第89回 緻密な人間行動観察が明らかにする事実-従業員の幸福感の高さが組織の業績を左右する?-
2017.12.18 山口 裕幸 先生
ビッグデータという言葉はなじみのものになってきた。電車に乗るときにSuicaのようなプリペイドカードによる支払いを利用する人が多くなったことで、そのデータを生かして、通勤時間帯の交通機関の使用について、俯瞰して捉えるとどのような行動がとられているのかを解析することが可能になっている。極めて膨大な数の人間が、思い思いに各自の都合で交通機関を使用しているにもかかわらず、それを俯瞰してみると全体的に人間がとる行動の特徴を見いだすことができる。これは、目の前の人間がどのように行動するのかを観察したり撮影したりして分析をする従来の行動観察とは一線を画す、大量行動記録の分析による人間行動の特性解明の取り組みといえるだろう。もちろん、現象としての特性は明らかになっても、「なぜそのように行動するのか?」の理由ははっきりしない。「なぜ?」を追究するには、やはり丁寧な観察、そして心理学的測定も加味していく必要がある。
ビッグデータ解析の取り組みと並行して、非常に優れた発展を続けているのが社会物理学的な人間行動解明の取り組みである。本コラム第34回 で紹介した「正直シグナル」「社会物理学」のPentland, A. S. (2010, 2014) をはじめとして、わが国でも矢野和男(日立製作所中央研究所)による組織改善に有益な興味深い研究成果が報告されている (矢野, 2014) 。
矢野が開発し、使用している「ビジネス顕微鏡」と称する、首から紐をつけてかける名刺サイズの測定機器は、人間が無自覚のうちにとっている行動を大量に測定し記録し、その膨大なデータ(矢野はこれをヒューマン・ビッグデータと呼んでいる)が示す人間行動の特性を明らかにすることを可能にしている(機器の詳細は、http://www.jfma.or.jp/award/05/pdf/paneldata07.pdf を参照されたい)。彼は、その行動の特性を明らかにすることと併せて、人間の心理状態も一緒に測定して、両者の関係性について興味深い知見をもたらしている。
特に我々の日常生活と関連して興味深いのは、職場において、休憩中の会話が活発であると、生産性が高まることを明らかにした研究である(渡邉他, 2014)。彼らは、電話をかけて注文をとるアウトバウンド・スタイルのコールセンターのオペレータとその監督やサポートを行うスーパーバイザに、約1ヶ月間、出勤して退勤するまでずっとビジネス顕微鏡を装着してもらい、職務遂行中の会話や身体運動の行動データを測定した。このとき2つのコールセンターを対象に測定を実施するとともに、受注数や発信数等の業務データも測定した。
データを分析してみると、2つのコールセンターの受注率に有意な差が見られたものの、オペレータのスキルやパーソナリティとの関係は見られず、職務遂行中の行動にも2つのコールセンターで有意な差はなかった。ただ行動データの中でひとつだけ関係が見られたのが、休憩中の会話行動の活発度であった。すなわち、休憩中に活発に会話を行い職場集団としての行動活発度が高い方のコールセンターの受注率が有意に高かったのである。
人間の幸福について研究するポジティブ心理学の研究によって、人間の幸福感は「行動の結果、成功したか」によって決まるのではなく「行動を積極的に起こしたか」によって決まることがわかってきている(Lyubomirsky, 2008)。そして、矢野自身の研究結果として、集団活発度の高い職場集団の方が、従業員の幸福度も有意に高いことを確認してきている。つまり、休憩中の活発な会話は、職場集団の活発度を高め、それが従業員の幸福感を高めるとともに、受注率に代表される集団の生産性を高めるという関係があることを、これらの結果は示唆している。
この結果を受けて、研究対象となったコールセンターでは、同年代の4人でチームを作り、一緒に休憩を取るようにしたところ、休憩中の活発度が10%高まり、受注率も13%高まる結果を得たことが報告されている。最初の研究の結果だけであれば、受注が好調だったから休憩中の活発度も高くなっていただけなのではないかという疑問を呈する意見も出るだろうが、この休憩時間を工夫する取り組みによって、職場集団の従業員同士の会話行動を活発にして、活気ある職場にしてくことが、生産性を高める効果があることが確認されたのである。しかも、活気ある職場を作る取り組みは、従業員の幸福度を高めることを通して、生産性を高めるという好循環の関係性があることも示唆するものとなった。
活気ある職場の良さは誰もが直感的に感じるところだが、矢野たちの研究は、その直感が確かなものである根拠を示すものといえるだろう。コールセンターのオペレータの職務のように、就業時間中は各自の職務に集中するため、従業員同士の会話が乏しくなりがちな職場では、休憩時間の会話こそが職場活性化の鍵を握っていたのである。ヒューマン・ビッグデータの分析が裏づけたこの事実は、昨今、様々な職場で実施されるようになった朝食会などのダイアローグが、職場の生産性を高める効果を持つこととも関係していることを感じさせる。
かつては盛んに行われていた社内運動会や社内旅行、飲み会などが、その煩わしさからほとんど行われなくなってきているが、一緒に働く者同士が集まっておしゃべりをすることには、職場集団の活発性を高める効果があり、それが働く者のメンタルヘルスや幸福感、ひいては職場集団の生産性を高める効果へとつながっていた可能性は高い。煩わしいとばかり嘆かずに、できるところから職場仲間でおしゃべりを楽しめる場を作り出す工夫をしてみることは、実のところとても重要なことだといえるだろう。
引用文献
Pentland, A. (2014). Social physics: How good ideas spread-the lessons from a new science. Penguin. (ペントランド・A. 小林啓倫(訳). (2015). ソーシャル物理学-良いアイデアはいかに広がるかの新しい科学. 草思社)
Pentland, A., & Heibeck, T. (2010). Honest signals: how they shape our world. MIT press. (ペントランド・A. 安西祐一郎(監訳) 柴田裕之(訳). (2013). 正直シグナル─ 非言語コミュニケーションの科学. みすす書房)
矢野和男. (2014). データの見えざる手:ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則. 草思社.
渡邊純一郎, 藤田真理奈, 矢野和男, 金坂秀雄, & 長谷川智之. (2013). コールセンタにおける職場の活発度が生産性に与える影響の定量評価. 情報処理学会論文誌, 54(4), 1470-1479.
Lyubomirsky, S. (2008). The how of happiness: A scientific approach to getting the life you want. Penguin. (リュボミアスキー・A. 渡辺 誠(監 修)金井真弓(訳)(2012). 幸せがずっと続く12の行動習慣 日本実業出版社)
※先生のご所属は執筆当時のものです。
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