第117回 なぜ人々は動かないのか。何が人々を動かすのか。 ~接触確認アプリ(COCOA)の普及が進まない理由を社会心理学的視点で考える(1)~

2020.08.31 山口 裕幸 先生

 新型コロナウイルスの感染拡大は6月には一時的に減速の兆候を見せたが、6月末から7月に入って第二次の拡大期に入り、8月中旬現在、減速への兆候は明確には見通せない状況にある。諸外国の感染状況の報告を見ていても深刻な状態は続いている。日本は医療現場の人々の献身的努力によって死者は最小限に抑えられていると言っていいだろう。医療現場に携わる人々が優秀な能力を持っていることに加えて、各人の努力と熱意、使命感が、死者を少なく抑える奇跡的とも言える状況を作り出しているといえるだろう。現場の苦闘を具体的に見聞するにつけ、本当に頭がさがる思いである。

 そうした現場の苦闘を思えば、自分自身もなにかしら貢献できることはないかと考える人も少なくないだろう。マスク着用や人混みを避けることに加えて、自分の行動履歴を開示することは、感染拡大を防止する有効な協力行為として大いに期待されている。その協力を促進するために、スマートフォンにインストールして利用する「新型コロナウイルス接触確認アプリ(COCOA;以下COCOAと記述する)」が厚生労働省の肝いりで開発され、各種アプリストアから無料ダウンロードできるようになっている。このアプリは、感染している人と1メートル以内の距離で15分以上接触した場合、スマートフォンに通知してくれるものである。


 接触経路を明確にして、感染の可能性がある人たちにいち早く対応してもらうことは、感染拡大を抑えるために非常に有効なアプローチであるという。日本大学がシミュレーション調査を行ったところ、人口の40%が利用し、個々の濃厚接触者が外出を60%控えれば、感染者数を6割程度減らせるとの予測が報告されている。誰が感染者なのかはわからないように個人情報を守る手立てもしっかりとられており、よく考えられた優れたアプリといえるだろう。

 しかしながら、6月19日からの運用開始以来、2ヶ月ほどが経過した時点で、日本社会全体の人口の1割程度のダウンロードにとどまっており、感染していることが判明した人がそのことをアプリに登録する件数も伸び悩んでいると報道されている。これでは期待された効果を発揮するための前提条件は満たせない。せっかく開発されたシステムは、なぜ、人々によって活用されないのだろうか。

 社会心理学的にその理由を考えてみると、社会的交換理論に基づく極めてシンプルで論理的な理由に行き着くことになる。我々人間が、ある行動をとるか、とらないかを意思決定するとき、その行動をとった場合に見込まれる報酬(満足感を得たり、感謝されたり、社会的評価が高まったりすること等)と、コスト(手間や時間、労力などがかかってしまうこと等)を比較して、併せて、その行動をとらなかった場合に見込まれる報酬と損失も見積もって、総合的に報酬が損失を上回ればその行動をとり、損失が報酬を上回れば、その行動をとらない選択をする。ひと言で言えば、損得勘定を見積もって、得ならやるし、損ならやらないと判断しているわけである。

 COCOAの浸透が進まない理由を考えるときに注意すべきなのが、こうした判断は、よほど自分にとって大切な判断でない限り、ほとんどが無自覚のうちに自動的認知処理過程の働きに委ねて行われており、様々な非合理的な判断を誘発する多種多様な認知バイアスの影響を受けていることである。

 私が居住する福岡の放送局が、街を歩く市民にインタビューして、COCOAを使用していない人たちの声を集めていたが、その内容は、「めんどうくさい」、「自分には必要ない」、「なんとなくいらない気がする」といったものであった。この市民の声には、COCOAのアプリ提供という情報を処理するときに生じた認知的バイアスの影響が色濃く反映されているように思われる。

 いかなる行動にも一定の手間や時間、作業が必要であり、めんどうくさいことはある程度避けて通れない。しかし、10万円の特別定額給付金の手続きや、5000円相当のマイナポイントが付与されるマイナンバーカードの手続きに関しては、めんどうくさくても多くの人が行っている。COCOAだけが特別に手続きがめんどうなわけではない。また、詳細に比較した上で客観的にめんどうくささが大変だと評価したとも考えにくい。つまるところ、めんどうくさいという理由づけは、「それをやってどんなメリットがあるのかよくわからない」という認識を反映するものだと考えた方がわかりやすい。

 運用開始以降、各種マスメディアを通して、COCOAのダウンロードとインスト-ルを推奨する運動は活発に行われてきたが、個人としていかなるメリットを享受できるのかについては、必ずしも説明が明瞭でなかった。というか、感染を防いでくれるわけではなく、感染者と濃厚接触した可能性が高いことを知らされても、PCR検査を受けられるわけではなく、もし受けられたとしても症状がなければ2万円~5万円の検査料を個人負担しなければならないのであって、客観的にどこにメリットがあるのか理解しにくい状況にあった。この点は問題だという指摘が多かったようで、8月21日からは、COCOAから通知を受けた人のPCR検査は無償で行われる施策が開始されて、メリットは以前よりも明確になってきたと言えるだろう。

 しかしながら、もしCOCOAからの通知によって、自分が感染している可能性が高いということがわかっても、素直には喜べないのが実情である。そのことを理由に出勤や登校を拒否されたり、心ない誹謗中傷にさらされたりする事例が全国で報告されている。当事者にしてみれば、COCOAからの通知を受けてから、自分が感染していた場合に備えたリスク対応を行うまでの間に、周囲の人々の偏見に基づく、差別的な態度にさらされるという高いハードルが立ちふさがっているように感じられることだろう。そのことはめんどうくさいという認知に結びついている可能性を否定できない。

 こうした状況は、COCOAを活用する行動を選択するか否かの判断を行うときに、報酬よりもコストの方を大きく感じさせてしまう効果につながりやすい。カーネマンとツベルスキーが提唱したプロスペクト理論は、もともと人間の自動的認知処理過程においては、同じ量であれば、報酬よりもコストの方が強いインパクトを持って認知されてしまうことを指摘したものである。ひとことに損得勘定といっても、何をコストと感じ、何を報酬と感じるのか、それぞれの大きさをどのくらいと感じるかは、人間の認知過程に大きく影響を受けることに、より配慮した施策の設計が臨まれるところである。上述したように8月21日からは、COCOAで感染者との濃厚接触の可能性があることを通知された人は、PCR検査を無償で受けられる施策が新たに導入された。これはメリットを認識させる施策であり、その効果を期待したい。

 今回は、「めんどうくさい」と感じる理由までになったが、街中の人々の声にあった「自分には必要ない」、「なんとなくいらない気がする」という意見にも、実は認知バイアスが色濃く反映されていると考えられる。また、ではどうすれば良いのか、という点についても検討が必要だ。これらの点について、次回、論じていくことにしたい。

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