第49回 人間行動の直観的判断の不可解さと面白さについて(5)-なぜ縁起をかついでしまうのか-

2014.08.07 山口 裕幸 先生

 芸術やスポーツのプロフェッショナルの中には、靴下は必ず右からはくようにしているとか、大事な演奏や試合の前は必ずうどんを食べることにしているとか、縁起をかつぐ人が少なくない。私も高校生の頃は、良い成績をとることができたときに使っていた鉛筆をとっておき、大事な試験のときには、それを使うようにしたものだ。結婚式だって、いざとなれば、やはり大安吉日に挙げたいと思う人は少なくないはずだ。縁起をかついだところで、どれほどの効果があるのかはわからないし、しかも、かなり不合理な期待であることを十分に承知しつつも、いつのまにか、多くの人がそんな心理的な罠に自ら入り込んで行くのである。人間の行動には不可解なものが多い。

 人間が自分の持っている知識や経験に適合するように、因果関係を、ある意味で自分に都合良く解釈する傾向を持っていることは、あと知恵バイアス(このコラムの第46回)や確証バイアス(第47回)の紹介でも説明して来た。認知心理学の研究が進むほどに、人間は、出会った状況や現象、あるいは人々の行動の発生理由を、順序だてて論理的にアルゴリズムに基づいて解釈したり、確率を計算する統計学的な視点から解釈したりすることは、非常に苦手であることがわかってきている。他方、不安や変動や後悔を避け、安心や安定や納得感を得ようとする自分の感情に従った解釈や判断は得意で、瞬時のうちに行うことができることもわかって来ている。

 具体的に一緒に考えてみよう。鈴木さんは車好きでドイツ製の高級車に乗っている。ある日、ガソリンスタンドで洗車をしていたところ、洗車機が誤作動して、車に大きな傷がついてしまった。そのとき、

(A)それは、鈴木さんの行きつけのガソリンスタンドで起こったことだった。
(B)それは、行きつけのガソリンスタンドが閉まっていたため、鈴木さんが別のガソリンスタンドに行ったときに起こったことだった。

 さて、車についてしまった大きな傷の修繕費を、ガソリンスタンドはいくら支払うべきかについて、(A)のケースと(B)のケースとを比較検討して、あなたなりに妥当であると思う金額を見積もってみて欲しい。車の傷の大きさについては違いがあるとは示されておらず同等であると考えられる。そのとき、それぞれのケースで見積もられる修繕費に違いはあるだろうか。実際のところ、2つのケースに異なる修繕費を見積もる人はほとんどいない。というのも、このように2つのケースを並列に比較して判断する場合、システム1による瞬時の判断ではなく、比較的時間をかけてシステム2を駆動させた判断が行われやすいからである。被った被害の大きさが比較の焦点となり、それに違いがなければ修繕費の額も同じで良いと判断されるのである。

 ところが、どちらか1つのケースだけを聞いて、支払われるべき修繕費を見積もってもらうと面白い現象が見られる。 (B)のケースを聞いて判断した人たちは、(A)のケースを聞いて判断した人たちに比べて、高い修繕費を見積もる傾向を示すのである。(B)の場合、たまたま行きつけのスタンドが閉まっていたといういきさつに、我々の感情が反応する。「行きつけのスタンドさえ開いていれば」という実際に起こった事実には反する仮定を思いつき、後悔の気持ちにも似た感情が湧いて、高い修繕費が支払われるべきだという気持ちにつながるのである。こうした現象は、ミラーとマクファーランド(Miller & McFarland, 1986)によって見いだされて以降、多様な研究を生み出しており、並列評価と単独評価における判断と評価の逆転現象と呼ばれている。

 誰にとっても、自分がとる行動は、自分単独で主観的に評価することがほとんどである。自分の行動と他者のそれとを比較して慎重に評価するようなことは、生活の中でほとんど経験しない。したがって、システム1が働き感情反応に強く影響されつつ、自分の行動の結果がいかなる原因によって引き起こされたのを判断することになる。そして、自分の判断を正しいものだと思いたい感情も働いて、冒頭であげた縁起をかつぐ行動につながるのである。

 縁起をかつぐような行動は、確かに不可解に見えるときもある。そんな不可解な人間の行動や判断は他にもたくさんある。経済学では、かつてはそれらを「不合理」な行動や判断として扱っていた。しかし、当の本人は、縁起をかついだ方が、気分がいいし、納得して過ごせるのであるから、幸福に生きるという目的からすれば合理的な行動であり判断といえる。人間行動の特性をより深く理解しようとすれば、人間の主観的判断のメカニズムにもっと光を当ててみることが大事になる。なにしろ我々は、生活のほとんどを単独評価によって過ごしているのだから。

<引用文献>
Miller, D. T., and McFarland, C. (1986). Counterfactual thinking and victim compensation: A test of norm theory. Personality and Social Psychology Bulletin, 12, 513-519.

※先生のご所属は執筆当時のものです。

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