第144回 「日本的」な社会・集合現象について社会心理学的視点から考える(3) 〜資産形成は投資よりも貯金を優先する傾向〜

2022.12.6 山口 裕幸(九州大学 教授)

 個人の資産形成における預貯金偏重傾向は、日本社会の特徴としてしばしば指摘されてきたものである。2022年8月31日に日本銀行調査統計局が発表した「資金循環の日米欧比較」(https://www.boj.or.jp/statistics/sj/sjhiq.pdf(外部サイト))に記載されている「家計の金融資産構成」のデータを見てみると、アメリカでは株や投資信託、債券等の投資が55.0%を占めるのに対して、日本では現金・預金が54.3%を占めていて、明瞭なコントラストを示している。確かに、欧米諸国と比較して、日本人の金融資産は現金・預金の比率が突出して高いことがわかる(図1参照)。

 現金で持っていても、資産はそれだけでは増えてくれない。預貯金にしても日本銀行の低金利、ゼロ金利政策は長期にわたって堅持されていて、ほとんど利息は見込めない。この間、資産を増やすチャンスのある投資に対して日本人の多くが消極的なまま過ごしてきたことは、経済学的に見れば不合理なことに思われてしまうだろう。収入が増えない、資産が増えないと嘆きながら、そのチャンスは見過ごしているように見えるからである。しかも、資産が家計内に安定(固定化)しているために、社会全体の経済の流れを鈍くしてしまう悪影響までも伴うことになっている。首相が資産所得倍増を掲げ、「もっと投資を」と呼びかけるのも無理からぬところだと言えるだろう。

 ただし、一見不合理に見えるとしても、日本人の預貯金偏重傾向にはそれなりの合理的な理由がある。それは預貯金にも投資にも、双方メリットとデメリットがあり、それの持つ心理的影響に着目することで見えてくる。預貯金の場合、「増えない(=デメリット)」けれども「減らないという安心感と安定感(=メリット)」が備わるのに対して,投資には「増える可能性(=メリット)」があるけれども「減ってしまうかもしれないリスク(=デメリット)」が伴う。資産を増やすチャンスのある投資を見送り、利息さえごくわずかな預貯金を行うことが、経済学的に不合理に見えるのは、預貯金のデメリットと投資のメリットにのみスポットライトを当てているからに過ぎない。

 人々は資産形成を考えるとき、否応なしに、預貯金と投資の双方のメリットだけでなくデメリットも併せて、自分の行動を決定することになる。日本の場合、預貯金の持つ「減ることがなく失うことがないメリット」から「増えないデメリット」を差し引くことで感じる誘因(魅力)は、投資が持つ「増やすチャンスをもたらすメリット」から「失うかもしれないリスクがもたらす不安のデメリット」を差し引いた誘因よりも大きいからこそ、多くの人が投資よりも預貯金を優先的に選択しているのだろう。投資を呼びかけるだけでなく、投資のメリットを実感できるリアリティのあるレベルに引き上げつつ、デメリットについても軽減する効果的な手立てを講じなければ、預貯金偏重傾向は容易には変わらないものと思われる。

 むろん効果的な手立てと言ってもそうそう簡単に見つかるわけではない。打つ手がうまく行かないと、ついつい、日本人はもともと預貯金ばかりをありがたがる民族なのだと安直な言い訳に走りたくなるかもしれない。しかしながら、バブル経済真っ盛りの1990年前後の日本では、「財テク(財務テクノロジーの略称)」が流行し、株式や不動産への投資が盛んに行われていたことを思い起こせば、預貯金偏重傾向は、日本人の永続的な行動パターンではないことに注意が必要である。近年の日本社会に染みついている預貯金偏重傾向は、社会の歴史的動向や経済の流れをはじめ、様々な要因が影響することで生まれ、継続されているだけで、状況が変われば,人々の行動選択も変わると考えた方が良い。

 とはいえ、組織行動として指摘されている「指示待ち傾向」や合格確率の高い学校を優先的に志願する受験生の「現役合格(受験浪人回避)優先傾向」など、挑戦よりも安定を重視する現象は日本社会の各方面で目立つようになっている。One Teamのスローガンを掲げて2019年ラグビーワールドカップ大会で日本チームをベスト8に導いた監督のジェイミー・ジョセフ氏は、日本人の特徴の1つにミスを恐れるあまりプレーが消極的になりがちなことを指摘していた。そのうえで、ミスを恐れること自体がミスなのだと選手たちに説いて、積極的に自分たちから仕掛けていく戦術をチームに浸透させていくことに取り組んでいった。

 ミスや失敗、失うことを恐れる心理は誰もが共通に持っているものであろう。でも、恐れすぎて縮こまっていても状況は打開できない。鍵を握るのはリスクをとる勇気を持てるかどうかである。ただ「勇気を持て」というだけでは不十分で、現状の日本社会ではリスクをとることには非常に大きな勇気が必要なのかもしれない。そんな中にあって、リスクテイキングに関する社会心理学の研究知見には、この現状の閉塞感を打破してリスクテイクを引き出すヒントが眠っていそうである。次回は、日本社会の特徴とリスクテイキングの関係について議論してみたい。

※先生のご所属は執筆当時のものです。

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