第122回 リモートワークの普及がワークライフにもたらすもの ~社会的アイデンティティの観点から~

2021.01.29 山口 裕幸 先生

 リモートワークの普及に拍車がかかっている。新型コロナウイルス感染拡大の第一波(2020年春先〜夏にかけて)の頃は、在宅勤務で行うリモートワークという働き方を選択できる職種は、やむを得ず、その実施に踏み切ってみたといえるだろう。その後、職場に出勤して働くことと、在宅勤務でリモートワークを行うこととでは、働く人々の心理や行動にどのような変化が生じているのだろうか。伝えられている実態を踏まえながら、社会心理学的な観点から検討してみたい。

 在宅勤務でリモートワークを行うことのメリットは、なんといっても時間のゆとりが生まれたことだろう。通勤時間がなくなることで、個人的な時間のゆとりが生まれ、ワーク・ライフ・バランスがよりよい方向に変化したという例は様々なメディアで数多く報告されている。また、職場で仕事をする場合に避けることのできない電話対応や同僚や上司との人間関係への配慮といった要素から解放され、仕事に集中することができるという感想を述べる人々もいる。最初は慣れずに恐る恐る始めたリモートワークも、慣れてくると自分のペースで仕事をするのに有効な側面は多いといえるだろう。

 ただ、メリットだけではなく、いくつかの問題も指摘され始めている。その中に、孤立感、孤独感を感じるようになったという感想があげられることがある。職場に出て働くときには、周囲に同僚や上司が実体として存在し、彼らとの交流を体感しながら仕事をしている。時に煩わしく感じることがあっても、自分の所属する集団があり、居場所があるという感覚は、人間が根源的にもっている所属欲求を満たしてくれるものである。

 集団に所属していたい、一人ぼっちでいたくないという欲求は、人間の持つ基本的な社会的欲求のひとつであり、それを満たしてくれる職場という環境は、個人にとっては、ありがたく重要なものだといえるだろう。個の状態で働き続ける時間が長くなるほどに、ほとんどの人にとっては心理的な不安や孤独感に脅かされている事態につながっていくことが考えられる。これは基本的な欲求の視点と並んで、組織アイデンティティの視点からも重要な問題を秘めている。

 我々は「自分は何者か」「自分はいかなる人間なのか」という問いを幼い頃から無意識のうちに自分自身に投げかけ、その答えを求めている。そして、いつしか理想として目指す自己像を思い描き、それと現実のありのままの自己の姿とを比べるようになっていく。12〜3歳になると、知能は大人のレベルに達し、抽象的な概念についても考える力がついてくる。ただし、社会経験はまだ少ないため、理想の自己像と現実の自己像との食い違いを強烈に感じることも多々ある。そして、自分が思い描くなりたい自分とは離れている現実の自己の姿を認識することでフラストレーションが高まり、その結果、両親や家族、学校の先生といった「大人たち」に反抗したり、攻撃したりすることも多くなる。

 この「自分とは何者なのか」という根源的な問いへの答えを追い求めるなかで、次第に現実の自己、ありのままの自分を認め受け入れ、「自分はこんな人間である」というその時点での答えを得るときがくる。この自分が受け入れ認めた自己像が自己アイデンティティである。

 そして、自己アイデンティティは、自分の能力や性格、両親や家族のような極めて親密な人間との関係で自分自身を説明しようとする「個人的アイデンティティ」と、自分が所属する社会や地域、組織や集団の一員として自分自身を説明しようとする「社会的アイデンティティ」の2つから成り立っている。リモートワークが続く中で孤独感や孤立感を感じることは、社会的アイデンティティに揺らぎが生じていることを示唆している。

 自分は何者かを説明しようとするとき、「私は●●株式会社の□□支社の企画課に勤務する人間である」と明確に実感できることは、社会的アイデンティティを確固たるものにしてくれる。このことは精神的な安定につながっている。孤立感、孤独感が強まることは、組織の一員としての社会的アイデンティティの揺らぎにつながっていくことは十分に考え得ることである。

 新型コロナウイルスの感染拡大という特殊な理由で始まり、普及が加速化しているリモートワークは、今後は、そのメリットを期待して、通常の勤務形態として定着する可能性がある。その際、十分に注意すべきは、職場の同僚や上司との緊密なコミュニケーション機会を作り出す工夫をすべきことだろう。組織の一員としてのアイデンティティが弱体化することは、組織へのコミットメントの低下につながることが予想される。バラバラに独立している個人が、連携し、使命感をもって職務に臨み組織の目標達成に向かって力を合わせていくことは容易なことではないだろう。組織の一員としてのアイデンティティを明瞭に持ちながら、リモートワークを遂行していくためにいかなる工夫があるのか。次回は、チーム・ビルディング、チームワーク育成の観点から考えていくことにしたい。

※先生のご所属は執筆当時のものです。

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