第36回 他者の心を正しく読むことができるか

2013.07.01 山口 裕幸 先生

 他者の心の動きを推察することは、人間の基本的な能力であると前回述べた。今回、この問題について、さらに議論を進めたい。この地球上に発生した太古の原始時代より、人間は孤立しては生きていけないため集団を形成して生き延びてきた。他者との円滑な関係を築き,維持するにはコミュニケーション力、とりわけ他者の心理を読む能力が極めて重要な役割を果たすため、進化の過程で、他者心理を瞬時に自動的に推察できる情報処理システムを身につけてきたと考えられる。

 乾(2012)は、円滑な対人的コミュニケーションを行うためには、3つの脳内システムが必要不可欠であると論じている。その3つとは、(1)Like-meシステム、(2)different-from-meシステム、(3)予測とモニタリングのシステムだという。Like-meシステムは自分と他者が共通の知識を持つことによって、他者の動作や意図を理解するシステムである。前回紹介した「心の理論」の基盤となっているミラーニューロンシステムによって支えられている。例えば、相撲の白熱した取り組みを見ているときや、冬季オリンピックでスキーの滑降競技を見ているときなど、力士や選手の動作に合わせて、思わず自分も体を動かしていた経験はないだろうか。他者の動作を観察しているときに、自己の脳内でも動作をマッチングさせるシステムが応答してしまうのである。

 このLike-meシステムは、他者の動作を自分のそれのごとく理解し、共感するのには極めて有効である反面、自他の区別がつきにくい混沌とした状態を引き起こす可能性がある。やはり、自分と他者とは違う個体であることを認識する必要がある。そこで働くのがdifferent-from-meシステムである。ひと言で言うとdifferent-from-meシステムは、他者の心を読む機能である。他者の視点に立って考えて見たり、外面的に観察できない他者の心の内を推測したりするときに働く。Like-meシステムとdifferent-from-meシステムが働くことで、他者の心理の推察には十分であるような気がするが、実際にコミュニケーションを円滑に行うには、他者の動作や表情を観察しながら、このふたつのシステムを的確に切り替えることが重要になってくる。

 そのとき働くのが、3番目の予測とモニタリングのシステムである。会話を交わすとき、我々は、相手が次に何を言いそうか予測しながら話を聞いており、また自分の話すことを考えている。全く思いもしなかった話を相手がすると、どう答えていいのか困ることを誰もが経験しているだろう。相手の動作や心の内を推察してモニタリングしながら、無自覚のうちに次なる動きを予測できるからこそ、コミュニケーションは円滑に進むのである。

 我々が他者のしぐさや表情を観察して、瞬時に相手の感情や心理を推察することができるのは、高度に発達した脳機能のお陰である。むろん、それは非常にナイーブで純粋な人間関係における基本的な感情や心理に限っていえることであり、様々な駆け引きが行われる交渉場面や、トランプのポーカー・ゲームのようなときには、もっと複雑で戦略的な言動コントロールが行われるため、他者行動から単純にその心理を推察することはできないことも多い。ただ、日常のひとこまの中で、何気なくとられている行動は、素のままの個人の心理や態度を表していると考えられ、そうした行動を丁寧に観察して、その背景にある個人の心理や態度を推察することは可能であろう。

 そのとき気をつけなければならないのは、独りよがりな思い込みの推察に陥らないことである。今回紹介してきたように、誰でもが他者の心の内を推察する能力を持っている。しかも、大人になれば、実際の経験を通して獲得してきた知識に基づいて推察を行うことになるうえに、人間は基本的に「自分は正しい」と思い込む自己正当化の心理的バイアスに陥りやすい。したがって、行動観察に基づいて、他者の行動の背後に働いている心理を推察するときには、社会心理学や人間工学、行動科学などの科学的知見を参照しながら、できるだけ多くの観察者と意見交換しながら、作業を進める必要がある。

 ちなみに、エクマンとフリーセン(Ekman and Friesen, 1978)は、基本的な感情の表出時に、顔面筋(表情筋)がどのように動くかを分析した結果を報告しているが、喜びにしても驚きにしても、悲しみ、怒り、嫌悪のいずれにしても、それに対応する顔面筋の動きは複数存在する。それだけ、我々は表情豊かなのである。他者の心理を読むことは、人間の基本的能力でありながら、最も難しい課題でもある。マインドリーディングに関する科学的研究は始まったばかりと言って良い。今後の研究発展が楽しみである。

<引用文献>
Ekman, P., & Friesen, W. V. (1978). Facial action coding system: A technique for the measurement of facial movement. Palo Alto. CA: Consulting Psychologists Press. Ellsworth, PC, & Smith, CA (1988). From appraisal to emotion: Differences among unpleasant feelings. Motivation and Emotion, 12, 271-302.
乾敏郎. (2012). 円滑な間主観的インタラクションを可能にする神経機構 (特集 からだと脳: 身体知の行方). こころの未来, 9, 14-17.

※先生のご所属は執筆当時のものです。

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