第41回 「なんとなく」な意思決定の背後にある心理(4)-交渉場面を題材に②-

2013.12.10 山口 裕幸 先生

 交渉場面では、自分にとって重要な争点は相手にとっても重要であるはずだと言う思い込みが生み出す「固定資源知覚」の他にも、無自覚のうちに働いている認知メカニズムが、誰も望んでいない障害となって働いてしまうことがある。その代表格が「フレーミング(framing)」効果と呼ばれる認知バイアスである。フレーミング効果については、リスク・コミュニケーションに関連して、一度触れているが(第25回)、交渉において重要な影響を及ぼすので、今一度、紹介しておきたい。

 まずフレーミングとはいかなる認知バイアスなのか確認しておこう。次のような賭け事をする場面を想定して欲しい。2つの質問が出される。

【質問I】(1)100%の確率で千円もらえるくじと、(2)10%の確率で1万円もらえるが、外れると何ももらえないくじの2種類があるとき、あなたならどちらのくじを引くか。

【質問II】(1)100%の確率で千円を失う賭けと、(2)10%の確率で1万円を失うが、90%の確率で何も失わない賭けの2種類があるとき、あなたならどちらの賭けを選ぶか。

 慎重に考えてみると、各質問の2つの選択肢は、どちらも同じことを意味していることに気づくだろう。しかし、実際に選択する身になったらどうだろうか。実験をしてみると、質問Iでは(1)を選ぶ人が圧倒的に多く、質問IIでは(2)を選んだ人が圧倒的に多かった。そんな選択をする気持ちは、誰もがなんとなく直感的に理解できるものなのではないだろうか。でも、それはなぜだろうか。

 確率論的に見れば同じこととはいえ、その表現次第で人々の選択が大きく異なってしまうのは、「もらえる(=利益)」と表現するか「失う(=損失)」と表現するかの違いが、重要な鍵を握っている。人々が選択肢の意味するところを判断しようとするとき、認知的な枠取りを「利益」の方に焦点づけると(ポジティブ・フレーミング)、それに魅力を感じさせるし、「損失」に焦点づけると(ネガティブ・フレーミング)なんとかそれを避けようとする気持ちにさせるのだ。利益を得る確率は高い程よいし、損失の確率は低い方が良い。そんな瞬間的な判断は、フレーミングに左右されているわけである。

 写真を撮るときも、カメラのファインダーの四角い枠に対象をどのように収めるか、そのフレーミング次第で対象の見え方が大きく変わってくることがある。我々は、あまりに身近で当たり前のことであるために、このフレーミングの効果の大きさに気づかないことが多い。しかし、交渉場面でも、フレーミングひとつで結果が大きく異なることが実験で明らかにされている。

 家電の小売り販売店と商品卸売り業者との交渉場面を例にとろう。小売り販売店は、仕入れ値はできるだけ安くしたいし、逆に卸売り業者はできるだけ高く仕入れて欲しい。そのままでは前回紹介した「固定資源知覚」の罠にすっぽりはまってしまいそうな状況である。ただ、商取引には、取引価格だけでなく、商品引き渡しから支払いまでの期間(短いほど卸売りは助かるが、仕入れる方はできるだけ支払いは待ってもらいたい)、納品までの期間(卸売りとしてはできるだけ猶予が欲しいが、仕入れる方は早く納品して欲しい)など、他にも考慮すべき条件がある。

 第25回のコラムで紹介したバザーマンたちの実験(Bazerman, M. H., Magliozzi, T., & Neal, M. A., 1985)は、上記のような交渉に臨む実験を行う際に、被験者たちに「できるだけ大きな利益を得ること」を念頭において交渉に臨むように求める条件群と、「できるだけ損をしないようにすること」を念頭において交渉に臨むように求める条件群とを設定して、交渉の結果の比較を行ったものだ。要するに利益を出すことにフレーミングするか、損をしないことにフレーミングするかの違いを、教示の違いによって操作したのである。実験の結果、利益にフレーミングした者どうしの交渉は、互いにとって満足いく利益を生んだのに対して、損をしないことにフレーミングした者どうしの交渉は、合意に達せず決裂してしまうことが多かった。

 「それなら、みんな利益を出すことにフレーミングするようにすればいいではないか」となるのだが、問題はそれほど単純ではない。なぜなら、プロスペクト理論(コラム38回参照)を紹介したときにも触れたように、人間は利益に対してよりも、損失に対して遥かに敏感だし、それを避けようとする動機づけも強い。利益と損失が行き交う交渉場面では、よほど意識を集中していないと「損してたまるか」、「負けてたまるか」という心理の方が優勢になりがちである。交渉当事者たちが、利益を出すことにフレーミングするような仕掛けを工夫して交渉に臨まないと、互いに満足いく合意にたどり着くのはなかなか難しいのが現実だ。

 国連の「気候変動枠組み条約第19回締約国会議(COP19)」は、先進国と途上国側だけでなく、先進国の中でも利害対立が先鋭化して、統合的合意に至る道のりの困難さを露わにすることになった。「損をしたくない」という思いから脱却して「みんなで利益を享受しよう」とフレーミングを転換するには何が必要か。そこでは「信頼」と「安心」がキーワードとして浮上してくることになる。互いにとって利益の多い交渉の実現へと、"なんとなく"ではあっても導いてくれる「信頼」の心理について次回は考えていくことにしたい。

<引用文献>
Bazerman, M. H., Magliozzi, T., & Neal, M. A. (1985). Integrative bargaining in a competitive market. Organizational Behavior and Human Performance, 34, 294-313.

※先生のご所属は執筆当時のものです。

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