第166回 組織に心理的安全性を醸成しようとするときの心理的ハードル(3)~部下が抱く管理職への「暗黙の期待」との向き合い方~
2024.10.3 山口 裕幸(京都橘大学 教授)
管理職が率先してチーム内の対話を活性化することは、組織の心理的安全性を醸成するための鍵となる。その際、部下の意見を聞くだけでなく、管理職自身の考えも提示し、双方向のやりとりを行うことが重要である。もちろん、部下の話をただ聞くにとどまり、常に自分の見解を押し通すような態度では、部下は次第に口を閉ざすようになってしまう。権力を持つ管理職が自分の意見を絶対視し、異論や批判を排除する姿勢は、恐怖政治を招き、その結果、組織の機能不全を引き起こす危険性が高まる。これは管理職として慎むべき行為の典型である。
それでは、部下との意見のやりとりの中で特に重要なことは何だろうか。前回指摘したように、部下の意見は多種多様で、異なる方向性のものもある。単に耳を傾けるだけでは混沌を招いてしまうリスクがあるため、管理職自身も自己見解を明確に示して部下とやりとりを行い、組織や職場の目標達成に有益な結論へと導くことが大切である。
このとき、管理職として留意すべき部下心理がある。特に重要なのは、部下は「管理職は間違った判断はしないだろう」という先入観に陥りがちなことである。部下は、自分の考えと異なる見解を管理職が示した場合、「やはり管理職が言うことが正しいのだろう」と安易に受け入れてしまうことがある。もちろん、自分の考えに自信があれば反論するだろうが、そうでなければ多少の違和感を抱きながらもすんなり受け入れてしまう。この部下心理の背景には「管理職になるには立派な実績をあげてきているはず。仕事に関することはよく知っていて有能なのだろう」という素朴な期待が働いている。
こうした部下の心理は、管理職が自分の見解を部下が受け入れることを当然だと考える状況を作り出しやすい。管理職が自身の見解を押し通すことが常態化すると、いずれ部下は口を閉ざすようになる。この現象は、管理職の考えが正しい場合でも生じてしまうため、悩ましい問題である。
正しい判断を示すことのどこに問題があるのかと感じる人もいるだろう。しかし、正しい判断が部下の信頼を高める一方で、依存心をも引き起こすことがある。依存心が高まる結果、部下は管理職の見解に盲目的に追従するようになり、自身の考えを表明することはやめて、指示を待つ受け身の姿勢に終始するようになってしまう。そうなると、組織は硬直化が進んで、変動する環境への対応力を失い、持続可能性の低下を招いてしまう。
他方、管理職が間違った見解を押し通すようなことが続けば、部下は「言っても無駄」と信頼するのをあきらめ、「反対勢力扱いされたのでは自分が損する」という保身の心理が働いて、誰もが口を閉ざしてしまう。こうしたハードルを越えて信頼される管理職へ成長するためには、部下が管理職に対して抱く「暗黙の期待」を理解したうえで、コミュニケーションの取り方を工夫することが有効である。
具体的にはどんな工夫が考えられるだろうか。心理的安全性研究の第一人者であるエドモンドソン(Edmondson, 2018)は、リーダーが部下に「自分が知らないこともある」そして「自分も間違うことがある」と積極的に伝えることの重要性を指摘している。また、失敗を恐れず、その原因を明らかにしながら全員で共有し、「失敗から学ぶ」姿勢を大切にすることも重要だと指摘している。
エドモンドソンの提案は、部下が管理職に対して抱く「暗黙の期待」を取り払い、各自の見解を表明することを促す部下との対話方略だと言えるだろう。職位があがるにつれて、それなりにプライドも高くなり、部下に対して、自分の知識の限界を認めることや、自分も間違うことを率直に話すことには心理的抵抗を感じるものだろう。それだけに、この対話方略を実践するのは容易ではない。しかし、その心理的抵抗を克服することが、部下の信頼を集める管理職やリーダーになるための大きなハードルだと認識し、日々対話を続けていくことが、心理的安全性を醸成するコツだと言える。これは、本コラム137回で紹介したホランダー(Hollander, 1958)の「特異性信頼」理論の考え方にも一致する取り組みである。挑戦しがいのあるハードルだと言えるだろう。
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