第146回 「日本的」な社会・集合現象について社会心理学的視点から考える(5) 〜リスク・コミュニケーションの難しさ〜

2023.2.8 山口 裕幸(九州大学 教授)

 前々回、話題にしたように、利益を得る可能性のある投資にはなかなか手を出さないまま、超低金利が続き現状維持しか期待できない預貯金を選択し続けている人の割合が多い状況は、閉塞的な状況といって良いだろう。将来にわたって発展する社会を展望できるようにしていくには、そのきっかけとなる挑戦的で創造的な行動、すなわちリスクテイキング行動を促進する仕掛けが重要な役割を果たすことに前回は言及した。

 そうした仕掛けのひとつとして注目されるのが、リスク・コミュニケーションである。具体的な取り組みには、原子力発電や食品安全、防災・減災等に関連して、行政、企業、専門家、市民といった利害関係者達が参加して行われる説明会が、リスク・コミュニケーションの代表的な場にあげられる。その目標は、参加者間で、リスクに関する正確な情報を共有し、相互に意思疎通して、一定の結論へと合意形成をはかることにある。これは理にかなったアプローチであり、投資のようなリスクテイキング行動を適切に促す効果が大いに期待できる。しかし、よく耳にするのは「リスク・コミュニケーションは難しい」という感想である。

 リスク・コミュニケーションが難しい理由はいくつか考えられるが、真っ先に指摘されるのが、説明する側の考え方と、説明される側の考えがすれ違うことの多さである。説明する側は、専門的で詳細な知識に基づいて、論理的にリスクの大きさについて認識し、説明を行う。ISO(国際標準化機構;International Organization for Standardization)によるリスクマネジメント規格ISO 31000も構築されており、説明は科学的な知見に基づく合理的なものとなる。リスクアセスメントひとつとっても、リスク特定、リスク分析、リスク評価と細密なプロセスから成り立っており、厳格な査定を行うようシステム化されている。当然のことながら、説明者もリスクの特性を知悉している場合がほとんどである。

 ただ、注意すべきことに、このとき説明者側には、「自分は詳しく知っているし、正しい(⇒理解しない方が間違っている)」という認知の罠が待ち受けている。その罠に嵌まってしまうと、ついつい論理が先走り、専門的な概念を頻繁に用いた説明をしてしまいがちなのである。典型的な言い回しが「普通の日常生活を送っていても我々は多種多様なリスクにさらされているが、それでもそのリスクと折り合いをつけながら日々の生活を送っているではないか」といった類いの説明である。

 確かにその通りなのだが、これでは「リスクを怖がるな」と言っているだけのことになってしまって、説明を受ける側の中には感情的な反発を覚えてしまう人も出てくる。説明される側は、さほど専門的な知識を持ち合わせているわけではなく、どちらかといえば「安心したい」という気持ちが勝っており、「安心させて欲しい」という要望が優勢である。そこに、リスクは避けて通れないと説明されたのでは、安心できない状況を受け入れて我慢しろと言われているような気分になってしまう。

 説明する側は「リスクを正確に理解して欲しい」という思いが優勢で、説明を受ける側は「リスクはあっても安心できる対策をとって欲しい」という思いが優勢であることが、リスク・コミュニケーションをすれ違いへと導いてしまうと考えられる。このすれ違いを克服するには、リスクを取ることで得られる利得(=利益-損失)と、リスクを取らない(回避する)ことで得られる利得を明確にして、共通認識を醸成することが大切になる。

 説明する側の論理はスジが通っており、説明を受ける側も、その論理に矛盾や破綻があるとは考えないのだが、どうしても不安や恐怖の感情を拭い去ることができないことでモヤモヤする状態から脱せない。リスクを取ることで得られる結果の価値・魅力が、リスクを回避することで得られる結果のそれを上回ることにフォーカスした説明の展開が合意を導くまでのカギを握る。

 不安や恐怖は、自己を守ろうとする根源的な欲求に基づくものである。ことあるごとに我々の心理に顕在化してくる頑健な感情であり、理屈抜きに生じる場合も多い。したがって、一回の説明で急速に解消、克服されることは希で、同じ説明でも繰り返し粘り強く説明する必要がある。また、特定の利害関係者に利益を誘導するための説明であると誤解されると、当事者間に一気に不信感が高まり、合意に達することが難しくなる。説明する側は、論拠を明確に示す公正中立な態度を維持することが必要である。

 さらに留意すべき点として、投資か預貯金かの選択を考えるとき、投資を騙った詐欺商法やハイリスク・ハイリターンの投機的商法が後を絶たないことも、投資への動機づけを削いでいる可能性は高い。投資への動機づけを高めようとするならば、詐欺商法や投機と一緒くたにして誤解されることのないように、投資に伴うリスクを正しく理解するための公正中立な説明を根気強く続けることが大事になる。首相の号令一下、税制の優遇等で強引に投資の活性化をはかる施策は短期的には成果があがると期待できても、すぐに元の状態に戻る可能性もある。

 まずは、投資に伴う利益と損失の実際について、より豊富で正確な情報を社会に拡散・浸透させていく取り組みが基盤になるだろう。人間の認知システムは、利益よりも損失に対して敏感である。認知バイアスの研究を参考にすれば、フレーミングの影響にも注意すべきであることがわかる。例えば、新たに開発された特効薬を使えば、100人中90人に効果があり、10人は効果がないという場合、効果がある人数・割合に焦点を当てるポジティブなフレーミングの説明なら、約8割の人が認証しても良いと答えるのに対して、効果がない人数・割合に焦点を当てるネガティブなフレーミングの説明をすると、2割程度の人しか認証しても良いと答えない。

 説明の仕方ひとつで、リスクテイキング行動の選択に影響があることも視野に入れて、効果的なリスク・コミュニケーションを工夫することが大事になってくる。リスク・コミュニケーションの専門家も活躍する時代になっており、その実践的知恵を参考にした取り組みも期待されるところである。

※先生のご所属は執筆当時のものです。

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