけるマネジメントである。
もちろん、職務を通して果たすべき責任を全うすることは、職業人・社会人として当然のことである。しかし、新しい取り組みや創造的な挑戦までも、同じ枠組みで評価することになってはいないか。挑戦した結果であれば、失敗してもその責任を問いつめたり、懲罰の対象としたりすることはないという組織や職場の合意があれば、挑戦へのためらいは小さくなっていくだろう。
安全基地の概念は、もともと母親と幼児の関係性から発想されたものである。組織や職場が母親のようにメンバーの挑戦を励まし、見守り、失敗して帰ってきても、へこたれることなく、経験を活かしてまた挑戦へと飛び出していく態度を育成することの大切さを説くものであるといえるだろう。過去の栄光を後生大事に語り継ぎ、ガラパゴスに喩えられることさえある我が国の多くの組織にとって、未知の課題に挑戦し、新しい扉を開く取り組みは、ことさらに重要なものといえるだろう。
では、果敢に挑戦することを奨励し、挑戦の結果であれば、失敗しても問責ではなく、そこから何を学ぶべきかを考えることに取り組ませるマネジメントは、具体的にどのようなものだろうか。もちろん、組織トップの英断と指揮が効果的であることは確かであろう。他方、個々の職場やチームで行うボトムアップの取り組みも重要である。この取り組みについては、本コラムの第86回~88回において取り上げた、職場を「仕事をこなす、片付ける場」と捉えてしまうフレーミングから「学びの場」というフレーミングへと変化させていく管理者のリーダーシップ行動の視点が参考になる。一度振り返ってみていただけると幸いである。
【引用文献】
Higgins, E. T. (1998). Promotion and prevention: Regulatory focus as a motivational principle.
Advances in experimental social psychology, 30, 1-46.
※先生のご所属は執筆当時のものです。
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